著者紹介

アーリック・ボーザー
ダートマス大学を優秀卒業生として卒業した後、記者や編集者、英語インストラクターとして活動。2017年に出版した同書はアマゾンベストサイエンスブック2017賞に選出。その後、全世界でベストセラーとなる。現在は、本書でも触れられている通り、ビル&メリンダゲイツ財団の顧問として活動する傍ら、作家兼学習トレーナーとして活動を続け、映画化された書籍を出すなどしている。
目次
イントロダクション
ダーツの実験/「究極のサバイバルツール」/体系的アプローチ
第一章 価値を見いだす
意味を自ら発見する/学びを自ら「作り上げる」/探索する種/「知的努力には伝染性がある」/意味とは学ぶこと/言語の摩滅/マインドセットの大切さ/MET研究
第二章 目標を決める
短期記憶の容量の小ささ/知識は学習の土台/学習にコンフォートゾーンはない/思考の質を上げる/思考についての思考―そして情動/感情管理の必要性/自己効力感/学習は難しくて当たり前
第三章 能力を伸ばす
モニタリング/外部からのフィードバック/苦労の本質と反復/「検索練習」/脳の可塑性/間違いの心理
第四章 発展させる
マイルス・デイヴィスの傑作/学習の発展としての議論/応用の必要性/「ハイテック・ハイ」/人に教えるという学習方法/不確実性の価値/「多様性は人を賢くする」/疑問の大切さ
第五章 関係づける
システム思考/「最大の認知上の障害」/仮定思考/ハッキング/視覚的アプローチ/アナロジーの価値/問題解決のスキル
第六章 再考する
過信/直感型思考と熟慮型思考/評価する必要性/自分に分かっていないことを知る/分散学習/内省の必要性/静かな時間/「こぶし」実験/無限のプロセス
概要
教育の世界では、
(1)生まれながらに備わった人間の能力は変わらない、という考え方と、
(2)後天的な教育によって人間の能力は向上する、
という二つの学派に別れている。
本書は(2)に属する。これは、世間的にも(2)が常識となっている。なぜなら、ほぼ全ての教育産業が、(2)がないと成立しないからだ。多くの教師たちがおまんま食い上げである。
だが、大衆の本心は(1)として作動することが多い。例えば、オリンピックやワールドカップで選手を見るときの目線がそれである。世の中には、天才がいるのだ。自分達はそこには到達できない。
実は一般人のほぼ全ては(1)だ。これが根強い。そして、本書では(2)の後天的な教育について語りながら、なぜ(1)の考え方が根強く残っているのかについても並行して説明していく。
著者も「天才性・生まれ持った適正」が世の中を支配していたと考えていた
著者も、長らくは(1)の考え方を持っていた、というところから始まる。周囲の人間たちの天才性にボロボロになりながら、打ちひしがれていたのだ。
しかしながら、なんとかして人生を好転させたいという考えを持つようになった。その中で、著者は冷静に人間の学習能力とは何かというのを、分析して行った。
その結果わかったことは次の通りである。
- 人間の忘れる能力は凄い(記憶のテクニックは無駄)
- 意識的な学習はそもそもキツくしんどいものである(分厚い単語帳を使え)
- 真に使える知識とはアナロジー(比較・推測)である
- 創造性(時にはハッタリ)が知識を定着させる
上記に書かれたものは、なるほど、わたしたちが自分達より頭のいい人だと、驚かされる時に、その裏側に横たわっているものを、リスト化したものだといえる。
そしてリスト化してみると、実にがっかりするほど笑えるシンプルさがある。
つまり著者は、生きていくために必要な学習能力を再考するように促しているのだ。
裁判官と八百屋の知識は、違う。裁判官は、判例というテキストと事件やそれに関わる人間の感情などで知識を構成するのに対し、八百屋は野菜の色や匂い、収穫時期、味の変化などで知識を構成する。
最初に、裁判官と八百屋は違う、と感じることが大事だ。と著者は言う。
そこまで考えられるようになると、自分に必要な学びのプロセスを選べるようになるのだ。ある集団から、優れた職業人としての八百屋(ECサイト経営)、裁判官(学者系)になる時に、比較されているものが違う。なのに、一つの集団ということで、私たちは必要以上に悩む。
でも、確かに共通するものはある。
その共通するものなら、認識して競うことができる。
とにかく、状況をまとめることが大事だと、著者は徐々に語り出す。
多国籍・ダイバーシティの集団が、エリート集団に勝ちやすいケースが近年増えている
そして、本書の本題だが、近年ある局面において、規律と意思疎通を含む集団能力が高いエリート集団が、いわゆる雑魚軍団に負けるケースが頻繁に続出している例示が出てくる。その“エリートが負けやすい”状況を、著者が分析して導き出したのが以下である。
近年、エリートが負けるケースが増えている環境条件
- 目的・環境が混沌している状況
- 相手の人種・性別が多彩な場合
- 効率面で大きな変革を要求されている局面
- 新しい分野、新規事業でのケース
- 逆に、伝統的な産業で保守化が極度に進んでいる状態
本書では、もっと具体的にそのワークフローであったり、人間関係、就労状況などが詳細に描かれているが、一言で言うと現場が「ワーワー」「ギャーギャー」とトラブルが起きまくっているような状況で、あっという間にエリート集団を抜き去る雑草集団が誕生するケースが増えているという。
そもそもPCやクラウド、AIといったものが登場して、すでに効率化の基盤が出来上がっている現代、このような柔軟性、いわゆるレジリエンスが問われる仕事が急増している。誰もが思い付かないアイディアとか、不可能と言われる壁に対して、アクションする仕事が急増しているのだ。
このような状況では、エリート集団では歯が立たない。
正確にいうと、2020年前後の“エリート集団”とは、まだ事務処理能力を基準に選ばれた集団でしかなく、流動的な仕事、クリエイティブな仕事に最適化する人材を選ぶ基準が存在していないということの現れだと著者は書いている。
一部のエリートは、“レジリエンス(柔軟さ・衝突突破力)”によって選ばれていることも出てきているが、しかし人間の修正として“慣れ”によって、仕事の事務化をする特色がある。これによって、エリートはエリートなりの状況の台無し化をするのだという。これらを防止するためにも、あらゆる手を撃ち続けなければいけないということも本書には書かれている。
人間は今後、このようにどんどん“不安定化”によって成果を出さなければならない。そんな未来像が、本書読むことで実に視覚的に実感できる。
Q:読んでみてどうだったか?
A:学習方法に関して、いかに人は前の世代がやってきたことを疑うことができないのか、ということを知った。と同時に、本書はそのような学習メソッドの探求という点では、まだまだ最初の段階で、答えからは程遠という感じもする。
人間はやっと「不安定化に対応する能力」とか「弾力性」を使える時代になっただけで、これまでは「単純労働」「事務処理能力」だけが求められてきた、原始時代の延長だったのだ。
人によってはこの“不安定至上主義”の状況を素直に喜べないだろう。だが、本書を読むと今後この流れしか人類に残されていないこともしっかりわかる。
Q:それは、本書は物足りないということか?
A:いや違う。答えが書かれていない本だということだ。
だが、読むことで間違った学習方法を推奨しがちな学校や組織、教育制度を避けて非効率を被らないことができる。たかだか1冊の本でできることとしては、その辺がマックスだろう。
通常、自分や自分の職業、目的に合わない学習方法を見抜いて自力で止めるような能力を、人は与えられていない。それに気づかせる貴重な書籍だ。
Q:どのような人が読むべきか?
A:本当は小学生や中学生、生徒などがいいと思う。
本書は読むとわかることだが、ビジネス書ではない。教育学の書籍である。しかし、このような翻訳洋書は、そのような層には届かない。
日本では、この手の本はビジネスに関係なくてもビジネス書籍扱いされるという状況がある。