著者紹介

橘 玲
早稲田大学文学部ロシア文学科を卒業。元・宝島社の編集者で雑誌『宝島30』2代目編集長。経済書籍での脅威のベストセラー出版率を誇る
目次
- はじめに 「リベラル」が嫌いなリベラリストへ
- Part 0 「リベラル」の失敗 「沖縄『集団自決』裁判」とはなんだったのか
- Part 1 不思議の国のリベラリズム
- Part 2 日本人の働き方はこんなにヘン
- Part 3 テロと宗教
- Part 4 素晴らしい理想世界
- EPILOGUE まっとうなリベラリズムを再生するには
概要:駄作ばかり 集英社「理由がある」シリーズ
本書は、集英社『プレイボーイ』(青少年がグラビアだけを見るために買っていた雑誌)で連載していたエッセイを「理由があるシリーズ」と題して、『不愉快なことには理由がある』『バカが多いのには理由がある』『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』という3つの本に分類して出した書籍化シリーズである。
かなり安易な企画で、『不愉快なことには理由がある』『バカが多いのには理由がある』に関しては、内容がいったいどんな基準で選ばれているのかイミフであった。しかも内容が薄く、総じて出版される意味が感じられない。このような書籍を読んで「本を読んだ」と思っている人は、自分が低脳である可能性を疑った方がいい。
本書だけは、著者が唯一、力を入れている
「理由がある」シリーズは、タイトルだけで、部数を取ろうとしたシリーズであるのは明白である。しかもこのシリーズには、シリーズのために書かれたエッセイがいずれもゼロである。
あたり前である。無題エッセイの寄せ集めだから。
しかしながら、『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある 』関しては、リベラルバッシングが作家:橘 玲の必殺技だったためであろうか、同シリーズの唯一の力を入れた書籍だとわかる。
なぜ日本のリベラルは“理想バカ”なのか?
本書で語られている統一テーマは、『なぜ日本のリベラルは“理想バカ”なのか?』である。
さまざまな切り口を通じて、どんなに頑張っても全然世界基準に到達できない「日本のリベラル」の現状が語られる。あまりにもクソすぎる日本のリベラルに対しての著者の不甲斐ない思い(著者も自身はリベラルだと言っている)が、本全体から伝わってくる。
ドイツは第二次世界大戦の戦争責任をとっていない
本書を読んで、私が、最もなるほど思った部分だけ述べていく。
冒頭の章で、ドイツの戦争責任について触れた部分がある。
よく、日本はなんでドイツのように戦争責任を取れないのか? みたいな言説がある。これも、確かに日本のクソリベラルが使う常套句(クリシェ)のようなものだ。だが、これは私も知らなかったのだが、実はドイツは戦争責任などとっていない。らしい。
ドイツがやったのは、これは私もベルリンに長期滞在していてわかったのだが、ナチスのやったホロコーストを謝罪するかのような施設を作っただけなのだ。他に大して戦争責任・謝罪的なものが見当たらなかった。賠償金も払っていないし、それにナチスはドイツ国民ではなく、別のもの扱いである。たしかに、言われてみれば一理あるように思える。

ヨーロッパ諸国はドイツの生産性・技術力に頼りたい
では、なぜ、ドイツはたったそれだけ(ほぼ何にもしていない)で戦争責任を取ったことにしているのかというと、それは現在のEUの経済状況を見ても明らかな通り「経済的にドイツがいないとヨーロッパがおかしなことになるから」&「ドイツが怒ると怖いから」だという。
第一次世界大戦、ドイツは敗戦し、欧州・アメリカ連合から多大な借金を背負わされ、それによってハイパーインフレになってぶっころされた。その怨念によって、ナチスが誕生し、核兵器(広島に落とされた原爆はドイツ製)まで作ることとなった。
この悪夢を、ヨーロッパ諸国は、しっかりと覚えている。
だから、今度こそは過剰な謝罪や請求をしないと決めているのだ。現に、リーマンショックからの欧州債務危機で、ギリシャ・イタリア・スペイン(本当はフランスも)の債務を肩代わりしたのはドイツである。いずれこのようにしてドイツに頼ることが、欧州諸国はわかっていたのだ。
しかも、インダストリー4.0というアメリカに先駆けてドイツがスタートさせた、IoT技術革命で欧州産業は近年、飛躍的な効率化を実現させた。恩恵を受けている。これは直近の例だが、他にもドイツの産業的な利点・影響がいろいろあるのは、周知の事実だ。
それに、アメリカのウォール街デモやこれの発端になったリーマンショックなどの災厄は、ナチスが廃絶しようとしたユダヤ人による世界的な経済危機であり、ナチスのやり方が酷すぎて、最悪の顛末に至ったユダヤ人バッシングは、その後も国を移って継続していることが戦後のアメリカの歴史で証明されていると言っていい(これはあまり人前では言っていけない)。
だから、欧州にとってのドイツの戦争責任は、どこかで落とし所をつけておかないとヤバいことであり、この状況が日本の戦争責任と、全く異なるのだ。
このことが、本書では事細かに書かれていて、私はショックを受けつつ、すごく勉強になった。
『理想バカ』に対して、橘氏が求めるもの
上記の例などを含め、本書は橘氏のリベラルへの熱い思いで占められている。それは、とにもかくにも、橘氏自身が、リベラルを自認している知識人だからだ。
では、橘氏は、リベラルに何を求めているのか?
それは、「極端なことを言いそうになったら、少しでいいから調べろ。疑え」だ。
日本のリベラルは極端主義は、イスラム原理主義に似ている
本書の後半で、私はなぜ、著者がくどくどとイスラム教徒のことを書くのかと思っていたら(Part 3「テロと宗教」)、それは日本のリベラルが、行動様式も考え方も実にイスラム原理主義(ジハード思考)とかなり近いことがわかった。それを言いたかったのだ。
ただ、これもあまりはっきり言いすぎると、著者は個人攻撃を受けるし、何よりもイスラム教徒の純粋狂気的な恐ろしさもあり、実にソフトに本書では書かれている。
本書を読んで、私もいろいろと、過去の自分のリベラル的なバカジャッジを反省するところがあった。もし、ブックオフなので激安の在庫を見つけたら、手に取ってみて欲しい。心当たりが少しでもある人間は、かなず役に立つので(Kindle Unlimitedでもいいと思う)。