わからないのに高評価の映画、どうするべき?具体例を用いて分かりやすく解説:ハイコンテクスト映画『逃げた女』(配信あり)ホン・サンスの正しい見方

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本作品はアマゾンプライムビデオやU-NEXTでも視聴可能。

はじめに

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が、アメリカの4大批評家連盟賞のうち3つを制したり、日本人として62年ぶりにゴールデングローブ賞を受賞したことで、注目を浴びている。

そんな中で、私はこの記事を書いてみようと思った。

興行を重視しないハイコンテクスト映画が増加中

濱口竜介監督のブレイクは、業界全体的に興行収入を気にしない傾向が出ていると言われている。つまり、今までの映画は、広告を打って、劇場でメインの収入を得て製作費や諸々の諸経費を回収しなければいけなかった。

この下準備が数ヶ月かかる手間暇のかかる広告で、たった2週から1ヶ月で終わる劇場公開の期間に勝負をかけるプレッシャーから、日本映画は激しく劣化した。

崩壊したビジネスモデルは、実写化する必要のない漫画原作、小説原作アイドル起用に走り、つくりも分かりにくさへの不安から派手な演出、音楽など雑な映画を量産した

映画=単なるデカい豪華な広告→じっくり稼ぐハイコンテクスト映画へのシフト

だが、特にコロナ以降、映画は洗練へと向かった。

配信の隆盛とウェブ広告の一般化で、興行リスクを過度に取る必要がなくなったのだ。そのため、濱口竜介のようなソフト化後にロングヒットを産みやすい、ハイコンテクスト映画の人材が、世界市場で重宝されるようになった。この傾向は今後も続くだろう。逆に、分かりやすさを求める観客をターゲットにした映画は、そのうち低迷するかもしれない。

過剰な分かりやすさと俳優の知名度(資金源)などを気にしなくても、利益が出せる。というか、そのほうが利益率が高いという認識が映画業界に出来つつある。

エリック・ロメール→ホン・サンス→濱口竜介という流れ:男女映画の伝統

とはいえ、多くの観客がハイコンテクスト映画に慣れるまで時間はかかるだろう。

例として出すには、今が旬の濱口竜介監督はもってこいの題材だ。

なので本当は『ドライブ・マイ・カー』を分析すればいいのだが、まだソフト化されていないので細部の分析は難しい。では、なぜホン・サンス監督の『逃げた女』にしようと思ったのか?

まず第一に、YouTubeで“濱口竜介”を検索すると、関連動画でホン・サンスの作品の予告編が出ることが多いからだ(2022年1月現在)。また、濱口竜介は2021年のベルリン国際映画祭の銀熊賞受賞者で、ホン・サンスは2020年の同賞の受賞者だ。

実は、評価としても濱口竜介はホン・サンスに近いものを持っている。共通点は、低予算スタイルでややニヒルに、男女の特性を描くという点だ(ちなみに、作家性という観点では二人は全然違う)。

この分野の大家はエリック・ロメール(フランス人)だ。彼についてはまた今度。

ウィキペディアより引用:エリック・ロメールは、恋愛映画という狭い括りではなく、男女差を描くことに生涯をかけた。

では、ホン・サンス『逃げた女』に話を移していく。

監督紹介

ウィキペディアより参照

ホン・サンス(1960〜)

韓国のソウル市に生まれる。1985年、カリフォルニア美術大学卒業。1989年、 シカゴ美術館附属美術大学で美術修士号 (MFA)を取得。

この学歴ルートは、アピチャッポン・ウィーラセタクンと同じ。アジアの映画監督はハイバジェット系のフィルムスクール(南カリフォルニア大学やニューヨーク大学(Tish:ティッシュ))ではなく、現代美術系の低予算映画系の大学で教育される傾向が強い。

関連記事:三大映画祭の上のポジションにいると言われる映像作家:アピチャッポン・ウィーラセタクンのブランド戦略から、日本人が何を学ぶべきか を考える

1996年に初監督した『豚が井戸に落ちた日』で青龍映画賞の新人監督賞を受賞。2010年には『ハハハ』が第63回カンヌ国際映画祭である視点賞を受賞。2016年に『Yourself and yours』(英題)で、第64回サンセバスチャン国際映画祭(世界第四位)・シルバー・シェル賞(最優秀監督賞)を受賞。

現在、ネット調べると本作『逃げた女』の主人公である妻の俳優とは別の女性と、ホン・サンスは不倫の疑惑が持ち上がっているようである。この点も、当然、彼の作家性に関係してくる。

作品リスト

豚が井戸に落ちた日(1996年)
カンウォンドの恋 (1998年)
オー! スジョン (2000年)
気まぐれな唇 (2002年)
女は男の未来だ (2004年)
映画館の恋 (2005年)
浜辺の女 (2006年)
アバンチュールはパリで (2008年)
よく知りもしないくせに (2009年)
ハハハ (2010年)
教授とわたし、そして映画 (2010年)
次の朝は他人 (2011年)
3人のアンヌ (2012年)
へウォンの恋愛日記 (2013年)
ソニはご機嫌ななめ (2013年)
自由が丘で (2014年)
正しい日 間違えた日 (2015年)
あなた自身とあなたのこと (2016年)
夜の浜辺でひとり (2017年)
クレアのカメラ (2017年)
それから (2017年)
草の葉 (2018年)
川沿いのホテル (2018年)
逃げた女 (2020年)

ヒマ・つまらない・分かりにくい問題

本作『逃げた女』は、普通に見たら、
主婦が3人の友人を訪ねておしゃべりするだけ、
の作品に見える。というか、かなりの映画ツウが見ても初見はそうなる

間伸びする会話、ぎこちない動き、狭いロケーション、音楽の無さ、ど田舎。

見放題などであれば、10分程度見ただけでやめて次に行くかもしれない。このダラダラ感はホン・サンスを知らない人には地獄だろう。しかし、本作は彼のファンはベストの名作だという。

それはなぜか? こういうヒマな作品で映画祭の評価が高い場合、必ず理由がある

全編ワンシーン・ワンカット:俳優にとって物凄い過酷な撮影

ではまず分かりやすいところから。

本作は、全てがワンシーン・ワンカットで撮影されている。ワンシーン・ワンカットは簡単にいうと、きり良いところまで、カメラを長回しして、ずっと演じ続ける。という手法だ。

きりの良いところと言っても、ホン・サンスの場合だと、だいたい5〜20分くらいになる。これは大変な長さだ。あなたは20分のセリフを覚えることができるか?

デメリットを先に言うと、これは俳優にとってとても過酷な撮影手法だ。

何が起きるかわからない、アクシデントがよく起きる、相手の突然のアドリブなども対応しなければいけない。必ず得られるメリットというものは存在しない、のに俳優は、監督・スタッフに見られている中でひたすら頑張らなければならない。

失敗する可能性も高い。リアルな時もあれば、ぎこちない時もある。ただ、一般的には感情表現が出しやすい、と言われている。

そしてこの手法はホン・サンスの得意とする手法で、ほぼ毎回この技を使う。

彼の映画では、俳優たちが、生き生きというか、必死にあたふたもがいているように見えて、そのあっぷあっぷ感が、なんだか面白いのはそのせいだ。

物語デザイン(主人公+3人のキャストを軸に)

次はこの『逃げた女』の物語デザインを見ていこう。初見でこの触りでもいいので気がつくようになれば、見終わった後の優越感をかなり実感できる。裏に隠された情報を見るのだ。

主要人物はたったの主人公を含め3人なので画像をつけておく。
※外国人の名前はえてして覚えにくいのでA・B・Cとする

↑主人公(超久しぶりの外出、慣れないパーマ(やや失敗)をしているところがキモ

↑登場人物A(Aは主人公の先輩で教師(演劇系の権威)。左:中央はAのルームメイト)

↑登場人物B(右)(アーティスト系の仕事 窓の外がど田舎で絶壁なのに注目

↑登場人物C(左)(学芸員:主人公から男(先生:大学教授・監督・評論家)を奪った)

主人公の設定

夫から「愛するもの同士は常に一緒にいるべきだ(ややキモい)」と言われ、その言葉通り、主人公の妻はほぼ夫の拘束され続けた。でもずっと幸せだった。

そんな彼女が久しぶりの外出を決心する(久しぶりの美容院でパーマも失敗)。

共通点 その1

主人公を含めた全員が、美大出身である。これは、特に説明がないので、物語の序盤は気がつかない。最後に男も含め、登場人物の全員が美大関係者だと知る仕組みになっている。

共通点 その2

主人公以外の全ての女が、男運が悪いと思っている。

主人公だけは、夫との関係が気持ち悪いくらい良好。

共通点 その3

主人公以外の全ての女が、都会が好きなの山の見えるど田舎に住んでいる。※各女性が初登場するシーンで、必ず、近所の山の絶景ショットが、バカにする感じで挿入される。

ちなみに、主人公だけは大都会のソウルに住んでいる。

過剰に幸せな主人公が、不幸な友達めぐり

本作は、さりげないフランス映画みたいな会話を繰り広げ、一見、たわいもない日常を描いている。だが、会話から読み取れる主人公3人の登場人物の間には、女性にとっての恐怖の溝がある。

主人公が「逃げた」のは、美大卒女のプライド地獄

ソウルからやってきて、ど田舎の山ばかりの土地を巡る主人公。

3人の友人は一見おしゃれな職業ばかりだが、全員、もれなくど田舎在住だ。

これは実も日本も一緒。

例えば、美術大学を卒業した学芸員が勤務するのは、80%以上が地方の美術館や公共施設、大学だ都会にアート施設が少ないというミスマッチは、日本も韓国も世界的にも同じなのだ。

手法は、おしゃれフランス映画。表現しているものは、韓国の格差地獄

この映画で表現されているのは、韓国の経済、キャリア、住居のドロドロの格差だ。

友人Aは、いいとして主人公のメンターでもあり、業界でもそれなりに権威があるのに、ど田舎の部屋の家賃を一人で払えない。そのため、無害な性格で料理がうまいルームメイトがいる。

周囲は、貧民街で、変な隣人が、友人Aの家にケンカを売りに来る(猫に餌をやるな、という超ライトないちゃもん)。穏やかな会話だが、とてつもなく揉める。

友人Bなどは、他人の家の二階部分に間借りしている。しかも狭い。

家賃をお願いして相当安くしてもらっているという話が、冒頭から語られる。そして、ストーカーに狙われており、主人公が滞在中にそのストーカーが家に来る(ここもフランス映画っぽい激しい恋愛シーンに見える)。ストーカーに家がばれているのである。

友人Cが最も滑稽である。

主人公は友人Cの働く美術館で元カレ教授の映画を見る。客は他にたったの1人。しかもゲストトークがあるという悲劇付き。

主人公からみんなの憧れである大学の教授(映画監督兼アーティスト)を奪い取っておきながら、その作品の観客はほぼゼロで、高尚だが全然人気がない。

しかも、教授兼監督はトークゲスト(客はたった1人)として待機している。そんな時に主人公はその教授と鉢合わせてしまうが、主人公はその別れた教授と話をする。

最後に主人公の女性は、思わぬ再会の連続で、自分の過去の悪い思い出と訣別できる。

こうやって、主人公は、女同士のプライド争いや不毛な男争い、過去の未練、わだかまりすら全て切り離されて、ますます一人だけハッピーになるのであった。

以上のような要素を映画から読み取り、映像と映像以外の楽しみを、ほくそ笑んで楽しむのがホン・サンスの特徴だといえる。

彼の映画には、いつも自分をモデルにした偏屈な人間(今回は教授で映画監督)も登場し、そこも面白い。こういうのが好きな人が、映画ファンには結構多いのだ。

わかる人にはわかり、わかったら面白いし、優越感もひとしおだ。これがハイコンテクスト映画の楽しみ方だといえる。

Q:ハイコンテクストな映画を見慣れるためには?

A:まず、調べる。というか、少しググるだけでかなりのものは対処できる。

劇場公開映画であれば、見に行く前に監督のウィキだの、映画祭での評価の概要などいろいろ調べる必要があるが、見ている最中に「わからない」と感じたときの対処ができない。

だが、配信だと見ながらのリサーチができる。時間が必要だったら、再生も止めていい。

つまり、慣れるまでは、配信で調べながら見るのがいいかもしれない。

調べることリストの例

  • 監督のウィキペディア(国籍、ジェンダー、宗教、過去作の評価)
  • 評価された映画祭の審査員コメント・評価レビュー
  • カメラマンやその作品でとられた演出方法(わかる場合のみ)
  • 似たタイプの監督の傾向や、その監督が好むジャンル
  • 上映された映画館(傾向がわかる時がある)
  • 配信の権利を持っている制作会社・版権購入会社(傾向がわかる時がある)

Q:ハイコンテクストを見るメリットは?

A:私の場合を以下に羅列しよう

  • 優越感(非日常感)
  • 物語以外の表現方法の感動(ストイックな娯楽)
  • 知的ゲームを解いた喜び(実感できないことが多いが)
  • 同業者のリサーチ(監督なので)
  • 思わぬ情報が手に入ることがある

まず、優越感について。楽しくないことを覚悟する場合、やはりこの優越感を目的にしないとやっていられない。なぜなら優越感は時として、娯楽性に優ることがあるからだ(私の場合)。

その次に物語以外の表現方法の感動だろう。

ただ、ストーリーの感動を超えるようなケースは珍しい。それでもこれは一度経験すると、不思議なもので結構満足度が高く、継続する。継続する、というのは、作品を見終わった後でも、パッケージやタイトルを眺めて、浸れるということだ

ちなみに、物語以外の表現方法の感動をこれまでで一番感じた作品は、アピチャッポンの一連の映画だ。これは過去記事を参照してほしい。

関連記事:三大映画祭の上のポジションにいると言われる映像作家:アピチャッポン・ウィーラセタクンのブランド戦略から、日本人が何を学ぶべきか を考える

また、知的ゲームを解く、なぞなぞや知恵の輪的な喜びもある。

少なくとも、わかりさえすれば、作品がすごくつまらなく、見るのに苦痛を伴うものでもなんとか見れる。また、損をした気持ちを幾分和らげることも可能だ(これは普通の劇映画では出来ない)。

以上。参考にしてほしい。

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