監督プロフィール

今 敏(1963年10月12日 – 2010年8月24日)は、日本のアニメ監督、漫画家。鰐淵 良宏(わにぶち よしひろ)の名義を使用することもある。北海道釧路市出身。2010年に膵臓癌で死去。
監督作品としては、PERFECT BLUE(1997年:ベルリン国際映画祭招待)、千年女優(2002年:ドリームワークスにより世界配給)、東京ゴッドファーザーズ(2003年)、パプリカ(原作・筒井康隆、2006年:ヴェネチア国際映画祭公式コンペティション)
見るべき人
- クリストファーノーランの作品が好きな人
- ジブリ作品があまり好きではない、大人向けのアニメ作品を見たい人
- 映像系の学生
- 大友克洋の作品が好きな人
- 平沢進(元P-MODEL)の音楽が好きな人
予告編
今敏は、大友克洋ができなかった多くのことが出来た
私の本作への第一印象は、このタイトルの通り、今敏は、大友克洋(アキラの監督)が出来ないことが、できる人という印象だった。
今敏はアニメ映画のというジャンルにおいて、大友克洋に弟子入りのような形で参入しているため、キャラクターの動きから造形、背景描写や世界観まで今敏は、大友克洋に似ている。

大友克洋は80年代から90年代の日本アニメの海外ブームを牽引した代表人物であったが、彼は日本国内ではおしゃれな文化人には愛されたが、オタクにはあまり好かれていない。
なぜなら、大友克洋は美少女を描けなかったからだ。
だが、今敏はどうやら美少女が描ける。また、シリアスなドラマに置いても、キャラクターとしての美少女を成立させることが出来ている。ここが、大きく違う。
また、突飛な演出やコメディ的な軽快感も、師匠の大友克洋にはできなかった。宇宙と近未来的な壮大感を作り上げることで、見やすさや微細なアクションといったものを犠牲にしがちだった大友に対し、今敏は、本作ではむしろ突飛な演出を多用し、コメディ感も要所要所で出せている。
ハリウッドが苦戦した“夢”というテーマを見事に作品化
また、本作で優れているのは、ストーリー構成である。
日本では溝口健二や黒沢明に始まって、夢を取扱ながらも、ストーリー構成でコントロール不能な複雑化やテーマの重装化(哲学的に重すぎる)しすぎて、うまくいっていない作家が多い。
また、ハリウッドでも“夢”の演出にこだわるものの、ストーリー構成がうまくいかないスパイク・ジョーンズやクリストファー・ノーランなどの作家などが多く、どちらかといえば“夢”を扱うことで泥沼にハマっている作家は、アメリカの方が多い印象だ(あとで調べたらノーランは、後にパプリカの影響を受けて『インセプション』を作ったいうことがわかった。確かにホテルのシーンはそっくりだ)。
その点、本作の今敏は“夢”を高度に扱いつつも、物語の複雑化とテーマの重装化を避けて、「コスプレ的な人間の欲望」という限定されたテーマを扱うのに成功している。
変則的なキャラクター構造と階層的な演出
この取り扱いの難しい“夢”を今敏はどのようにして扱ったのか?
それは、キャラクターを一人2役〜5役といった表現に切り替え、また、シーンの繰り返し演出でカバーした。特に林原めぐみの演じた千葉(科学者)/パプリカ(夢の中の美少女)という、年齢の大きく離れ、性格・容姿もかけ離れた設定はすごいと思った。ただ、原作は読んでいないので、ここが筒井康隆の設定の可能性も高いが、この点に着目した原作選びは、優れていると思う。
また、シーンの繰り返し演出でも、そのシーンが抒情的で感情的なシーンを厳選したのが功をそうしていると思う。観客が、ここで通常の“夢”の映画で取り残されることが多いからだ。
ストイックさを殺した平沢進の器用で再ブレイクをもたらす

また、平沢進の音楽の使い方も良かった。
なぜ良かったのかと考えたとき、平沢進の音楽のイメージである“崇高感”と“ストイック”をことごとく外した、なんと言うかキラキラ感満載の音楽の使い方が、いわゆる「音楽待ち」の感情を、見るものに与えたのではないかと思う。
映画の「音楽待ち」というのは、私が勝手に作った造語だ。映画特有の『ここでこの音楽がかかったらいいのに』というキラキラした感情を、ある特定の楽曲に抱かせる手法の別名である。
この「音楽待ち」も、師匠の大友克洋はできなかった。
本作はさらっと、多くの難しいことをやった
最後に、私が本作を見るきっかけを言っておくと、ドイツに住んでいる親戚から今敏の『パプリカ』のDVDをよくって欲しいと言われたのがきっかけだ。
その親戚は、年齢が80歳近くで高齢にもかかわらず、本作の評判をドイツの映画祭で聞いて、見たいと言ってきたのだ。それに、彼はもともとアニメを見る人間ではないのも意外だった。
おそらく、この作品で今敏がさらっとやった“難しいこと”は、日本の中にいるとすぐにはわからないと思う。こう言うことが本作を、彼の死後に再評価されるきっかけとなっているのだと思う。