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作品情報
解説(あらすじ含む)
若手映像作家の発掘を目的とした「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2016」で審査員特別賞を受賞した企画の映画化で、夏帆とシム・ウンギョンという日韓の実力派女優が共演したオリジナルストーリー。30歳でCMディレクターをしている砂田は、東京で日々仕事に明け暮れ、理解ある優しい夫もいて、充実した人生を送っているように見える。しかし最近は、口を開けば毒づいてばかりで、すっかり心が荒んでしまっていた。そんなある日、病気の祖母を見舞うため、親友の清浦とともに大嫌いな地元の茨城に帰ることになった砂田は、いつものように清浦と他愛ない会話をしながら茨城に向かうが、実は今回の帰省に清浦がついてくるのには、ある理由があった。
スタッフ情報
監督・脚本:箱田優子
撮影:近藤龍人
照明:藤井勇
録音:小川武
キャスティングディレクター:元川益暢
美術:井上心平
編集:今井大介
音楽:松崎ナオ
音楽監修:池永正二
キャスト情報
砂田夕佳:夏帆(幼少期:上杉美風)
清浦あさ美:シム・ウンギョン
砂田澄夫:黒田大輔
砂田浩一:でんでん
砂田俊子:南果歩
玉田篤:渡辺大知
冨樫晃:ユースケ・サンタマリア
大御所俳優:嶋田久作
伊藤沙莉、小野敦子、高山のえみ、水澤紳吾、水間ロン ほか
映画祭評価
受賞
第22回 上海国際映画祭アジア新人部門 最優秀監督賞(箱田優子)
第34回 高崎映画祭 最優秀主演女優賞(夏帆)
第34回 高崎映画祭 最優秀主演女優賞(シム・ウンギョン)
第19回 ニッポン・コネクション ニッポン・ヴィジョンズ審査員 スペシャル・メンション
上映
香港国際映画祭ヤング・シネマ・コンペティション部門
台北映画祭 国際ニュータレントコンペティション部門
ジャパンカッツ など
配給・海外セールス
ビターズエンド(濱口竜介・深田晃司などの作品を多く手掛ける)
分析:映画祭での女性監督の初監督作品とは
新人監督は、つまらない映画と切り捨てずに、深く見ていくべき
本作は、俳優の演技もストーリーもレベルが非常に低く、特に配信では最後まで見ることができなかった人も多いのではないだろうか? 一応、劇場公開もしているが興行収入は低い。
だが、なぜ私はこの作品に注目するのか? をこれから説明していく。
ここを知ると、世界の映画祭で確実に勝てる可能性が上がるのでぜひ注意して読んでほしい。
無意味なシーンが多いが、固定した場面が少ない
あらすじのわかりやすさに比べ、ストーリーはまるで気まぐれで、撮影しやすい場所でのみ撮影しているというのが目に見える本作。しかしながら、それはどこか脚本に縛られていない、印象をわずかながら与える。だが、珍しいロケーションはあるが魅力が感じられない。
また、DVカムで撮影される幼少期の記憶シーンでは、やたらめったら内障的な少女が出てきて、いわゆる農村の女性版リリーシュシュ的なショットが、ほぼ無意味に挿入される。
これらのことから想起できることが一つある。
それは、従来の基礎的な映画作品に対して、監督本人が”表現の模索”をしている、ということである。これは、成功するか失敗するかわからないものに挑戦して、それが全部失敗していても、ある特定の対象者には、功を奏する。例えば、デビューした頃の横浜聡子などの女性監督に多い。
だが、プロの専業監督になった今の横浜聡子にはこの片鱗はもう残っていない。
これがどういうことかというと、海外の映画祭が女性監督に求める要素の話になる。

そもそも面白い映画とは何かを問う作品
男性主導で作られた“映画史”に反抗する女性作家が、ダメもとで求められている
そもそも、映画監督という職業自体がこれまで体力主義で、男権主義、家長的な職業であったため、女性が異常なまでに少なかった。現在でも少ない。
そんな中で構築された“面白い”という考えには、近年多いな疑問を持たれている。
その証拠に、ネットフィリックスやU-NEXTなどの配信での映画の消費が始まると、そもそもがサーバーに膨大にライブラリ化されているために、これまでのアメリカ・フランス主導の映画史の概念が崩壊して、人々は権威的な作品をほぼ完全に無視するようになった。
映画祭という、映画の実験場ではこの傾向がもっと強く出ている。
かと言って、女性監督の「強み」や女性ならではの「面白さ」の探求は、まだまだされていない
そういう、以前は映画史とか映画演出法という形で、ガチッとあった方式は、消えたかというとまだまだ、いざとなった時に根強い。
そんな中で、女性監督に求められるのは、基本的には男性監督と違うアクションだ。これは女性だけではなく、LGBTのような性的マイノリティ全般にも強く適応される。
『ブルーアワーをぶっ飛ばす』の役割の果たし方
その点、本作『ブルーアワーをぶっ飛ばす』は、クオリティが高くはないが、男性監督(もしくは基礎を習得した監督全般)に求められるものの多くを拒否した作りだというのは、見ていてすぐにわかる。それが、男性には”未熟”“だだっこ”“若気の至り”に大体見える。
もしかしたら、単純に標準的なクオリティのものを作りたかったのに、箱田監督がそれに全然対応できず、現場が荒れて、馬鹿映画調になった可能性もあるかもしれない。
だが、それなりの工程(『TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM』の倍率や監督のキャリアなど)を加味すると、限りなく、意図しない馬鹿映画の路線は、薄くなる。
映画祭評価は誤訳がつきもの
そんなこんなで、本作『ブルーアワーをぶっ飛ばす』は、世界的に、特にアジア圏で評価が高い香港国際映画祭、上海国際映画祭、台北国際映画祭で新人コンペにノミネートされるという結果を出したのは、ちゃんちゃらおかしい、とは言えないのがわかるだろう。
だが、このような国際的評価には常に過大解釈、誤訳がつきものなのも間違いない。
映画祭の評価の流れは修正・否定はできない
それでも、ランクの高い複数の映画祭で評価されてしまうと、もう監督が『本当はいろいろ失敗して……』とかは、言えなくなり、実際関係なくなる。
国際映画祭の戦いというのは、そういう結果オーライな面が強い。
若手女性監督のやるべきこと
ここから、結論を書く。
若手映画監督は、できる限り無茶をすることが、実は大きなリスクヘッジ(リスクの防波堤)になるという意識をきちんと持って、映画を制作すべき、というのが私の結論だ。
本作『ブルーアワーをぶっ飛ばす』からその側面をぜひ読み取ってほしいと思う。
Q:どんな人が見るべきか?
A:繰り返すがLGBT&女性だと思う。
『ブルーアワーをぶっ飛ばす』の系統の作品は、実は探すとたくさん見つかるし、見れば見るほど、傾向がわかる側面を持っている(もちろん、傾向を見ようとする意識は必須)。
また、直近のモデルケースで同じ日本人の作品は貴重だ。
だが注意してほしいが、映画業界でレギュラー的に働く場合は、やはり通常のディレクター業務ができないといけないので、その辺の覚悟も裏では必要だ。その辺を意識的に見てほしい。