小説を使った『現実では起きない実験犯罪小説』。案外暗くない。全巻レビュー『罪と罰』(上・中・下)ドストエフスキー

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はじめに

ドストエフスキーが生誕して今年でちょうど200年目らしいことを最近、Yahoo!ニュースで知る。

文豪ドストエフスキー生誕200年 プーチン氏、博物館視察 ロシア

とても意外なのだが、プーチンは忙しそうなのにこういうイベントに出席したり、2016年にはドストエフスキーに関する大統領令にサインしたりなど、ものすごい熱のいれようで驚いた。

というわけで、今回、ドストエフスキー『罪と罰』について書いていくわけだが、おそらくこのブログに来る人の中で、読もう読もうと思ってて手が付けられないとか、名前だけは知っているが読んでいない、という人も本書の場合は多いだろう。なにしろ分厚いから。

そんな中、40歳を過ぎて、本書のような膨大で時間のかかる書籍を読んで、なんとかその「読むべきか、読まないべきか論」に終止符を打つべき情報を皆さんにご提供できたらと思う。

どんな人が読むべきか? 読まなくていい人はいるか?

本書を読むべき人と、読まなくていい人を想定しておく。

『罪と罰』を読むべき人

  • 世界基準を小説を読んでおきたい人
  • エンタメ産業に従事したい・する可能性ある人
  • 小説家を目指す人(100年前でも凄いクオリティが存在するのを知っておく)
  • ドストエフスキーのベストの作品を1つだけいので読んでおきたい人
  • 何がしかの犯罪をするかしないか迷ったことがある人

『罪と罰』を読むべきでない人

  • 最低40時間程度の読書時間を取れない人(オーディオブックなら15時間で読める)
  • 「犯罪」に興味がない人
  • ロシア人が嫌いな人
  • 1930年ごろの歴史的背景がわからない人

ある幸運な殺人者が「罪と罰の無力さ」に気づく、変な小説

ドストエフスキーが小説という形式で試みた『現実には起きにくい思考実験』

本書は、なぜこれほど世界的に大事にされるかを考えた時、そこには小説でしかできないことをした、という非常にわかりやすい結論に至る。

人間は、社会生活を行う上で、法律を作り、犯罪を定めた

犯罪を犯すと一定の罰を受けないと、人間生活が成り立たないという共通した思考を持っているからだ。これは、どんな裕福or貧乏な国にも一貫して共通した概念で、近代のルールである。

だが、ドストエフスキーはここに小説のネタがありそうだと思っていた。

犯罪を犯しても、罰せられないケースはあるんじゃないか? 犯罪を犯したほうが、生きることに喜びを見出せる場合すらあるんじゃないのか? そんなことを彼は考えた。

だが、これをそのままダイレクトに作品にすると人々の共感を得られることができない。

なら、しょうがない。できるだけ注意深くやってみよう。

そういう小説がドストエフスキー『罪と罰』である。

著者紹介

ドストエフスキー(1821〜1881)

本名:フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。

ロシアの小説家・思想家。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪。

死刑囚として勾留後、兵士として戦地へ。その帰還後に1958年に37歳で執筆

ドストエフスキーは執筆の数年前に思想犯として逮捕され、死刑囚として勾留されたらしい。しかもその後、兵士として戦地におもむき、帰国。その後に35歳という作家としては全盛期的な時期に『罪と罰』を執筆する。

そして、この特殊な経歴をフル活用して書かれた書籍が、本書ということになる。

おそらく彼は「人間って死刑宣告を受けても案外死なない」という強い意識と、彼本来の反権力思想、反宗教が絡まって、本作になった可能性が高い。

主人公:ラスコーリニコフについて

1874年に書かれた挿絵。この絵を見て、本書を読んだほぼ100%が「思ったとおりのキャラだ」と思うだろう

本書の主人公で犯罪を犯す青年:ラスコーリニコフは貧乏学生というキャラクター造形だ

彼のキャラクターは、いわゆる読書クラス(商売をしておらず、学生などの暇な貧乏人が対象)が感情移入しやすい造形に仕立て上げられているように感じる。本書を買って読むような人間を一人でも多く取り込んでおきたいというドストエフスキーの意図さえ感じられる。

恋愛もできて親友もおり、家族思いで、妹からも嫌われていない:特殊性の排除

歴史的な小説を読む時、気になるのが「その主人公、今もいますか?」的な問題だ

性格の真面目さ、不真面目さなどはともかく、異性とか、家族との関係は、少しでも特殊な設定をしてしまうと時代性が出てしまい、離れた世代に共感ができないことが少なくない。

だが、本書の主人公であるラスコーリニコフは、そういう特殊性が排除されている。

他のキャラクターは、その造形や動き、前提、語り口などのに特徴が見られるものの、この主人公には特色が以上なほどなく、描写もわずかな貧乏描写(帽子が汚い)とかくらいである。

ふつうな男だ。ここに、ドストエフスキーの大衆的な判断のうまさが感じられる。

不幸な出だしから下巻のハッピーエンドに関して

ドストエフスキーは、部数を売ることに何気に拘っている感じが多くの作品にみられる。

本書にもそれがあり、「恋愛の楽しさ」を書いている点が挙げられる

今の日本人なら、バリバリの共産圏の作家が、こういう商業的なセルフプロデュース力を持っていたことに驚くかもしれない。

『罪と罰』という重々しい感じのタイトルで、この辺のある種の裏切り感が本書を歴史的な名著に見せているのはあると思う。

神はいないけど、役に立つかも問題が裏テーマ

最後に、本書の最も現代的な要素を解説しておきたい。

主人公・ラスコーリニコフは、冒頭、反宗教で神は存在しないという思想を持っている。

だが、殺人を犯した後に逃げ回るうち、恋仲となったソーニャから、形だけでいいからキリスト教を信じてほしい、と言われ、聖書に向かって祈ったり、十字架を身につけて、十字を切る、みたいなことをさせられる。

これは、実は現代欧米の白人全般が抱えている問題である。

今の西洋人は全般的に、教会にほとんど行かない。だが、ここぞとなった時だけ、神頼みをするようになった。まるで日本人みたいな感じ。

宗教というのは、ようは人間の数少ないストレス対策なのだ。

この宗教=ストレス対策が『罪と罰』のウラテーマとしても機能している。

逆に言えば、ここがあるから、ある種の洗練された感じもあるし、特定の宗教を信じている人もスッと内容に入ってこれるものになったのだと思う。

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