三大映画祭の上のポジションにいると言われる映像作家:アピチャッポン・ウィーラセタクンのブランド戦略から、日本人が何を学ぶべきか を考える

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今回はいつもと打って変わって、ちょっと難しい内容をやってみたい。

だからと言って嫌いにならないで欲しい。ただ、アポチャッポンを知ることで、日本人が得られるものは大きいと思う。よかったらお付き合いください。

アピチャッポン・ウィーラセタクンとは

アピチャートポン・ウィーラセータクン(อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล, Apichatpong Weerasethakul, 1970年7月16日 – )は、タイの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、美術家。多摩美術大学特任教授。チェンマイを拠点に映画やビデオ映像、写真を制作する。

本人は、デビュー時からゲイを公言しており、その作品にもLGBTを扱う作品が多い。

主な長編作品(このほかにも現代美術作品やドキュメンタリー作品も多い)

2002年『ブリスフリー・ユアーズ』第55回カンヌ国際映画祭のある視点部門
2004年『トロピカル・マラディ』第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門 審査員
2006年『世紀の光』第63回ヴェネツィア国際映画祭 コンペティション部門
2010年『ブンミおじさんの森』第63回カンヌ国際映画祭 パルム・ドール
2012年『メコン・ホテル』第65回カンヌ国際映画祭 スペシャル・スクリーニング
2021年『Memoria』 第74回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門 審査員賞

概要

アピチャッポン・ウィーラセタクンは、私の記憶によると、頭角を現し始めたのは現代美術が先だったと思う。(彼を一番早く映画業界で評価したのは山形国際ドキュメンタリー映画祭だと思う)

評論家がこぞって語りたがる作家ではあるが、かなり実態の掴めない要素があり、評論家の評価はなんとなく、いつもハズレの印象が強い。

私の印象として、非ハリウッド圏で今、一番人気があるのは彼だと思う。

そんな彼の特徴を分析し、その戦略から日本人は何を学べるか? 

彼の作品でよく展開される3つの要素を元に考察していきたい。

(1)制限された暗喩主義だが、派手にやる

Mobile Men by Apichatpong Weerasethakul Short-movie from Stories on Human Rights, 2008年

この4分の動画は、彼が「人権」をテーマに作ったものだ。私はこの作品を、一番初めに横浜トリエンナーレ(2011年)で見ている。本作は彼の作品の中でも人気が高い。

本シリーズは、当時の若手で最先端の現代美術家を取り揃えたオムニバスだ。作家陣のラインナップは実にゴージャスだが、作品自体を見れば予算がないことが明確である。ましてや、彼のように地元で撮影しているので、費用をかけれても技術スタッフがいないのが前提である。

作品の分析

まずテーマだが、アピチャッポンがゲイであることを知らなくても、この作品は「ゲイに関する何か」を表現しているものだとわかる。裸で乳首を思いっきり強調した作品構成で十分だ。

また、物凄い速度で走る軽トラの荷台でゲイボーイたちが撮影しており(しかも一人は立っている)、事故ったらアウト(即死だろう)の超絶な危険な撮影手法をとっている。

つまり、インテリでなくてもこの作品のメイン要素『ゲイ』『危険』というのがわかる。この二つの要素がわかると、徐々に作品の深い要素もわかる人(わかりたいと思う人)には、見えてくる

この見どころがわかりやすいのが、アピチャッポンの特徴でもある。

そしてその特徴は、低予算で、一発ドリで、危険な状況の中、絶対ミスできないし、わかりにくいというのは許されない、という、いずれも制限の中で生まれている。

加えて、政治を扱うことには利点がある。

政治をメインテーマにすると、その作品はハリウッド作品などのハイクオリティで高予算の作品と、たちまち競えるステージに上げてもらえるのだ。

これを日本の作家は覚えておいた方がいい(日本人作家は政治から逃げがち)。

(2)貧困さ・不安定さを “武器” “ノスタルジー” に

『トロピカルマラディ』2004年

アピチャッポンは、インタビューでも答えているが、映画を撮影するときは、必ず地元で撮影し、クルーも自分を含めて6人程度の極限の少人数体制で挑む。そもそも、タイにはきちんとした撮影技術を持ったクルーは少ない。機材も少ない。

また、彼は、緑のうっそうとしげるジャングルは、近年では映像で少数派であることを知っている。

俳優も、彼の地元にはプロの俳優がほとんどいないため、その辺にいるおばちゃんやおじちゃん、素人たちをそのまま使う。そして、それらはえてして演技の下手さがそのまま映像に出ている。

味わい深さもなんにもない。極度に下手なものが多い。

フランス人監督(ブレッソンとか)や是枝監督のような“素人を使ってもリアル”なものではない。

しかしながら、アピチャッポンは、そもそもの作品のテーマ(タイのど田舎の神話とか)歩くだけ、笑うだけとかの誰でもできる「絶対失敗しない演技」で、キラーショットを構成するケースが多く、そのために起用した風に見えれば、結果的に俳優の演技の質は問われなくなる。

合成も上手くない状態でも効果が出るようなシュチュエーションを必ず用意する。

(3)暗闇を大胆に使う

『prosperity』 2008年
『Fan Dog』2016年 
グラフィック作品『悲しげな蒸気』2014年 

3つ目のアピチャッポンの特徴は、暗闇が多いと言うことである。
(これは彼の劇場用の長編でも同じだ。ネット上でいい動画がなかった)

もっというと、クライマックスが真っ暗なことも少なくない
これも長編映画でも同様だ

これは、おそらくタイのど田舎にそもそも電源がないのと、照明や美術(セットや背景の作り込み)の人員がいないのがあると思う。

また、ヨーロッパやアメリカ、日本のようなTVから派生した放送事故の文化が、おそらくタイにはないのだろう。先進国や日本などは、画面が真っ暗になることを、従来、技術部の人間(カメラマンや編集者)などが嫌い、それに伴いディレクターやプロデューサーが嫌って来たと言う歴史もある。

(アピチャッポンの作品の暗闇の長さは、ホラー映画の比ではないくらい長い

おそらく、この暗闇への抵抗感のなさは、最初、アピチャッポン自身も気が付いていなかったと思うが、それを最近結構意図的にやっている感じがしている。

人間は“暗闇に身構える”本能があるので、それが勝手に作品の解釈度を広げている節もある。

情報もないので、そもそも映像が記憶に残りやすくもなる。

出来ないことに、いかに“意味づけ”できるか

以上のように、今回はアピチャッポンの作家としてのコンセプトも、技術力も、なぜ人気があるか、好かれているかも全部すっ飛ばして、彼の抱えてるハンデキャップの活かし方だけを解説した。

このようなやり方で世界で戦っている作家は、実は映像の世界では彼が初めてだと思う。

このような“出来ない事”から組み上げるスタイルは、本来、日本人に向いている制作方法ではないかと、私はアピチャッポンを見ながらいつも思う。

今後、低予算で作品を作る人やそういう作品を鑑賞する人は、ぜひ、こういう世界があることを念頭に置いて欲しいと思う。

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