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作品情報
- 制作年:2017年(伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞受賞は2015年)
- 監督・脚本:澤田ダンサー
- プロデューサー:木滝和幸(マグネタイズ)
- エグゼクティブ・プロデューサー:木滝和幸 小林栄太朗 畠中博英(現役の不動産会社社長)
- 主要スタッフ カメラマン:西田瑞樹(CM系?)、制作:阿部史嗣(ドライブ・マイカー)、音楽:狩生健志(ミュージシャン?アイドルの曲も作っている)
- キャスト:高川裕也、志田彩良、瑛蓮、浜田晃、山田真歩、萩原利久、杉山ひこひこ、鳴神綾香、元気屋エイジ、生沼勇、堀田羅粋
中国人の土地購入を、特殊な語り口で作った映画があった
驚くべきことに、地方自治体が主体となって作られた作品
最近、ニュースとなることが多い、中国人の日本の土地買い占め。
私は、この話題を見ているときに、とある映画を思い出した。同じ東京芸大出身者であったこともあったが、この特殊な話題を特殊な手法で描いており、その辺も記憶に残った。
また、現在、TVドラマや映画で活躍している志田彩良といいう女優の長編デビュー作でもあり、彼女のその後の活躍の起点になった可能性も高く、そのほかにも萩原利久、山田真歩、浜田晃などの、このクラスでは普段見られないキャストも非常に気になった。
今回はこの映画について語っていく。
その作品は『ひかりのたび』という作品で、監督は30代後半で東京藝術大学大学院に入学したという移植の経歴を持っていた。私と同じ監督領域ではなく、彼は脚本領域で、長編映画で商業デビューするのは初であり、それは極めて珍しい。
私は、この作品を自分も出品したことがあった、とある国内の映画祭で見ていた。国際長編部門で公式コンペに選ばれており、その中でもとりわけ異彩を放つ作品だったと記憶している。
有力者が中国人に土地を売り渡す工程を描き、そこに女子高生の視点が加わる
この作品は、監督のトークショーの内容からわかったのだが、地方の映画祭が主体となって作られている。地方の土地を、外国人に売り渡して生計を立てる親子の物語であるのにも関わらずだ。
その映画祭は伊参スタジオ映画祭。群馬県の中之条町という、奥まった温泉街にある映画祭である。以前、私は新人の長編映画デビューに関して記事を書いたが、その中に含まれる映画祭だ。
東京芸大に在学時からこの映画祭に応募するように、事務方から言われてきたが、この映画を見て、なるほど、という印象を持つに至った。
関連記事:自主映画・長編映画のスタッフ&お金問題。映画監督たちは一体どうすればいいのか?(2)長編映画の最初の資金繰り・その後の信用
地方自治体が参画する映画は、どれも地方のメリットを重視する傾向があり、その点で陳腐に終わるものがほとんどだと言える。流通して国際的な評価を得るものも少ない。
だが、本作はそんなイメージを打破するくらい、地方自治体にデメリットが大きいと感じる。もしかしたら、その後の濱口竜介の『ドライブ・マイカー』(2019)もそうだが、この頃から地方発信の映画に、映画制作への損得勘定の考え方に少しずつ変化の兆しがあったのかもしれない。
特殊な切り口で表現:物語のマルチチャンネル化
あらすじ
娘の奈々(志田彩良)とともに町に引っ越してきて、4年になる植田(高川裕也)。
不動産業を営む彼(高川)は、訳ありの土地を買い占めてはそれを外国人(描写としては中国人を想定)に売り飛ばしていると噂され、地元で良く思われていなかった。
一方、妻と離婚した植田に男手ひとつで育てられてきた菜々(志田)は、高校3年生になる。それまで転校することが多かった奈々は、最も長く住んでいるこの町に、次第に愛着を感じ始めていた。
そんな中、彼女は、自分の住むその町で働きたいと強く思うようになる。
並行に進む複数のストーリー軸が、大きなテーマだけを共有する
この映画で描かれているのは「たった48時間の出来事」である。
映画のストーリーで、登場人物が複数いるケースとして、2日間の出来事を描くと言うのは、非常に短い。しかも、この映画は、出会うことがないメインキャストが大きな軸を作っている。
通常ストーリー構成は以下のような感じとなる(シングルチャンネル)

次に『ひかりのたび』のストーリー構造は以下の感じとなる(マルチチャンネル)

ストーリー構造で、物語のインパクトが大きく変わる
重要人物Cの山田真歩の効果が、他の作品にないクオリティをもたらす
ネタバレとなるが、上記の図の『重要人物Cの視点』の重要人物(山田真歩)の登場で、映画の閲覧者の視点は、三列に増加する。
ストーリーラインの複数化は、メジャーな作品で言えば、黒澤明『羅生門』や新海誠『君の名は。』ではも見られるが、これらはいずれも二列が限界だった。そこに、三列目を作って、それによって大きな効果を引き出したのが『ひかりのたび』の大きなポイントだろう。
ストーリーラインの複数化の効果とは
現実のリアルさを体感できる
このストーリーラインの複数化の効果は一体どんなものであろうか?
それを考える時に重要なのは、逆算する発想だと言える。つまり、シングルチャンネル型のストーリーの問題点について考える必要がある。以下、シングルチャンネル型の欠点を書く。
シングルチャンネル型のストーリーの欠点
- 物語の展開・結末が見えやすい
- たとえ内容に奇抜さがあっても既視感(陳腐さ)が付きまとう
- 安易に結末をつける傾向がある
- 人間のリアルな視点とは、大きく乖離した物語になりがち
- 結末に対する重みの欠如
これらに加えて、私が感じたマルチチャンネル型の利点は以下の通り。
- 記憶(過去映像)のぶり返し効果がある
- ソフトな内容でも、高度なサスペンス性を伴う(何が起きているか不安に思う)
今後このようなストーリー構造の作品が増える
配信時代の映画に求められるもの
最後に、私の意見を述べてみたいと思う。
配信時代になって、映画はライブラリ化されている。
実は、映画というものはこれまでライブラリされることがないまま、権威的な組織や人によって、勝手にランキング付されることが多かった。つまり特定の個人の趣味が大きく影響したジャンルなのだ。
それゆえに、実は映画の“面白さ”は軽視され、政治的な側面や、その映画がフランス系の映画術を採用しているか否か、が重宝され、大衆的な評価は否定されることが多かった。
日本ではその最大の戦犯というか、基準を作り上げてきたのがフランス語系学者たちであり、蓮實重彦や中条省平などのいわゆる高学歴エリートや、映画芸術などの一部の雑誌だった。
だが、それも現在は完全に崩れている。『映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~』などのそれは近年の映画を取り巻く研究書籍で明らかだ。
関連書籍:映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~
ストーリー面は、軽視されたり、見下されることが多かった
その中で、これまでなかったストーリー面への評価が新しい潮流として出てきているように思える。なぜなら、近年の日本アニメがこのストーリーという語り口を非常に重視しているからだ。
その中で、膨大なライブラリ化された映画というジャンルは、その結果激しいスピードで陳腐化するその対抗策として、ストーリーの新規制を、どのみち探求することになると思う。
フランス語学者が評価してきた「高尚な演出」は、映像を実際に扱うことが少なかった老年の学者限定で曖昧なものが多く、嘘もテキトウな評価も多い。その点、スマホ時代の人々は演出の機微のイメージがわかる分だけ、無視しやすく、それよりはストーリーやキャラクターの作り込みを求める。
それに、ストーリーは、作品情報や広告などの商業情報ともリンクしやすく、企業側(テレビがそうであるように)が利用しやすく、拡散もしやすい。
複眼的なストーリー構造が、旧作との作品の差別化に使われる
その点で、この『ひかりのたび』のような映画は、今後増えていくのではないかと、私は期待されている。このくらいの複雑さが、従来の「時間内に見る」のではなく、配信として、止めて調べたり、別の日に見ていく映画として、マッチしているように感じる。
かつての映画のシングルチャンネルのストーリーラインは、時間外に見るという前提で、肥大化した手法であり、今後は陳腐化して、手法としても使うリスクがむしろ高まるように思える。
ということで、今回はストーリー面での映画の評価について、『ひかりのたび』を見ながらいろいろ考えてみた。ご参照いただけると嬉しいです。