著者紹介

瀧本哲史(1972〜2019)
日本のエンジェル投資家、経営コンサルタント。株式会社オトバンク取締役(オーディオブック)、全国教室ディベート連盟副理事長等を歴任した。東京大学を卒業後、同大学の助手を経てマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、エレクトロニクス業界のコンサルタントを担当。2000年より、多額の債務を抱えていた日本交通の経営再建に取り組む。
目次
- はじめに 「武器としての教養(リベラルアーツ)」を身につけろ
- ガイダンス なぜ「学ぶ」必要があるのか?
- 1時間目 「議論」はなんのためにあるのか?
- 2時間目 漠然とした問題を「具体的に」考える
- 3時間目 どんなときも「メリット」と「デメリット」を比較する
- 4時間目 反論は、「深く考える」ために必要なもの
- 5時間目 議論における「正しさ」とは何か
- 6時間目 武器としての「情報収集術」
- 7時間目 「決断する」ということ
概要(ブログ主の勝手なまとめ)
瀧本哲史は、京都大学の20歳前後の文系学生に向けて、『起業論』の意思決定メカニズムの講義をしていて、ある異変に気がついた。
自分の授業に本来履修課程に入っていない医学部の学生が結構いるのではないか?
調べてみると、本来の文系学生よりも医学部の学生の人数がダントツに多かった。
京大医学部生の貧困不安を発見する
それはなぜなのか?を著者は直接医学部の学生に聞いてみることにした。
するとわかったのは、京都大学という日本のトップの医学生でも将来は暗く、医師であれば金持ちになれたという時代はとうに過ぎ去り、彼らは自らが何某かの意思を持って、起業したり、海外への転職などのキャリアを構築していかなければ、貧乏になってしまう、と考えていたのだ。
医学部卒の学生が通常の学生よりもリスクが高く、現実に金銭に困る世の中になっていた。その理由から医学部生が、医学部でも履修可能なリベラルアーツ分野の瀧本の授業を受けに来ていたのだ。
京大医学部生が学んだ“起業”とは
本書では、主にディベート技術を元にした、日本人に最適な意思決定プロセスを解説している。
ただ、瀧本がマッキンゼーに入って本格的に学習したディベートの技術をそのままは伝えていない。それらを、日本人ならどうやって日常で使えるか? に終始している。
内容は非常にシンプルで、日本人は特に本書を読むことでディベート術の習得に関して、しがちだった遠回りをしないで済む。詳細はここでは語らない。
ディベートが苦手な日本人に向けた独自の書籍
ディベート術の本は、苫米地英人氏などの帰国子女組の本に優れたものがあるが、そういう書籍は、えてしてそのままだと日本社会では使いにくく、遠回りをすることが多かった。
そういう点で、本書はとりわけ簡素で優れた書籍だと思う。
Q:読むべき人はどのような人か?
A:本書の冒頭でもあるように、金銭的な不安がある人は誰でも必要な知識だと思う。企業の要は意思決定プロセスだ。というか、今や、このような意思決定プロセスと自分の仕事を切り離して考えることができることはできないだろう。
医師のような一生食えたような仕事は、今後どんどん縮小していく。
それどころか、もう産業自体がいきなりなくなる可能性もある。そうなると、全く違う分野に鞍替えが必要になるかもしれない。
本書では、オークションサイトを運営してたが、ヤフーがヤフオクを開始したことで、一瞬で廃業の危機に陥ったDeNA(元々オークションサイトを運営していた)の例を出している。現在のDeNAは、創業者の南波氏による高度な意思決定プロセスに支えられて、ゲームサイトなどを運営する大企業として君臨しているが、危機は一瞬で訪れ、意思決定やコンセプト変更が瞬時に行えないと、破滅することを証明している。


Q:なぜ日本人はディベート思考ではなかったのか?
A:大企業や製造業などの、年功序列型の日本の主軸産業の調子が良かったからだと思う。
従来の大学新卒は『自分で不要なことを考えず、事務処理能力が高い人材』が求められた。だが、今やその事務処理能力に置き換わるAIなどの技術は進歩したたため、そもそもの人間の事務処理能力が不要とされている。もっと簡単に言うと、現在の正社員は、昔(1990〜2000年代)でいう取締役や役員クラスの仕事をするようになっているのだ。
そうなると、もう新入社員であっても正社員なら、研修が終わり次第、次々と役員クラスの意思決定の伴う仕事をさせられる事になる。弁護士や会計士の高級資格でさえ、今や国家の看板だけでは食べることができず、意思決定センスを求められるようになってきている。
Q:瀧本はなせ、ディベート術を簡素化できたのか?
A:アメリカのディベート術は形式主義・実践主義でできあがっており、理論の言語化・最適化されてないものが多い。その理由は明白だ。アメリカは、ディベートが文化としてあるため、いちいち解説する必要がないのだ。英語という言語も、ディベートに適している。
それに対して、日本語は曖昧さと空気を読むという後ろ向きな特徴が大きい。
これはこれで、海外でも威力を発揮することがあるのだが、意思決定プロセスでは常に、欠点がつきまとう。これは中根 千枝の『タテ社会の人間関係』の解説でも書いたが、日本の組織論に関わってくる問題で、そう簡単には、社会全体の教養としての改革ができない。
そのため、効率的な意思決定をするための学習は、日本では個人がそれぞれ独自にアメリカの資料などを取り寄せるなどして、地道にやっていくしかなかったのだ。
ゆえに、間違いや未完成なものを、取り入れてしまいがちとなる。
そこに、瀧本氏のような実践的でわかりやすく、日本人という特殊な環境にいる人間に解説できる人間の登場がどうしても必要となる。翻訳洋書では到底不可能なことだったのだ。
Q:著者はなぜ、この本を書いたのか?
A:瀧本氏は、個人主義の世代(戦後左翼の代表的な性格)でありながら、日本の衰退のことを重く考え、自分ができることをやっていきたいというところがある。こういうのは、私たちの世代を含める団塊ジュニア世代では、結構珍しい。
ただ、彼自身はエンジェル投資家であり、今でいうセミリタイアなどは簡単にできるくらいの富豪であったことが、彼をこういう性格を変えたのではないかと思っている。エンジェル投資家というのは、1億くらいの少ない資産ではなれない。最低でも10億から100億くらいは必要だ。
つまり、知識人で富豪である、という特殊度が高いポジションにいたことが理由だと思う。