作品販路の政治的な意図が強く、駄作要素が多い。抑揚のないストーリーだが撮影監督の技量に注目『ノマドランド』クロエ・ジャオ

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制作背景について

本作は2017年の原作小説『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』をベースに構成されていると言われている。本作の映画化権利を取得したのは、本作の主演でもあるフランシス・マクドーマンドとプロデューサーであるピーター・スピアーズである。

つまり、主演女優自身が、映画化をするために動いた作品である

配給会社公式サイトから引用:主演のフランシス・マクドーマンド

配役の激減を、自身のプロデュースでカバーする

映画のストーリーは、10歳から70歳という人間年齢の分布から一番視聴者層の多い15〜40歳を中心とした登場人物構成に絞られていく傾向がある。これは、人間が期待値を持ってキャラクターを見ようとする市場動向ともいえ、時代によっては若干の変動はあっても、大きくは変わらない。

つまり、俳優としての需要が多い45歳を過ぎると、出演作が減り、それに比例して主要人物へのキャスティングが減っていく。

ハリウッドやカンヌ・ベルリン国際映画祭組の俳優は、これに対し、常に自分(特に50〜70歳代)が出演できそうな映画の権利を探す傾向がある。その結果、多くがプロデューサー兼俳優として晩年を生き残ろうとする。

マクドーマンドと同世代のイザベル・ユペールなどは、特にその傾向が強い。

近年、自身の主演作の多くにプロデューサーとしてもクレジットされるイザベル・ユーペル

ヴェネチア国際映画祭グランプリ→アカデミー賞作品賞

キャリアの長い俳優は当然、映画祭でも力を発揮する。人脈も広く、既に過去作での広告効果もあるため、作品の情報は行き渡りやすいため、マーケットリスクも低い。

特に近年のヴェネチア国際映画祭では、ハリウッド俳優が主演キャスト兼プロデューサーでクレジットされた映画がコンペにノミネートすることが激増している。

このルートは過去記事でも書いた通り、かなり仕組まれたルートである。

関連記事:国際映画祭の応募・上映・評価について(1)権威性と選定基準

テーマは白人の凋落。だが、浅い:不幸のエンタメ化の否定

作品の内容にネタバレをせずに触れておく。

当初、マクドーマンドがアマゾンでのバイトをするシーンで、搾取だという声が上がったと記憶している。だが、本作でのアマゾンの扱いは、どちらかという「社会のセーフティネット」で、ああ、だから撮影了承したんだろうなという印象の方が強い。

そういうのも含め、社会派的な側面が、ことごとく浅はか処理で終わっていく。

アメリカンニューシネマなどを好んで見ている人たちには、近年(ここ3年)のこのアメリカ映画の浅はかさは、無視できないものになっていると予測できる。しかしながら、ここまで続くと、逆に私は、これがアメリカのメッセージであり、今はアメリカが国内問題の流出を、国民全体が望んでいないのではないかと感じる。例外として『ジョーカー』などがあったが、あれはあくまで時代劇なので、現代性はない。

つまり、かつてあったアメリカの底辺像を、かき集めて絞り出して、露悪的に晒す『不幸のエンタメ化』が、本作でも敬遠されているのが明白である。簡単にいうと、実写映画全体がディズニー化しており、もしかするとその意味では、この方が興行成績を叩き出せるのかもしれない、とプロデューサーたちは考え始めているのかもしれない。

監督について:演出意図が感じられない

当然、首謀者が俳優であるという側面を持つ映画は、演出に過大な比重をおくスタイルの監督を嫌う。以前はミハエル・ハネケとのコンビで知られたイザベル・ユペールなども、近年では作家志向の強い監督とは組まない。

本作の監督であるクロード・ジャオは、39歳という監督としては最年少に近い年齢と、同性の監督であるということ、キャリアが長編2作目ということで採用された可能性が高い。簡単にいうと、主演女優のいうことを聞きやすい人選ということだ。

ウィキペディア引用:監督のクロード・ジャオ 2010年に短編作品で監督デビュー。長編は同作で2作目、ほぼキャリアはないに等しい

本作を見ていて、私は『あまりにも監督の演出意図がなさ過ぎる』と感じた。だが、いろいろ調べていくうちに、それが腑に落ちた。

具体的に言うと、マクドーマンドの単独登場する引きのショットで、間延びした箇所が多い。

マクドーマンドは歩く芝居があまり上手くないのに、足が長くうつりすぎている。ショットのバランスが悪いにもかかわらず、作品の尺が国際市場で売りやすい1時間45分スレスレ(これ以上削るとグレードの低い作品だと扱われかねない)のため、切れなかったことが容易に想像できる。

編集権をプロデューサー(マクドーマンド)が保有するのでは仕方がないかもしれない

ただ、中国出身でただでさえ人員が少ない女性映画監督である。映画業界は傾向として、女性監督を優遇するケースが多い。当然である。男性ばかりが賞を取るのは時代に合わないし、力量が低くてもどこかで評価をし、市場を盛り上げてからでなければ、女性監督人口の増加はできないからだ。

以上のことから、今回のアカデミー監督賞受賞は期待値受賞という判断だ。

彼女の個性は今回、ほとんど映画の内部では出ていない。

撮影監督について:こちらは高評価。新トレンドになるだろう

撮影監督のジョシュア・ジェームズ・リチャーズ。今後の活躍が期待される

逆に本作で光ったのは、撮影監督のジョシュア・ジェームズ・リチャーズである。
彼は監督と違い自分の個性を出した。

以下が、IMDbでのジョシュア・ジェームズ・リチャーズのポートフォリオだ。屋外撮影のノーライトもしくは照明演出をあまりしない撮影に特化した撮影監督であることがわかる。

また、撮影監督でありながらも自身でオペレーションをしたり、本作ではトレーラーハウスも自作するなど、美術監督としても優れており、演出面はおそらく監督よりも仕事をしている。

参照:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズの特集記事

アカデミー作品賞= ◯ハリウッドの政策提言 ✖️面白さ

総じて酷評に近いレビューだが、そもそもアカデミー作品賞(プロデューサー協会賞)は、実質的なグランプリ作品であり、大統領選挙などに左右されるほど、ハリウッドの政策トレンドが強い。つまり、作品賞はトレンド性が大事で、面白さは不要なのだ。

今後、このノリの作品を増やしていくという意味で、業界人は当然、本作を学習教材として扱い、本作は今後20年ぐらいのトレンドを作り上げていく。

そういう意味では、非常に重要な作品だと言える。

ワインスタイン事件以後「不幸のエンタメ化」は下火になった

eiga.comより引用 ハリウッドの大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン被告に禁錮23年 謝罪口にせず

最後に一点、伝えたいことがある。

ハリウッド映画は、結果的にハーヴェイ・ワインスタイン事件が大きな転換期だったということだ。

ワインスタイン事件以前は、非常にストーリーの起伏が激しく、かつ過激な演出で、主人公がどん底に落ちるような作品が多く、当然、アカデミー作品賞もその傾向があった。作品でいえば、『ムーンライト』あたりまでが、そのような強い傾向が続いていた。

しかし、彼が消えてからはこれがストップしている。

これは1960年代のアメリカンニューシネマからずっと続く「不幸のエンタメ化の終焉」だと言える。終焉は言い過ぎだが、少なくとも結構な期間、停止している。

もちろん、たった一人の影響でそこまでトレンドは変わらないとも言えるが、間違いなくワインスタインの手がけてきた作品の特徴としての主人公がどん底を這い回る傾向はもうない。

むしろ今、この傾向をフェイクとするような『ノマドランド』のような、一見激しそうに見えるが、抑揚のない平坦な物語が好まれるようになってきている。

ハリウッドは1960年代からずっと『不幸のエンタメ化』政策を行ってきたのだが、ワインスタインが不在になって、この伝統が確実に弱まっているのだ。

ワインスタイン事件後のハリウッド総括は、もうそろそろ傾向が固まる

このようなトレンドで、もうそろそろ4年が過ぎようとしている。

その間にはコロナがあり、ネットフィリックスなのどの進出も進んだ。

そのことから考えるとハリウッドの政策転換は、4年ぐらいのテスト期間があったとしてもそろそろ固まるのではないだろうか。2022年ぐらいに、何か象徴的な出来事が起きそうな気配がしている。

果たして、アメリカが1960年代から続けてきたこの「不幸のエンタメ化」は、本当に終わってしまうのだろうか? もし終わったら私も頭を切り替えなかればいけない。

来年の作品賞が個人的には待ち遠しい。

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