著者紹介
本谷有希子
1979年生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。2011年に小説『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、2013年に『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞、2014年に『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞、2016年に「異類婚姻譚」で第154回芥川龍之介賞を受賞。
戯曲と4冊の小説を読んでみて系統を探る
けっこうひょんな成り行きから、私は本谷有希子の小説を読むことになった。それは某映像作品の資料ということで、その作品は彼女とは全く関係ない。しかし、どうせだし、元々本谷有希子は同世代なので、今まで読んできた彼女の作品からその流れ・系統みたいなものがわからないか、そういうまとめだけしておきたいと思った。以下、私がそれぞれ勝手に分析していく。
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2000)
正確には本ではなく、演劇が収録されたDVDを見ている。
2000年ごろの演劇状況を私は少なからず知っているが、プロレベルでもストリー構成はひどいものが多かった。そんな中で、本作はかなりいいのがわかる。本谷さんは、おそらく、デビューした時から結末から逆算してストーリーを構成できる人だったんだと思う。これが当時、本当に難しいことだった。
2000年代は、映画も演劇も出だしは華々しいが、結末に連れてだれていく作品が多かった。PC(wordか一太郎)でストーリーを書くということが当時は常識となり始めていたが、まだまだ手書きの人間が多く、そうすると自然にストーリー構成術が限られてくる。
手書きやストーリー構成黎明期の作品というのは、たいてい、最初だけ頻繁に書き直しをし、後半はとにかく早く終わらせたい、という流れで書かれるため、作品としての締まりがない。当然、最後までその作品を鑑賞した後に、興醒めするケースが増える。でも、その興醒めが当時は主流だった。
本作は、2021年現在で考えると大した内容でも物語構成でもない。だが、2000年当時の状況で考えると、非常によくできていると言える。本作を今年見た私は、本谷さんの基礎力に感心した。
関連記事:作家分析シリーズ:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『自分を好きになる方法』
『ぬるい毒 』(2011)
個人的に振り返ってみてみると、この頃が彼女のピークだったと感じる。
本作は、2016年に芥川賞取る前の、最後の落選作だ。
2013年に本谷さんは結婚して、2015年に出産を経験するが、その私生活の進展を経験する前の最後の作品と言っていいのかもしれない。そういう意味で、デビューからずっと続けてきた『日本では、なぜ、美人は不幸になるのか?』という彼女の命題の最終到達点のような気がする。
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しかし、残念なことに、結婚と出産を経験してしまった、本谷有希子は、この本当はかなり大事で世界戦略に欠かせないテーマを、この後投げ捨ててしまうことになる。
関連記事:作家分析:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる(3)美人がブサイクや低所得男と結婚するのは100%馬鹿である。都合のよい真実の愛は存在しない『ぬるい毒 』
『自分を好きになる方法』(2014)
勝手に解釈すると、本作は目的を喪失した本谷さんの迷走時期の作品だと思っている。
映画でいう、北野武監督の『監督・ばんざい』とか、そのへんだ。
しかし、この時期になると彼女は、いくつかの主要文学賞を受賞し始めていたし、映画化作品が生まれており、編集者がついて時間をかけて、技法を習得できるように予算付きがされ始めていただろうから、着々と「芥川賞取れたらいいね、取れそうだね」的な流れになっていったと思う。
小説の技法としては、前作の『ぬるい毒』よりもかなり手慣れた印象を受けた。
関連記事:作家分析シリーズ:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『自分を好きになる方法』
『異類婚姻譚』(2016)
まさかこんな文豪が書くような作品を繰り出してくるとは、という印象が本作にはある。
技巧が優れている上に、文学史が追求してきた文章表現の境界線に、とうとう本谷さんが乗っかった感じがする。
アマゾンをレビューなどから、女性のヒステリー性とか、美人がどうして不幸になるのか的なテーマで、萌えてきて男性ファンが、この作品で一気に決別したのが読み取れる。
本谷有希子のファンの大多数は、男だったのだ。
多分、この作品で芥川賞を受賞したせいで、今後の本の売り上げは一気に減るのではないだろうか?というか、元に、アマゾンではレビュー数が激減しているので、そうなっていると思う。
技術も内容も申し分ないが、なにせ、他の人にできなった『美人の不幸性』というテーマを捨ててしまったが故に、もしかするとこの作家は、最も脂が乗り切った時期に、一番売れない時期を過ごすのではないだろうかと、私は本書を読みながら思った。
関連記事:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる(4)芥川賞収録『異類婚姻譚』。つまらなく、自身の良さを全て殺して賞を取りに行く。だが、賞を取ると、後々本は売れにくくなる
『静かに、ねぇ、静かに』(2018)
案の定、これまでで(4作品しか読んでいないが)一番、レベルが低く、未消化な作品が生み出された。ただ、この傾向の変化を、実は私はそれほどひどいものだとは思っていない。
彼女は、自分がもう若者の部類には入れず、一般的なSNSでさえ、取材仕切れない、ただのおばちゃんだということに気がついたと思う。これは『美人が不幸になる』を続けていても、ちょうどこの年齢くらいに起きることだったと思う。
それでも、知らないものを取材して、小説を書こうというスタンスが本作にはある。
それが、今後の彼女の作家としての習熟を必ずいい方向に向かわせると思う。
関連記事:作家分析:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる(2)インスタの仕組みがわかっていない作家が無理して書いたSNSシリーズ『静かに、ねぇ、静かに』
芥川賞は私小説の賞だが、OBは受賞後すぐに私小説をやめなければいけない。それに、2018年すぐさま気がついたのはえらい
芥川賞の生みの親の芥川龍之介は、実は私小説家ではない。
だが、芥川賞は太宰治の怨念によって、私小説の賞になってしまった。
日本では、私小説のパイオニアである太宰治が偉すぎるので、私小説では売れない。作家として、生計を立てていくほどの売り上げを上げることができず、どこかで取材を入念するタイプの作家になっていかなければいけない。太宰治よりも面白い人生を送り、そしてそれなりに若い時に自分で自分の人生を終わらせる、という作家以外は全てそうならないとダメになった。
私は、2018年の『静かに、ねぇ、静かに』は酷評したが、そのカジの切り方はさすがだと思うし、『美人は不幸になる』を、あっさり捨てたのも、もしかすると、この本谷有希子という作家の延命対策としてはいいのかもしれない。感想をまとめてみてそう思った。
ちょっと中途半端だが、こんな感じで終わろうと思う。