著者について
本谷有希子(1979年生まれ)
日本の劇作家、小説家。演出家、女優、声優なども兼ねる。石川県白山市出身。「劇団、本谷有希子」主宰。夫は詩人・作詞家の御徒町凧。「幸せ最高ありがとうマジで!」で第53回岸田國士戯曲賞、『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞受賞、『異類婚姻譚』で第154回芥川龍之介賞受賞。
読んだ理由:仕事
単純に言ってしまうと、とある仕事で女性のキャラクターを考えてくてはいけなくなったからです。
それまで、私は本谷さんの著者も舞台も見たことはなかったが、なんとなく自意識過剰なイメージがあり、そういう女性というのは、キャラクターの作り込みをきちんとするという印象があった(例:新井素子、筒井ともみさんとか)。逆に自意識が低いと、目立つキャラだが、いつも同じ設定を作りがち(高橋留美子、西川美和さんなど)。
対象2作品でわかる特徴:女の老いの恐怖
本谷さんの2作品を読んでわかったのは、この人は女性の老いの恐怖を描くのが得意ということである。これは、私の中では非常に思った通りの展開だった。
美人or美女と評価される女性は、数倍、老いを恐怖する
実際作品を見る前に、私は本谷さんのリサーチとしてYoutubeにある動画を全部見てみた。本谷さんはかなり美女であり、ご自身でも外的評価をよくわかっている感じだった。
あえていうと女性作家で、美人である時期が過ぎると、なぜか能力も停滞する作家が少なくない。おそらく周囲の評価も割増されるところがあるが、やはりこれは女性という生き物につきものな、自己肯定感の時限爆弾だと私は思っている。
私がチョイスした2作品は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は2000年の彼女のデビュー作で、数々の最年少記録を更新したという記述がweb上で見つかった。また『自分を好きになる方法』は2014年で彼女が35歳でそろそろ子供産まないといけない、手遅れになる、と思っていたかもしれない頃の作品だ。この時期の情報を私としては使えるだろうと思った。
きっと、賢い彼女のことだから、子供が生まれたらまた次のステージに行くだろう、ということは『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を見るとよくわかる。だが、その辺は今回、興味の対象外だ。
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(DVD鑑賞)
この作品のテーマは、美人だが低脳の姉が、年を取って何者にも慣れずに都落するというものだった。予告編もレビューも見ずにDVDを買ったが、予想が当たって助かった。
内容は、まさしく、老いを恐怖する姉の大暴れるするないようだった。基本的に、本谷さんの作風は、落ちを考えるのではなく、設定と背景を徐々に構築していき、最後は自然に任せる、という感じに思えいた。なので、後半の驚きはないし、彼女がそれをあんまり求めてない感じがした。
ただ、ちょっと引っかかったのは、このテーマ(美人無能女優の都落、老いの恐怖)は、例えば村上龍とかの方が上手い、つまり男でこれを得意にする人は多く、彼女はまだ甘い感じがした。それでも演劇界では、こういう作家はいなかったのだろう。
『自分を好きになる方法』(電子書籍)
私は、こちらの方を興味深く読んだ。
主人公の女性に関して、美しいともブサイクとも書かれない。そんな彼女が、結婚に失敗し、最後の婚期も逃して意地悪ばあさんになってしまうような話だが、結末を悲劇的に書かなかったところが、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』よりだいぶ成長したなと、周りにいろいろ言われたんだろうな、と感じたからだ。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』はその分、型通りでつまらなかった。
ほとんどの男は、女性がいじわるばあさんになる工程を知らずに、死ぬと思う。だが、50くらいになると、周りはいじわるばあさんだらけになる。それが本作では実にエレガントに書かれていた。
2作品から推測する本谷有希子の特徴:不器用さ=演じること
最後に、たった2作だけで超強引だが、彼女の作家として能力をまとめてみたいと思う。
彼女は、きっと創作を続け、お局になると思う。第二の瀬戸内寂昭かな。いいと思う。
なぜそう思うというと、男性にはできないものは何か、というのをどこかでつかんで、かつ、ここが重要だが、それを男性に売り込める自信がありそうからだと、勝手に思う。
なんでそう思うかというと、彼女の作品は、男をあまり悪く書かないからだ。無駄に敵をつくらず、売れるなら部数を売ろうとしているような、宮崎駿のような、影的な売り上げこだわり感を感じた。いいことだと思う。タイトルにこだわるところも、その辺のあらわれかと思う。
しかし、特徴がないといえばない。不器用さもない。同じこともやらない。
あえていうなら、不器用さ=演じること だと思っている。
売り上げ度合いや、歴史に残るか否かでは、実際、不器用で同じことをやり続ける人が勝ちやすい。その不器用とは、人から叱られてもどうにもならない人間という意味だ。とはいえ、そのへんが、本当は彼女の中にあるのではないかと推察するが、この2作品ではわからなかった。
男性に出来なくて自分にできるものを知っているのはいいことだが、多分、その線では、ズバッと大ブレイクする、とは思えない。今後、その辺を作品かしたものに出来わしてみたいと思う。