作家分析:本谷有希子に興味がなかった、私が本谷有希子を語ってみる(3)美人がブサイクや低所得男と結婚するのは100%馬鹿である。都合のよい真実の愛は存在しない『ぬるい毒 』

書評

著者紹介

本谷有希子
1979年生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2006年上演の戯曲『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。2011年に小説『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、2013年に『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞、2014年に『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞、2016年に「異類婚姻譚」で第154回芥川龍之介賞を受賞。

読むべき人

  • 貧乏で死にたくない10代の美人女性
  • 男社会で苦しむ全ての美人女性
  • 自分の若さと美しさをきちんと利用しておきたい人
  • 地方社会のペナルティ性に苦しむ人、そこから逆転を狙っている人
  • 都落ちしそうだけど、なんとか都会で頑張っている貧乏人

田舎の全ての美人女性に向けて描かれている

本書は、向伊という東京の大学に入学した男が帰省したときだけ会う熊谷との疑似恋愛を通して、美人がどんなに男たちの「視線」「会話」「態度」で攻撃されているのかを表現している。

それでおいて、例えばその地域で一番の美人で育ちのいい女性であっても、ブサイクで低学歴で貧乏な男の下の下のヒエラルキーに落とし込まれてしまうリスクをも表現している。

そういう社会が、現に存在していて、おそらく本谷有希子がそこにいたことがわかる。

美人がいかにして、男社会に苦しむのか?

ブサイクで低所得の男と結婚する美人女性が、時々いる。

時々ではない。田舎では特に、かなりの割合で存在している。

それは男にとって、とても良い話として扱われる。また、女にとっても「真実の愛」を見つけた、的な話題に勝手に処理されることがある。

だが、本書を読むと、普通の感性を持つ人間ならば、それが当然疑われるべきものだとわかる。美人は、人生で行使すべき“権利”“武器”をなぜ放棄したのか? それを知る必要があるのだ。

美人にとって、低レベルの男との結婚は、全て悪である

本書を読むにつれて明らかになってくるのは、美人の本当の希少性の評価の難しさである。そして、美人は本当はかなりの可能性を秘めており、成り上がりが容易であるという事実でもある。

読者で、この熊谷という美人が、自分が上京するために使ったこの向伊という男を、やがて簡単に捨てることや、結婚してハッピーエンドにはならないことを当然知るだろう。むしろ、その先の見込みがわからないで本書を読み終えたものは馬鹿だと思った方がいい。

それだけ、著者は、美人に生まれたことは力だということを主張しているのである。

日本文学史で、太宰治のポジションを狙っていた頃の著者

私は、ふとしたきっかけでこの著者の本を読んだ。

だが、初期の本と40代の近年の本だけしか手に取っていなかった。このような全盛期が、彼女のポートフォリオにあるのを、本書で初めて知ったのである。

日本の文学は、戦後、太宰治の深い影響を受けてきた。

彼の切り開いた“私小説”は、自意識過剰な堕落した、遠慮がちだが陰湿な人間を描くことを得意としており、結末の均一性、平等主義はすざまじい。一見、本当に人間の本質を描いているかに見えてしまう。故にほとんどの作家が、太宰テイストに抵抗しながらも大きくはここに含まれた。女流作家も同様である。

みんな本当は恥ずかしい自分を抱えて、恥じらいながら生きている。

そういうテーマを、ほぼ残念だが戦後の全ての作品が抱えて世に出てきた。

しかしながら、本谷有希子はそれと違う“差別主義”、つまり人間は同じところに落ちない、という物語をやろうとしている。女性であるがゆえの現実の苦しさを伴いながら、太宰治のようにスッキリはいかないが、迷いながら、けっこいいところまで来ている

彼女の本を読むと、誰しもが、人間が生まれながらに平等ではないことが、よくわかるのだ

女性「性」をメインにすると部数が売れないジレンマ

だが、アマゾンレビューを見ても、この時期の彼女の作品はレビューも少なく、評価も低い。出版界もなんだんだ言って、ほとんどが男であり、ルールは当然男社会である。

世の中に歓迎されていないのがよくわかる。残念である。
こういう作品を読みたいと思う男も、存在しない。

できれば、私は長期間、彼女がこのジャンルで戦い続けてくれることを願っている。

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