- この記事を読むべき人
- プロローグ:弱者の戦略(a.k.a ランチェスター)
- 総資産サマリー
- NISA枠 米国株(3月12日開設 地球滅亡寸前の日に株を買う)
- 特定口座 日本株(3月23日開設 ドキドキ日本株)
- 特定口座 米国株(4月以降 zzz…休眠証券で取引復活)
- 2020年の「コロナ暴落株体験」を書くことについて
- 2008〜2012年:日経6900円 リーマンショックを経験
- 2014〜2017年:私生活不安定期(建設的無職)
- 2018〜2019年:楽天経済圏で暴落を待つ(年収480万時代)
- あわてて銘柄選定スタート
- その後、コロナ上陸を祝い、SBIネオモバイル証券開設
- 2020年4月〜5月:二番底論→私は無視できた理由
この記事を読むべき人
- 暴落を待つ、究極のタイミング投資のモデルケースを知りたい人
- マインド面、相場待機感など、他では読めない経過日誌を読みたい人
- 過去の大暴落と微妙に違った局面で、どう動くべきだったか知りたい人
- これから株式投資をする人で、暴落への心構えをしておきたい人
プロローグ:弱者の戦略(a.k.a ランチェスター)
総資産サマリー
合計金額:9,042,172円(含み益:1,670,392円)
NISA枠 米国株(3月12日開設 地球滅亡寸前の日に株を買う)

楽天証券の全期間チャート(VYM、HDV、SPYD、VWOメイン)
2020年の3月12日から取引をスタート。
コロナショックで、TELして、つみたてNISAの開設を急遽キャンセル
当初はつみたてNISAを始めようと思ったが、2月末から米国株式の様子が怪しくなったため、予定を大幅変更。120万円のNISA枠を開設。
1日20万円を上限に、7回に分けて資金を短期投入。上がっては大暴落している日にほとんど買いを入れている。私はこのスリルの日々を一生忘れないと思う。NISA枠が全埋まりした後、資産チャートは一旦ぐっとあがってその後は、30〜40万円の含み益をキープ。
その後再び、2021年のNISA枠120万円が復活。月々10万円を目安に投入中。
特定口座 日本株(3月23日開設 ドキドキ日本株)

SBIネオモバイル証券の全期間チャート
日本株を単元未満株運用。
米国株のNISA枠が埋まった後、日本にもコロナウイルスが大規模上陸。3月23日に開設し取引を開始。1日10万円を上限に、2ヶ月かけて200万円ほどを投入。その後は様子を見ながら追加投入し、300万円程度まで資産拡大した。
東京に住む私は、身の危険が迫る中、こんなに日本株をしこたま買うなんて、とってもおかしなことだとは思いつつも、恐ろしいほど淡々と買い向かった。
日本株は独特の下げが決算期3月末〜4月末に起きる(後述する)。米国株ほどの含み益ができることはなく、6月まで長期にわたり大幅マイナス。毎日、真っ赤な数字が口座右側にあった。
その後、約90万円の含み益に短期で変わる(2020年8月ごろ)。
そこから、ずっと含み益をキープ。
特定口座 米国株(4月以降 zzz…休眠証券で取引復活)

SBI証券の全期間チャート(VYM、HDV、SPYD、VWOメイン)
結果的に300万円投入した日本株と帳尻を合わせるために、3年以上休眠していたSBI証券を復活させる。この口座を使って当初目標にしていた日本株4:米国株6に合わせるべく、160万円を投入。
現在も再び休眠中……。
メインが楽天証券のため、かれこれ10ヶ月以上取引はしていない。
特別な金あまりでもない限り、子守唄状態は続くと思う。
2020年の「コロナ暴落株体験」を書くことについて
私如きの経験と考えに、果たして需要なんてものがあるのか?
そう思いながらも、この記事を書くことにした。
こう言う記事を書いてPVを稼げるほど、ブログは甘くないとも思っているが、案外、私のブログで高いPVを叩き出すのは、私の『つまらないと思っている経験談』であることが増えてきたからだ。
理由は一切考えずにまずは書いてみようと思う。
その代わり、このブログは私が気に入らなければ、すぐに消すかもしれない。
そういう、ナーバスさをもった記事になるだろう(ウソだ)。
2008〜2012年:日経6900円 リーマンショックを経験

私が全くの初心者なのに大胆な行動ができた原因を考えると、やはりそこにはリーマンショックの経験があったからだろうと言う、考えに行き着いた。端的に経験談を書いていく。
当時私はリクルートメディアコミュニケーションズ(RMC 現在のSUUMO)ディレクター兼ライターとして就業していた。不動産の動画番組をアホみたいに作った。
リーマンショックで、当時私は新興不動産ディベロッパーを担当したため、この期間に取引先40社中20社が倒産、2社が自主廃業をするなどを経験する。モリモト(1兆円規模)、ジョイント・コーポレーション(3兆円規模)、藤和不動産などが爆死した。
オリックスや長谷工に至っては、株価が数千円の株価が、確か93%安とかになった。
この頃、私は株価と為替を毎日見る癖がつく。
帝国データバンクの倒産情報も毎日見ていた。
リーマンショックが起きてからと、1年くらいは週末や月末に必ず知っている上場企業が、ばーんばーんと倒産し、1円クソ株になっていくのを目の当たりにする。
この時の経験が、日本株の投資方法に影響を与えたと思う。
日本株が、独自の下げを伴いやすい、米国株とは全く違う謎のルールがあるのを知る。日本株は大事件があってもそれらを先延ばしにし、4月や12月に、暴落しやすいのだ。
これは、日本株の配当金の権利落ち日が半年前というアホみたいに長いスパンであることと、配当ルールが年に2回という奇妙なルールによって引き起こされる。
このことを、私は体の実感として把握できた。
2014〜2017年:私生活不安定期(建設的無職)

東京藝大大学院入学と自主映画時代(3度の失業:年収300万時代)
次にこのアベノミクス期間は、この頃、ちょうど東京藝術大学大学院に入学して、初監督作品を制作。自主映画のため、結局200〜300万円を自腹で払うなど、一番困窮していた時で、東日本大震災もあり、仕事も景気がよくなかったので、大変だった。
しかし、不動産投資をずっとしたいと物件探しをしており、その流れで遺産相続流れの激安築浅マンションを購入。1640万円で2LDKの60平米、23区内(現在の査定額2,400万円)。
35年ローンで、一ヶ月の支払いは39,000円と管理費・修繕積立金でちょうど10,000円。激安。また、神奈川にも念願の収益不動産(極小)を買う。徐々に貯蓄を行える生活の余裕が出てくる。
貯金を一年で100万円以上、余裕でできるようになったのがこの時期。
正直、株式投資に関して全く頭になかった。
2018〜2019年:楽天経済圏で暴落を待つ(年収480万時代)

不動産投資のめんどくささと、自宅マンションの理事会運営や老朽化など、不動産のもつ面倒な側面を実感し始めたのがちょうどこのコロナショックの前の2018〜2020年初旬。
私は、大きく下落し所から株式投資に本格的に参入したな、と思い始める。
そして、ちょうどこの時期に楽天経済圏に自分の全インフラを変換。
当然、楽天証券の500円投資(emaxiss S&P500)も開始。
そしてある日、このようなメールを受信する(あなたのペットは死にそうです)

日付は3/10。コロナショックのスタートです。
このメールは、その後4回。合計5回受信しています。
あわてて銘柄選定スタート
私は、数日前につみたてNISAを慌ててキャンセルしており、120万円を一括投資できる通常NISAに変えて、申請。一週間弱で、楽天証券での取引ができるようになり、そこからスタートする。
たった1週間弱ですが、このときに米国株の銘柄選定に全力を捧げました。
リーマンショックの経験から、予期せぬ倒産や関連倒産、二番底での倒産などリスクを加味して、個別株は回避したいと言う思いから、VYMとHDV、SPYDの3つのETFに絞り込みました。
しかし、資金投入には、それでもかなり勇気が必要だった。
なぜなら、当時、これらのETFですら、親会社、ブラックロック、バンガード、ステイトストリートなどが破綻する可能性があると、経済ユーチューバーが騒ぎ立てたり、悲観論がひどかった。
マイルールとして、1日最大20万円と決め、株価が下がるタイミングだけに絞って投入。
予算は全額で600万円。この3月で、NISA枠120万円は米国株ETFで全て使い切る。
妻には、この時は内緒にする。
その後、コロナ上陸を祝い、SBIネオモバイル証券開設
日本株はコロナショック勃発時には買いませんでした。
しかし、その後、米国株のNISA枠がなくなったことにより、日本株も選択肢に入れることにしました。日本株に関しては、確定申告で配当金控除ができるメリットがあるため、最初からNISA枠では買うつもりはありませんでした。
SBIネオモバイル証券は、当時唯一の単元未満株(1株から買える)を扱っている証券会社で、ウェブのエントリーから次の週にはすぐ使えるようになっていました。
そこで、こびと株さんの高配当株ランキングをベースに、1日3万円を買い付けると言うルールで、3ヶ月に渡って、200万円を投入していきました。
2020年4月〜5月:二番底論→私は無視できた理由
災害での暴落のため、リーマンショックとは異なり、大胆な資金注入がありえると判断
二番底にはならない。私は、両学長を含めた多くの有識者を無視した。
なぜ、こういう判断ができたかと言うと、それはリーマンショックでの経験です。
リーマンショックでも、市場への介入行為が行われたのは有名な話ですが、政治的に反対する人が多く、当時のヘンリー・ポールソン(全ハゲ)やベン・バーナンキ(天骨ハゲ)が、かなりの批判を受けながら細かく、規制緩和やQE(金融緩和)1〜5までやるハメになり、リーマンショックの株価戻しは遅れました。ポールソンとバーナンキは、もっとガンガンやれてたら成仏できたのに。


金融緩和は、実はかなり資金を引き出しにくく、理由がないとしにくいのです。
それに対し、今回は災害なので、米国民感情としても金融緩和を拒否する理由がない。
そのため、多くの二番底論を無視して、大規模な買いを試みました。
本心では怯え、真夜中にうなされて起きたり、2ヶ月ほど続いた膨大な含み損が精神的に来たのが思い出だった。だが、初心者と特有の根拠のない自信で乗り切りました。
2020年10月:押し目買い・口座残高がゼロに
10月、めでたく目標を達成し、600万の資金プラス2020年に貯めた100万の資金も追加投資して、ひと段落。含み益が23%の160万円ほどとなり、精神的にも安心しました。
以上が、私が2020年の暴落時に過ごした一連の流れです。
よかったら、参考にしてください。