著者紹介

橘 玲
早稲田大学文学部ロシア文学科を卒業。元・宝島社の編集者で雑誌『宝島30』2代目編集長。経済書籍での脅威のベストセラー出版率を誇る
目次
- 「美女はいじわる」は本当だった!?
- 男は52秒にいちど性的なことを考える
- 女は純愛、男は乱婚?
- 女の8割は「感情的な浮気」に傷つく
- 男のテストステロン・レベルは女の100倍
- 女は合理的にリスクをとる
- 父親の10人に1人は知らずに他人の子を育てている
- 女は身体が感じても脳は感じない
- 男は「競争する性」、女は「選択する性」
本書を読むべき人
- 年をとってから人間関係でギクシャクすることが増えた人
- 妻や子供との間に改善したい問題がある
- お世辞を言えない人
- 礼儀作法に自信がない人
単に男女の「分かり合えなさ」に触れた本ではない
世間では語られない男女の秘密……の本ではない
橘玲はたくさんのタブー本を書いている。だからと言って、本書をただのタブーを書いた本だと考えて読んではならない。今回はだいぶおもむきが違う本だと思った。なんというか……。
最初はもちろん、いつもの著者のように海外のエビデンスに触れながら、日本では忌避されているような裏情報を暴露しつつ、男女の本来の姿を描く……、みたいなものを想像していた。
だが、だいぶ進んでみてようやく全く違う本だというのがわかった。
この本は、実際は男性が男性を、女性が女性を、もう一度捉え直すための本だといえる。
それはどういうことかというと、性差には一言では言えない問題が多いし、視点を変えても体が男(女)であれば一生見えない問題がある。若さも、よく考えたら性差に等しい。
こう言った、自然に別れる「人間の種類」は、日々の中でまだまだ強引に通り抜けないとやっていけないことが多い。だったら、どうすればいいのか? そんなこと考える本である。
これは彼の中でもかなりの良書である。
人間関係とは、男や女との関わりの総称
本書には、セックス面や感情面、体力、生まれながらの志向に関しての男女の世には語られない、あらゆる情報が書かれている。それらは、よくよく考えてみると、10代や20代では一生懸命に考え抜いてきたことだとも言える。しかし、年を取るといまさら感が出てきて考えることをやめる。
それは、いわゆる青春期に相手を異性として意識し始めるときに、学校や友人に過剰に「男と女の違い(例えば生理とか)」を強要されることから始まっている場合が多い。そして、その青臭さが徐々に嫌になり、加えて、私たちは性欲の安定・減退などと共にそれらを忘れていく。
だが、社会的な問題としては、この性欲があるときに生まれた軋轢を、制度として一生引きずることが少なくない。つまり、性欲が終わったから、苦しさがなくなった、という問題はほぼない。ないのに、消えたと思ってしまうのが、人間関係のトラブルに起因している。
80歳のババアで閉経していても、美人だねと言われたいし、老人男性になっても、なぜか若い女性に目がいくのである。このややこしさを、本書では実にわかりやすく解説している。
人事、決裁権、交渉にも男女の性欲の差はある。そして、年を取っても表れ続ける
ここに書かれていることは、世では話題にしにくいものが多い。
だがそれはタブーというよりは、若くないから話したくない、みたいなものだ。20代までは、あんなに男も女も恋バナばっかりしていたのに、今はできない、みたいな感じだ。
要するに、30代になり、40代になり、童貞・処女を気にする必要もなくなり、スクールカーストもなくなり、仕事の毎日で、平然と行われる礼儀作法や常識などの中で、私たちが忘れてしまったようなこと、考えなくて良くなったと、間違った思い込みをしてしまったことが多く書かれている。
男性の性器の形・女性が隠す真実の親の存在
本書の内容を一部出してみようと思う。
例えば、性格に大きな影響を与えているのが、性器の形だという話だ。
人間は、他の哺乳類と違い男性器が際立ったキノコ型で、哺乳類の中ではとりわけ性愛に快楽をともないやすい。らしい。これが、多くの女性との交わり合いを望む嗜好につながり、普段の生活から、仕事の仕方、人事決定の仕方まで多くの活動や意思決定に影響を与えているという。
また、エコーや血液検査などによる妊娠前診断が主流ではなかったつい最近まで、女性は、かなりの割合で、本当の父親ではないと知りつつ、所得や社会的に地位の高い男性と結婚していた時代があるという話が語られる。実際、90年代くらいまでこの手の映画作品が多かった。
これは、女性だけが真実の受精主(女性の性器の感覚)を知っているということを物語る。
このいざとなったときに男性との性差を利用した秘密主義の共有が、女性達の特徴だという。
このような性器の差が、会社や制欲とは無関係な人間関係まで影響を及ぼしていることが多く、それらを無視するから、問題の本質が見えなくなっていくのだと、本書は結論づける。
ここは、こうやって他人から説明されるとおかしいが、本書を読み込むと納得できる。
性器に人格を紐づけるとタブーになりがち
そのほかにも、男は本当に自分の子供を育てているのかを不安視して、子供を必要以上に痛めつけて、殺すことも多い、などといったことなどのタブーの数々が書かれている。
性器の話もそうだが、この手の話はスキャンダラスで魅力的だ。だが、要点はそこじゃない。
私たちが本書を読んで一番考えるべきは、人間の性に悩んでいた過去を忘れ去って迎えた熟年期(30〜60歳)で、新たに引き起こす人間関係のトラブルは、結局「人間の性(性器)」が引き金であるかもしれないということである。
セックスに慣れてしまったら(飽きたら)、人間の本質を気にしなくていい、などということはないのだ。そこにこそ本質があり、それは死ぬまでずっと続く……、ということなのだ。
同性でも見過ごすものを、本書で見直す
本書を読んで、私は、自分の知らない女性という生き物を深く知って、考えた。
だが、それ以上に、性動物としての男性の描かれ方に、何か懐かしいが、とても大事なことを読んでいる気が、本書を手に取っている間、いつも感じていた。
そうだ。
私は、この男性の性行動や感情を、無視してしまっているが故に、気づくべき男の嫉妬や、妬み、矮小さを無視して、つまらないトラブルを抱えてしまったのだ。
本書を読むことで、私は結果として、女性だけではなく、男性に対しても、よけいなトラブルを引き起こす種を、自分の中に生み出していたことに気がつき、それを急いで消去できた。
大事な情報がなぜ、タブーになってしまったのか
本書で語られることの要点を言う。
人間という生き物は、原始時代の生殖本能が、現代もそのまま感情面として消えずに残っていることが多く、それが、どうして女性はこうなんだろう? 男性はこうなんだろう? という疑問符として、現代も現れることが多い。それらが、人間関係の多くのトラブルの元凶でもある。
これが、本性の要約である。
では、なぜ、こういうことが人間社会一般で、語られなくなったのか?
それは、あまりにもこれらを認めるのは、恥ずかしい、と人間が勝手に思うからだ。
私は、その原因には、完璧な人間の代表を描いた宗教を信じてしまう、人間の弱さがあげられると思う。どうして自分は、神のようにベストな状態じゃないのか? 冷静じゃないのか? ということのストレスに耐えられず、こういう弱さのスイッチが作動するのだ。
橘 玲の「いつも悪戯っぽい刺激」について
橘玲氏の本は、そういう人間性を復活させるための、悪戯っぽい刺激が、いつもあるように思える。ただ本の部数を売りたいから、いつもタブーを引っ張り出してくるわけではないなあ、と思って、一人腑に落ちた。
そんなわけで、参考になったら、よかったら読んでみてください。