
著者紹介

鈴木俊隆
1905年神奈川県出身。1959年に55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコの桑港寺の住職となる。当時の社会運動により、非日系アメリカ人の参禅者が増加。日系人との間で軋轢を生むようになり、鈴木は彼らのために1962年にサンフランシスコ禅センターを設立。1969年に禅センターは桑港寺より独立、公案を用いない只管打坐の曹洞禅の普及に貢献した。1971年12月に癌で遷化。死去の2週間前、法嗣(後継者)にゼンテツ・リチャード・ベーカーを認定した。
生前のインタビュー(英語です)
肯定と否定を繰り返しながら、無常を知る。人間社会の「流れ」と「繋がり」を断ち切って、ストレスの開放とリラックスを追求
スティーブ・ジョブズが愛読したという触れ込みで、リバイバルした本書。
座禅によって、世の中のあらゆるものの無常を、確認していきます。
この本で語られる「座禅」とは、ただ座る、というアクションから体、筋肉、思考など「自分が語りかけることができる全てのもの」に語りかけ「意味」や「流れ」を、超高速の否定と肯定によって無常化のようなものをしていきます。
ジョブズが読んだからといって、ジョブズ的な本ではない。
この本は、決して偉人や偉大なイノベーターを誕生させるための本ではありません。その点で、ジョブズが読んだからといって読むと、期待を裏切られるでしょう。単なる言葉遊びに思えるようなその、おちゃらけた文体からは、何も得られない人も多いはず。
仏教から哲学を削除して、スタイルだけを抜き出した『禅』
また、ジョブズ自身もこの本を読みながら、半ばこの本に最後まで近づけなかったのではないかとさえ、感じます。ここで書かれているものは、日本人にはとても馴染みがあることで、例えば一休さんのとんち話や昔から続く怪談、市町村でのお祭りなどに裏付けられた、仏教的な生活スタイルを思わせるからです。ですが、現代社会では日本人でさえ、これを再度体得することは難しい。
一度手放した幼少期の癖のようなもので、頭でわかっていてもどうにもできないのです。
では、本書をどうやって読んでいけばいいのでしょうか?
世の中にある「無常=無情」に、ブレない考え方が記されている
仏教も、私からすると非常に欠陥の多い宗教に思えます。ですが、この本はそれをうまく隠しています。それはなぜかと言うと、この本で書かれる「禅」は、仏教から「哲学」を取り払った本であり、体に「無常を染み込ませる」だけの本だからです。
簡単に言うと、仏教が到達した「形」「生活」だけしかないのです。これは他の宗教に全くないもの、宗教の部分の切り離しだと思います。この点を踏まえて、読むと、無意味なことが気にならなくなります。この無意味さを体に馴染ませる、そんな読み方が現代の私たちにあっている気がします。
目の前にあるもの以外、知らない・分からない・興味を持たない
よく、禅はミニマリズムだと言われることがあります。
それは上記に書いた、目の前にある「形」「生活」だけを意識する状態です。体感することではなく「どうでもいい」ことを「どうでもいい」と言えることに対する「信頼」のようなものだと言えます。それが本書のタイトル「ビギナーズ・マインド」ということになります。
重要なこと、死活問題ですら本質から覆し、考え直していく
仏教にあり、他の宗教に完全にないものはこの「非論理性」であると本書で書かれています。
「誰も救えない」「苦しみには理由がない」「助けなどこない」
こんなことを本気で思い続けながら、否定と肯定の力によってどんどんリラックスしていく。
「そこにただ座りなさい」「あなたはただ、今ここにいるだけなのです」
おそらく、白人には強烈な言葉の羅列に感じたでしょう。そして、そのほとんどは「否定と肯定」が両立しているので「否定ができない」「拒否もできない」また、「認められない」のです。そこに自分がいるという事実からスタートし、全てを始めればいいと言う本書。何度読んでも、恐ろしい凄さを感じながら、目が覚める本だと感じます。

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