上手に本能で書くためにはどうするべきか『一億三千万人のための小説教室』高橋 源一郎(著)要約・概要

オーディオブック

著者紹介

高橋 源一郎(1951年〜)
横浜国立大学経済学部除籍。日雇い労働をしながら書いた、『すばらしい日本の戦争』を第24回群像新人文学賞に応募し翌1981年、最終候補作3編のうちの1作に選ばれるが落選。
その後、『さようなら、ギャングたち』でデビュー。
散文詩的な文体で言語を異化し、教養的なハイカルチャーからマンガ・テレビといった大衆文化までを幅広く引用した、パロディやパスティーシュを駆使する前衛的な作風。日本のポストモダン文学を代表する作家の一人である。近年はNHK『飛ぶ教室』にも出演し、競馬好きとしても知られる。

本書を読むべき人は以下のような人

  • 新潮新人賞、群像新人文学賞、江戸川乱歩賞、小説現代長編新人賞、すばる文学賞、文藝賞、太宰治賞、文學界新人賞などのいわゆる純文学系・主要新人賞系を狙っている人
  • 小説を書きたいと思っているが書き方がわからない人
  • 公募に全然通らない人
  • 自分の書き方を見失った人
  • 長編小説などを時間をかけて書いている途中の人
  • 文壇のあの気持ち悪い風潮は何のためにあるのか知りたい人

本書は出版業界が本格的に衰退する以前に書かれている

出版は2002年。当時はまだ電子書籍は市場的にも弱く(本格化は2014年ごろから)、雑誌の部数は減る程度だったが、紙の書籍の売り上げは2兆円を維持していた頃である。

その頃に、著者の高橋源一郎が『NHK ようこそ先輩』という番組で自身の母校を訪れ、小説がなんたるか、小説を書くためには何をしたらいいのか、を語ったところから始まる。

ニヒルで文壇的なイヤらしい指南署だが、使える書籍

著者の語り口は、ニヒルでいかにも文壇という感じだが、一応の冷静さと優しさを持って、初心者には読みやすい作りとなっている。内容と進行も非常に丁寧で、他の小説指南署(中条省平氏やスティーブン・キング)のような、正確さを意識しすぎた遠回りで著者を本質から遠ざけるところも少ない。直接的だ。その分、納得できる部分が多い。

日本の現代小説は太宰治の強い影響下であると言い切る

本書を読むと気がつくのだが、同書での著者の語り口は「太宰治のマネ」である。そうなのである。著者の高橋源一郎氏は、実は日本の文壇が『太宰治を馬鹿にしながらみんながほとんど太宰治化してしまった』真実を、なんと初心者本の中でバラしてしまったのである。
これは、現在の文壇の様子を面白いほど言い当てている。この感覚を掴むだけでも、本書を読んだ甲斐があると感じる人もいるかもしれない。

小説に必要な二つのこと「自分を掴む」「真似る」

後半では小説のいやらしい解説から一転して、具体的な指導モードに入っていく。そこで重要なことを、シンプルに二つだけ示してくれる。それは、「自分を掴む」ことと「真似る」ことである。

自分を掴むとは、自分の社会から逸脱した側面に注目する事

本書で語られる「自分を掴む」は、自身でできる事だという書かれ方をしている。それは、「社会的な常識・平均点から逸脱した部分」を探すという行為である。これは、例えば「攻撃的」でも「極端に保守的」でもどちらでもいいのである。この部分の筆者の主張は、私もさすがと思った。

「真似る」は指導者がいないと難しい

それに対して、「真似る」は自分自身で行うのは非常に困難であることが本書で明らかになっている。初心者で小説の知識がない人間が、自分の肌にあった真似るべき対象を探すのは、到底できることではないし、一人で膨大な時間をかけたとしても、辿り着かない可能性が高い。
著者は、本書でいくつか例を出してくれているが、それは社会的に小説家に一般人が持つ偏見に対応した具体例で、それゆえとてもわかりやすいマネという学習法への考えだ。
若ければ若いほど、この筆者のような博識である程度親切なメンターの存在が小説に必要だと感じる。

最後に、どうして「文壇的な振る舞いがあるのか」

本書を読むとわかるのですが、どうして文壇的な「いやらしい性格・振る舞い」があるかというと、おそらくそれは、作家としての「戦闘モード」がその分断的なものであり、「戦闘モード」を継続していなければ、「スランプになりやすい」という可能性が実際に高いからなのだろうと思った。
頭の中を得意な状態に保つための手法が詳しく書かれているが、それを維持するのは、日常生活ではとてもできないとも感じるだろう。
このような、ネタバレとも言えるかなりの近道の小説学習本を出した著者に敬意を表したい。
巻末の付録にある「真似していい・真似すべきでない」がわかる小説ブックリストは貴重。

コメント

タイトルとURLをコピーしました