著者紹介

カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut、1922年11月11日 – 2007年4月11日)
アメリカの小説家、エッセイスト、劇作家。シカゴ大学出身(修士号は取得できず)。大学入学時に第二次世界大戦が勃発し、アイビーリーグの名門コーネル大学を中退し、軍事技術を取得するために幾つかの理系の大学に転入を繰り替えし、除隊後にシカゴ大学に再入学(文化人類学)。
『スローターハウス5』(1969年)によって全米での評価が高まり、本格的な作家生活に入った。それまでは、GE(ゼネラルエレクトリック社)や物販業の個人事業主(失敗して廃業)などを、職を転々として不安定な生活を続けていた。
現在、人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家の一人とみなされている。代表作には『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』(1963年)、『チャンピオンたちの朝食』(1973年)などがある。ヒューマニストとして知られており、American Humanist Association の名誉会長も務めたことがある。20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物とされている。
円城塔(エンジョウトウ)
1972年北海道生まれ。東北大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院総合文化研究課博士課程修了。2007年『self‐Referennc ENGINE』(早川書房)で長篇デビューする(同作の英訳版は、2013年にフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞)。2010年には『烏有此譚』(講談社)で野間文芸新人賞、2012年には『道化師の蝶』(講談社)で芥川賞を受賞。同じ年には、伊藤計劃との共著『屍者の帝国』(河出書房新社)で日本SF大賞特別賞を受賞している。
目次
- 金の稼ぎ方、愛の見つけ方―1978年5月20日 ニューヨーク州立大学フレドニア校
- 卒業する女性たちへ(男性もみんな知っておくこと!)―1999年5月15日 アグネス・スコット女子大学
- 百万長者だって持ってないもの―2001年10月12日 ライス大学
- わたしがトマス・ジェファーソンの悪口を言ったって、あなたたちにはどうにもできない―2000年9月6日 インディアナ自由人権協会
- 音楽の慰め(この世はロクでもないことばかりだから)―2004年4月17日 イースタン・ワシントン大学
- 大学に行ってないとか気にするな!―2001年10月12日 カール・サンドバーグ賞受賞講演
- ネイティブ・アメリカンたちの「ゴーストダンス」と、キュビズムを率いたフランスの画家たちの共通性―1994年2月17日 シカゴ大学
- 芸術家がすべきこと― 1994年5月8日 シラキュース大学
- 自分のルーツを忘れないこと― 1996年5月11日 バトラー大学
概要(ブログ主の勝手なまとめ)
本書は、大学で行ったスピーチをメインに収録したものだ。そしてその変遷で、生のカート・ヴォネガット像を見せようとしている。
ここで明らかになるのは、彼の政治思考と私生活、そして宗教観だ。
1978年のユーモアあふれるスピーチから、激変する老年
最初のスピーチ「金の稼ぎ方、愛の見つけ方」は、今でいう典型的な卒業生へのスピーチといえよう。当時のヴォネガットは名声の最中にあり、まさに売れっ子作家だった。
軽快で楽しく、少しニヒルで、だが、若者への愛を感じさせる。そういう優しく理解ある大御所という装いで、スピーチ中に何度も笑いが起きたりして、敬意を持たれたであろうことが、その文面から伝わってくる。だが、次以降のスピーチは20年以上の時が立ったものばかりが、連続する。
攻撃的な無神論、マイクロソフトへの憎悪、テクノロジーへの離別を促す老人作家
ボネガットは1997年に小説家を引退し、作品自体も出さなくなる。それ以前に、彼の本は長らくの間売れなくなっていた。
私は彼の本をいくつか読んだことがある。『タイタンの妖女』とか、1950年代から1970年代のSF作家時代の代表作だ。だが、彼自身はSFで括られることを嫌い、その後は政治的な指向を強めたようで、晩年の1980年代の書籍はいずれもヒットしていない。
読んだらわかることだが、彼の書籍の良さは、1950年代から60年代の好景気かつ国家として面白かった“ザ・アメリカ人”的な紳士淑女が繰り広げる、穏やかな恋愛SFだというところだ。
しかし、これらは無名の頃の作品で、本人の性格自体と大きく違っていたのかもしれない。
1990年代から2000年代のスピーチでは、「キリストがいい奴だったら、神である必要はあるのか?」というフレーズが増える。そして読者はわかる。タイトルの「これで駄目なら」というのは、「神頼みなんかするもんじゃない」という彼独特のメッセージなのだ。
また、マイクロソフトやビル・ゲイツへの個人攻撃も少なくない。ゲームやインターネット文化への批判的な視線も強く、その晩年は結構彼のファンを驚かせるものとなっている。
ヴォネガットは、実はシカゴ学派に属している
当時のアメリカの大学でこのようなスピーチを聞いて、若い人がどう思ったのかは書かれていない。だが、それでも彼は名門大学に呼ばれ続け、出身校であるシカゴ大学にも呼ばれている。
1970年代から2000年ちょうどくらいまでは、シカゴ大学はアメリカの学問の中心的な存在で、シカゴ学派(ノーベル経済学の業績を多く残した)の余波が残っている。
シカゴ学派は、実は文学や映像学など他の学問にも伝播しており、この頃はアイビーリーグよりも地方の名門の方が積極的に新分野に進んでいた印象がある。
本書は、まさにヴォネガットの裏の顔を刻んでいる
スピーチの内容を読むとわかるが、晩年のヴォネガットは、民主党のさらに左寄りの過激派的な政治思想を持っている。この辺が、一般的な彼のファンを驚かせるだろう。
ただ、年代でわかるようにだいぶ意図的な編集をされている。きっと穏やかで和やかなスピーチが晩年であっても幾らかはあっただろうし、意地悪なチョイスが多い気もする。
しかし、SFといういわば“神を否定する立場に成りかねない作家たち”の末路がどんなものであったのかを、知るには、ある意味絶好の読み物だと言えるのかもしれない。
Q:どんな人が読むべきか?
A:それ以前に、おそらくヴォネガットを読んだことがない人が手を出すことはない書籍であるのは待ちがない。それを前提で言うと、やはり“ヴォネガットの晩年の違和感”に興味がある人向けだろう。それを、露悪的に円城塔氏が把握して翻訳している。
SF作家というのはえてして、大量の資料を読み込み、なおかつ技術の疑問を生じさせないような、文章表現の省略にも気を配る、小説家の中でも、とりわけ“勤勉度の高い”ジャンルの人たちだ。
いわゆる村上春樹やカズオ・イシグロなどのように“愛好するものに特化”するタイプの作家ではなく、世間との間には、多大なすり合わせを要する、気難しい作家がSF作家だと思う。
そういう人々に興味がある人に、ぜひ読んでもらいたいとは思う。
Q:なぜ、そのような晩年になったのか?
A:1960年代から70年代にかけて小説家としての目的を達成してしまったのは大きいだろう。
日本でも江藤淳や井上光晴、大江健三郎、最近では村上龍などのピークを経験した作家が、晩年を論客として過ごすことが少なくない。そしてそういうケースでは、小説・作品ではできなかった、国粋的な側面がその時に出やすい。
そういうことは、アメリカの作家でも同様にあったのだろう。
そういう意味で、小説というものが、例えば現代美術や映画、音楽というものに比べて、業績的に虚しい傾向があるのかもしれない。
だが、これはあくまで私の私見なので、気になる人は是非本書を手に取ってみてほしい。