生涯をかけて創価学会批判をしてきた田原氏による、最後の転向
本書は、かなり部数も出ているので手に取った人も多いかもしれない。私は知らないが、恐らく多くの著名人が書評もしていることが想像できる。田原氏は御年、80歳をゆうに越えもう少しで90歳になる。このような過激な本を、80歳を越えた時点(2018年 84歳)で書いたのは敬服する。ただ、私は同氏が嫌いだった。朝まで生テレビのような、何も生み出さない、知識人であっても酩酊したような討論番組を軸に、メディアの影響力を支配していたように長年見えていたからだ。
田原総一郎が語る「創価学会」についてまとめ
この本で描かれる創価学会像軽く述べてから、私の本書に関する業界に関連した意見(末端の人間だが)を述べていきたいと思う。
本当にざっくりいう。
創価学会は戦前に生まれ、創設者が戦争反対を唱えて投獄され不慮の死を遂げる。そこから生まれた戦後のカリスマに、若き三代目、池田大作の運営者としての才覚が加わり自民党を裏から操る政党、公明党を要する最大宗教となった。
以上。だが、もう少し触れておくと、創価学会は宗教団体としての意味合いよりも「対葬式仏教への批判団体」「貧乏人(芸能人)・商売人のコンサルティング団体」としての色が強い。この点も、本書では詳しく書かれている。
なぜ、芸能界の創価学会依存が高まったのか?
この本を読みながら、私は当然、作品作りで携わるキャストやスタッフなどの映像業界まわりで、どうして創価学会の依存が深まったのかを考え始めた。だが、その思索は実にあっさりしたもので、別に深みにハマルでもなく、すぐに明らかになるものばかりであった。
芸能界は実力社会ではない
私は、芸能界の人気の高低に関して普段から「広告が乗る」という言い方をしている。これを簡単に説明すると、人気や認知度の源のほとんどは「企業の広告費が用意した情報網」であり、タレント・アーティストはどんなケースであっても「広告資金でコーティングされたもの」という認識が私にはある。もっとダイレクトに言えば、例え腕利きの天才アーティストでも「自身の売り物で身が成り立つ」ほど、まだ「世の中が豊にはなっていない」ということで「企業の悪・利潤の悪」に頼らなかればいけない。どんな成り上がりケースでもこれは必ずそうだと思っている。
その考えに基づけば、芸能界は背後にどんなケースであってもスポンサーが存在し、彼らの意思が重要で「実力主義はない」という事になる。
創価学会はこれから企業の広告が乗りそうな若手であったり、既に企業の広告が乗った一発屋や落ちぶれたタレントを運用するシステムを発明した
私たちのような新人の知名度のない作家・アーティスト・タレントは、勝負所で「集客」が求められる。そしてそれは純粋な人気や実力評価でなくてもいい。そしてここぞいう時にある程度の「集客」が出来たものだけ、次のステージに行ける。アイドルのライブなどはそれが顕著なものだと思う。
この時に、親戚が多かったり、同級生に友人が多かったりするものが勝つ。それを人工的に利用したければ、やはり創価学会のような宗教もかなり有効である。これは悪いことではない。なぜなら、創価学会ほどのメジャー宗教は、簡単に金を積まれたからとか、コネクションだとかでそういう新人を利用しないのは、彼らが受けてきた差別やスキャンダルの歴史を見れば明らかだからだ。
また、人気産業というのは得てして、功労的な側面がない。例え「過去に相当額の広告が載った過去がある」としてもだ。これはかなりもったいないことであり、それを運用して「過去の人」を利用するのは他のビジネスに比べて相当楽である。創価学会はその単なる魁だということだ。
広告が載った有名人を、自己運用する仕組みが増えた。YouTubeやブログなどがその代表だ。そうなると創価学会はどうなるか。
本ブログの結論を書きたいと思う。私は、次の経済的な仕組みづくりをしなければ、創価学会は自然的に消滅してしまう可能性が高いと思う。ここまでブログを読んでくれた読者ならわかるが、死の恐怖を利用した「神」を掲げる宗教の利便性が今後どんどん消える。そもそも、私はそこに触れていない。田原総一郎の著作「創価学会」も、「神」を信じることには全く触れていない。創価学会は、人々の夢と経済を利用して800万人クラスまで成長したが、田原氏の本にはその後の衰退、つまりは信者の現象についても述べられている。
平和憲法を維持した功績と信者の減少について
選挙で政治家を効率的に当選させるのに必要な信者数を、本書では300万人程度だと推測している箇所がある。しかし、私が聞いた噂によると現実にはそのレベルを維持できていないかもしれないということを何度か聞いた。本書では会員の減少について少し書かれていたがリアルな数字はない。それに当時はそれほどでもなかったのだろう。だから、私はそれほどの現象を聞いて驚いたと同時に、少し寂しさを感じた。
90年代、創価学会の暴力的な、だがのちに池田会長が禁止を促したという宗教勧誘はまだ存在しており、私も何度か経験したことがあった。だが、オウム事件をきっかけに、そのような勧誘もなくなっていく。池田会長は、国内のスキャンダルがあって代表を退いた後、海外の信者集めに力を入れた。だが、やはり創価学会の本領は国内の選挙を動かす力である。この力のおかげで、憲法改正を最大の目的とする自民党の改憲を変なタイミング(アメリカなどの利益の反映)での改憲論議を回避できているところがある。
これがなくなれば、変な言い方かもしれないないが、芸能界の創価学会依存もなくなる。だからと言って、芸能界は企業の主戦場なので実力主義には戻るなんてことはなく、もっと悪どい手法を用いることになると思う。今回のアメリカの選挙を見れば、むしろ公明党のような与党の選挙を仕切る団体があることで国政のまともさを維持できているのではないかと感じるようになった。
企業は暴走すると怖い。企業は人ではないので、当然人格がない。宗教の代わりに何を用いるのか得体が知れないのだ。創価学会のような反戦宗教なんて、まだ本当の悪の入り口にも立っていないソフトなものだと私は思っている(それだけ今回のアメリカの選挙が衝撃的だった)。
私はそんな流れで、田原総一郎氏が最晩年にこのような大著(物量も凄い)を残したことに、何か哀愁のようなものを感じざるを得ない。だから、是非、時間のある人は本書を手にとって欲しい。
注:ただし私も洗脳されてしまった可能性があるので、ご注意ください(笑)
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