映画脚本を均一化したシド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』は、悪か善か?映画祭脚本賞受賞多数の藝大院卒監督の分析

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二大脚本学本による業界標準までの流れとメリット・デメリット

今回は、近年のアメリカの脚本学の主流となった二大書籍脚本のもたらした効能と、その善悪の側面について触れていきたいと思う。

著者紹介

映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』(初版:2009年)

著者:シド・フィールド(1935-2013年)
アメリカ合衆国の脚本家、プロデューサー、シナリオ講師である。カリフォルニア州ロサンゼルス・ハリウッド出身。 ジャン・ルノワール、サム・ペキンパーらに師事。 「SCREENPLAY」は、22ヵ国語に翻訳され、全米400以上の学校でテキストとして使用されている。

SAVE THE CATの法則 』(初版:2005年)

著者:ブレイク・スナイダー(1957-2009年)
ロサンゼルスを拠点とするアメリカの脚本家、コンサルタント、作家、教育者であり、脚本と物語の構造に関する本の3部作「セーブ・ザ・キャット」を通じて、映画業界で最も人気のあるライティングメンターの1人となる。

映画誕生後の物語学の概要:スタートはロシア(旧ソビエト連邦)

皆さんは、物語論というものが存在しているのをご存知だろうか?
物語論というのは、物語を単純に研究するというよりは、元々は神話学から来ており、映画のために起きた学問ではない。ただ、ずっとその学問は有るのか無いのかよくわからない有象無象の学問だった時期が長く、無視されてきた。当たり前だ。世界中にある物語を科学することなどは、ほとんど不可能だからである。学問の対象が捉え所がなさすぎるのは、容易にわかる。

ロシアでウラジミール・プロップが登場

ウラジミール・プロップ(1895-1970)

しかし、そのような中でも、どうにか物語を定式化できないかと考えるものがいた。その中の一人に、物語論の開祖だと言われるプロップがいる。

プロップが活動した頃のロシアでは、ロシアン・アバンギャルドという芸術運動が起きており、そこではホルマニズム(フォルム化する学)という概念が生まれていた。スティーブ・ジョブズの大好きなミニマリズム(不要なものを全削ぎ落とし)と同じ学問である。

民衆に人気のある物語だけの構造化

プロップは、ヨーロッパやロシアで人気ある昔話をどうにかして定式化しようと試み、その学問の集大成を『昔話の形態学』として発行した。今見ると、まだまだ捉え所がなく、どうしようもなく定式化とは程遠いが、なんとかそこにチャレンジした最初の書籍として歴史に残っている。

映画の誕生により『物語』が世界文化覇権争いに結びつく

この後、細かく話すと長くなるので、すっ飛ばすが、しばらくの間、物語論はロシア、ヨーロッパ、アメリカの間で盛んとなって、特にロシアとアメリカがその最先端の研究争いを繰り広げる時期に投入する。そこから、やがて1人の正真正銘の第一人者が登場する。ジョセフ・キャンベルである。

ジョセフ・キャンベル(1905-87)

キャンベル『千の顔を持つ英雄』理論が『スターウォーズ3部作』に使われる

キャンベルは1949年にその後の物語学を大きく変える『千の顔を持つ英雄』を発行する。この著作は、神話学の最重要なものを英雄と定義して、英雄のキャラクター分析を初めて行った書籍であり、かつ、物語の始まりから終わりまでの出来事の巡回性をも定義しようとした。

そして、このキャンベルの理論の実践者として、『スターウォーズ』の監督・制作者であるジョージ・ルーカスが登場する。
USC(南カリフォルニア大学)でキャンベルの授業を受けたルーカスは、スターウォーズの脚本を何度もキャンベルの元に相談しにいく逸話は有名である。こうして、アメリカ史上最高の興行収入を叩き脱すサーガ(家族譚)が、物語論によって誕生する。

シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』はキャンベルの後継

このような背景で誕生したアメリカの物語論は、脚本を書く実作業とあわさって更なる進化を遂げ、それが今日のシド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』の流れにつながっていく。

二つ共通点=プロデューサー体制 & スターシステムのための脚本学

シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』に共通するのは、プロデューサー視点で企画段階やタグライン(売り込みフレーズ)から興行を考えていることに加え、スターを実際にイメージして俳優が演技しやすい・感情の込めやすい英雄像を構築するという点である。
これはまさに、興行主義でかつ予算獲得を考慮した実践的な脚本学だと言える。その分だけ、浸透率も高く、頒布もしやすい。この二つで学んだ学生は、映画のトラブルや揉め事にも強く、粘り強さを持つこともできるし、描き直しや再構成に関して、融通の効きやすい型も獲得できる。

言語化し難かった一定レベル以上の脚本書き方のノウハウ

シド・フィールド(出版社サイトから引用)
『セイブ・ザ・キャット』の著者、ブレイク・スナイダー(出版社サイトから引用)

プロデューサーの都合とキャスティングの都合をまとめられたとはいえ、シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』は一定以上の脚本を描くためには、これより役立つ本はない。
しかも無名の映画監督や脚本家であれば、どのみち、映画制作に関わる資金問題が解決されないと映画制作には辿りつかない場合が多い。そういう面では、これ以上の教科書はあり得ないのだ。
ちなみに、私が映画を学んだ東京藝術大学大学院映像研究科では、この両者とも使用しなかったが、結果的に同じだと思う。物語論の恩師である大塚英志氏は、プロップやジョセフ・キャンベルの本を1980年代から読み、漫画原作のヒット作を多く書いた。

映画業界は多く流通した基準が正しい=他を駆逐する

このような非常に強度を持った脚本学が2000年代に登場し、その他の脚本論を駆逐した、もしくは、異なるスタイルのものを古いものとをしてあつかった。その証拠に、80年代から90年代のレンタルビデオショップは、今よりもB級作品が多く、物語のバリエーションも豊富だった。
とはいえ、この新しい二つのアメリカの脚本学を軸に作られた映画は、興行収入的に失敗しにくい。そうなると、作品の良し悪しやレベルの高低とは別に、生き残る羽目になる。映画は、予算が甚大であり、流通網の獲得にも多大な政治力と金がかかる。

こうやってシド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』の効能は、ハリウッド映画の米国外流通にも大きな役割を果たした。

限定された物語のパターン化。映画の配信が進むとどうなるか。

今のところ、シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』のデメリットは、メリットに比べてはるかに少ないのがわかる。だが、今後どうなるのか?私は配信というスタイルが握っていると思う。
以前、私は配信映画と映画館の対立に対して書いた。
関連記事:投資・経済・政治に詳しい映画監督が、経済性に基づき、冷静に映画は「劇場」か「配信」か、を考えてみる。

映画の配信化により映画はライブラリかされ、レコメンド機能に紐付けされる。ここに物語論を導入した映画作品の欠点が出るかもしれない:類型化の罠について

シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』は、手取り足取り脚本の書き方を指し示していくものの、読む人によって出来上がるものは当然異なるし、同じことを二度しても同じものにはなる可能性は低い。だが、ライブラリ化された時、あるいはそれに付随するレコメンド機能が、ある一定の条件で畑らようになったときに、作品はえてして単純化・一般化される。
そうなったときに、初めて、同じようなスタイルの持った作品群のたどる末路がわかるのかもしれない。これまでのDVDや劇場公開では、このような紐付けがなかった。
ちなみに、素人目には違って見えても、ある一定の映画ファンになると、類型化された物語は、一瞬でわかる。シド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』の影響を強く受けた作品には、独特の癖が存在する。

日本のアニメ業界は非アメリカ脚本学の作品が多く誕生している

最後に、私が考える理想的な映画の未来を書いておきたい。

日本の2000年代以降のアニメは、実はこのシド・フィールドと『セイブ・ザ・キャット』の物語ルールから外れた作品を、非常にたくさん世に輩出している。それはひとえに、日本がアニメの覇権を持っている国であり、かつ、海外の映画祭などの権威的なマーケットを経由する必要がなく、とは言え、日本国にあのオタクたちの期待に応えなければいけない。という使命を日本アニメは抱えているからだ。
私はそれほどアニメをたくさん見るわけではないが『とらドラ!』とか『電脳コイル』らへんから随分と、非物語論的な作品が増えて行ったと思う。単純に、物語を読めなくする、というその一点で、これらのムーブメントが生まれてきたような気がする。
また、国民的にヒットした新海誠監督の『君の名は』も、大きくはアメリカ型の物語論とは異なる。この時間軸と複数の視点を持つストーリースタイルは、古くは黒澤明監督の『羅生門』で生まれた複眼スタイルである(橋本忍『複眼の映像』参照)。

監督の要望で従来の物語スタイルから崩れたものを作る

このような日本独自のものは、いずれもディレクター・監督が現場の権限を持つ、アメリカ(プロデュサー・俳優権威型)とは違うスタイルによるものだと思われる。また、製作費が極端に安く、現場で不必要に試行錯誤を要求されるのも、決していい風習とはいえないが、このスタイルに影響しているのは、先の橋本忍の著書を読んでも明らかである。
今後、このようなスタイルの作品をどう世界にぶつけていくかが課題となるが、この辺をアメリカの脚本学を学びつつ、実践できる日本人作家の誕生が日本映画界に待たれていると思う。

以上、長々と映画脚本について書かせていただきました。
最後まで読んだ方、本当にありがとうございます。参考にしてください。


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