はじめに
2021年に、アマゾンプライムビデオでこっそりとロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』が公開公開されていた。私は、長らくこの作品を見たいと思っていたのですぐ見た。
本作は、一般的にはブレッソンの出世作であり、初期の代表作だと言われている。
これまで、フランス映画の名作は配信では公開されておらず、劇場での上映というこだわりが捨てられずにいたので、このような事態は結構意外な展開だと思った。だが、年々フランス映画界の影響力が低下していることを考えると、時間の問題だろうとも思っていた。
おそらく、4デジタル移行のおまけとしての配信開始だろうが、このような流れで過去のフランス映画の配信が進むことを願っている。地味で、低予算がフランス映画の特徴ではあるが、これは今の日本の自主映画界に取って、結構うれしいことになると思う。
監督情報

ロベール・ブレッソン(1901-1999)
映画監督になる前は画家、写真家として活躍した後、数本の作品に助監督、脚本家として参加。中篇『公共問題』(1934)で監督デビューするものの仕上がりが気に食わずすべて廃棄処分に。その後、第二次世界大戦に従軍するもののドイツ軍の捕虜となる。のちに、その収容先で知り合った司祭より映画の制作を依頼され、終戦後に『罪の天使たち』を制作。この時点でのちの職業俳優を一切使わないブレッソン流の演出を確立。ジャン・コクトーらとともに、「カイエ・デュ・シネマ」の母体組織「オブジェクティフ49」を創設するなど、映画産業の横展開も活発に行う。
作風について
芝居がかった演技を嫌い、その作品限りの素人を採用し、出演者を「モデル」と呼んだ。音楽はほとんど使用せず、感情表現をも抑えた作風を貫く。自らの作品群を「映画」とは呼ばずに「シネマトグラフ」と総称した。素人として参加した出演者の中にはそのまま映画界に留まる者も多かった。
田舎司祭の日記の概要(ブログ主に勝手なまとめ)
原作は、ジョルジュ・ベルナノスの代表作である同名小説『田舎司祭の日記』がベースとのこと。本作は、ヴェネチア国際映画祭のグランプリを受賞しているが、いわずもがな、カトリック教徒を題材にした映画が、受賞しやすいのがヴェネチアっぽい。
晩年の作品に比べて、やはりレベルが低い
ブレッソンは、寡作で本数もキャリアの長さに対して14本という数だが、晩年のカラー時代に名作が多い印象だ。私が東京藝術大学大学院時代に、恩師の出口先生(出口丈人)が、木曜日の二時限分を使って名画を流す講義をしていたが、そこで『ラルジャン』『スリ』を見ていた。
特に『ラルジャン』(上記の予告の1分20秒以降)は、今でも予算をかけない映画の撮影手法としては歴代最高のノウハウがあると思う。
その晩年に比べると、この『田舎司祭の日記』は、だいぶレベルが低い。
また、彼本来の作家性から外れた要素である、大袈裟な音楽の多用や芝居がかった演技などもあり、ルイ・デリュック賞受賞とヴェネチア国際映画祭グランプリという壮大な肩書きはあるものの、見るのが億劫だった。
心理学的演出の片鱗は既にこの作品からある:ズームイン or カメラの寄り
とはいえ、全く学ぶべきところがないかというとそうではない。
本作では、俳優の顔にズームインあるいはカメラでグイッと寄っていく演出することで心理的な迷いや決意などを表現する演出が多用されており、晩年のブレッソンの片鱗がある。
その辺は、フランス版の予告編を見るとわかりやすい。
日本映画ではブレッソン流の「心理演出」は、穴場だ。真似すると美味しい
『田舎司祭の日記』の心理演出は、まだまだブレッソン自体が発展途上のために、初歩的なものが多い。そのため、例えば自主映画監督の若手作家などは、真似しやすいと思う。
それでもって、日本映画はこの心理的な演出を最近、ますますできなくなってきている。一部のCMでは使っているオーソドックスな手法だが、映画の物語の中に組み込むとなると、なぜか全然やらないのである。
それ故に、少しでもこの手の心理演出をすると、観客や審査員をオオっと唸らせるパターンが非常に多いような印象が、私にはある。
日本のインディペンデント映画は、俳優の動きにこだわりすぎているため、この手の心理演出を本作『田舎司祭の日記』レベルでも真似るのは、かなり価値があると思う。
心理効果は、失敗しにくい。必ず何がしかの効果を生みやすい
とはいえ、カメラマンもこの手の演出に経験値がなければ、失敗を怖がってやりたがらない、というケースが考えられる。だが、心配しないでほしい。
ブレッソンも結構失敗しているからだ。本作をよく見るとわかる。
心理演出は、通常の演出のように、失敗することで撮影素材を台無しにする、ということがあまり起きないのだ。どちらにしろ、人間の視覚と脳が、それに何らかの意味を持たせて曲解する仕組みになっているからだ。やったらやったで、必ず何か意味的なものが生じさせる。
全く違うシュチュエーションでのズームイン演出例(『旅情』(1955)監督:デビッド・リーン)
結論:初心者監督にはおすすめ(無音で見るのも良い)
ということで、強引にオチをつけるが、本作『田舎司祭の日記』は、映画を楽しむという視点ではあまり良い作品ではないものの、ブレッソンの技を盗む上では良質な教材と言える。
晩年のブレッソンの作品は確かに演出がすごいが、盗むには難しいレベルすぎる。
よって、自主映画を撮り始めた監督やカメラマンが、撮影前に無音でながら見などするのにもってこいな作品だと言える。とっても失礼かもしれないが、映画の名作の配信というのはそういう使い方をして良いと思う。以上です。フランス映画ファンの方々ごめんなさい。