東京芸大OB監督が解説。権威を無視されるこれからの映画視聴。ただし、Z世代の定義がただの”大学生層”の可能性あり『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史

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目次

  • 序章 大いなる違和感
  • 第1章 早送りする人たち―鑑賞から消費へ
  • 第2章 セリフで全部説明してほしい人たち―みんなに優しいオープンワールド
  • 第3章 失敗したくない人たち―個性の呪縛と「タイパ」至上主義
  • 第4章 好きなものを貶されたくない人たち―「快適主義」という怪物
  • 第5章 無関心なお客様たち―技術進化の行き着いた先

概要

倍速視聴習慣、タイムパフォーマンス(タイパ)志向、ファスト映画、Z世代のコンテンツ消費動向などについて、その実態や背景を分析した『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』が話題となる。同書は「新書大賞2023」で第2位。

著者について

稲田豊史(1974〜)

1997年、映画配給会社ギャガ・コミュニケーションズ(現・ギャガ)に新卒で入社、洋画買い付けの支援部署に配属。1998年、出版部門(2000年にギャガ・コミュニケーションズの子会社フットノートとして独立分社、2008年にキネマ旬報社と合併)へ異動。

ゲームショップ向け業界誌の編集記者、DVDセル店向け業界誌の編集記者、同誌編集長を経て、2008年よりキネマ旬報社所属。2013年に独立。

プロフィール補足:著者は映画評論にもかなり明るい

著者は長らく映画の権利マーケット畑を歩いてきたようだが、実はフィルムアート社、フランス系の評論出版社などの発行するいわゆる映画術にもそれなりに明るい。

この点は、プロフィールではわからないし、この手のスキャンダルになる書籍の著者にはなかなかない特徴なので、事前に私から告知しておきたいと思う。

2022年のベスト書籍だが、映画関係者には極度に嫌われている

パラダイムシフトとして倍速視聴

最初にまず言っておきたいのだが、私は、映画産業を守るサイドの人間で、さらには製作者であるため、大抵の場合、どんな時も映画のジャンルや歴史に対しては保守的な意見を言わなければいけない立場だ。ちょっとやそっとのことでは、悪く言えない。

その上で、本書をべた褒めするという記事になると思う。イヤと言えばイヤだが、それでもこの本のように、現実を直視する歴史的な良書は、一旦全て飲み込んでおく必要があると思う。

このことを前提に、この記事では本書『映画を早送りで観る人たち』を語っていく。

フランス語学者の評論的思考も考慮した、高度な内容

本書は、当初はアラフィフ編集者から見た「近頃の若者の消費行動」を研究するという目的で取材が始まっている。よって、前半部は、若い世代に対する批判的な視線が多少ある。

だが、倍速視聴が時代的な必然性から派生したものであることが、取材の途中で確定的になったことで、その批判的な視点は、むしろ映画に良心的なインテリ層へと向く。

ここに単なる流行本ではない、深い落とし所がある。

これは、著者の経歴からもわかる通り、映画祭という権威的なシステムが牛耳っていた、海外作品の配給に携わっていた経験があるからだというのが明確だ。

以下に、私が過去に書いた、流通と映画祭と権威のつながりを、わかりやすくまろやかに書いた記事を添付しておく。ぜひ、後ほど心の余裕があったらご参照いただきたい。

関連記事:国際映画祭の応募・上映・評価について(1)権威性と選定基準

なぜ、本書を映画関係者はタブーとみなすのか?

シネフィル撲滅運動としての、倍速視聴

本書で取り上げられるのは、何も若年層のタイパの話だけではない。

そこには、過去への「嫌悪感」もじっくり描かれている。それは何かというと、わかる人にはわかる的な知識への嫌悪感と、好きなものを傷つけられたくはない、という考えだ。この二つを、証拠付きで描き切ったところに本書の凄さがある。

そしてそれで損をしているのは誰か?

それは、曖昧な記憶と曖昧な演出へのこだわりを主張して、作品をクマなく見ていない人々をバッシングしてきたシネフィルという呼ばれることに快感を覚えたいわゆる映画好きな人々だ。

映画は共感・寂しさを埋めるツール=貧困ツール

映画は、1960年代あたりから始まる、家の周辺に必ずあった映画館が、どんどん消滅していくという現象以後、要するにサブカルチャー(希少品)として扱われることで生き延びた。

しかし、本書によると「見ないとついていけない」的な、あるいは「見ないで過ごすと不幸せ or 生きている意味が減る」的な切迫感がZ世代を中心に共有されている。

つまり、効率化によって過剰に余暇金銭的なゆとりを奪われた人々が、世間や友人たちの話題についていくために見るもので、エンタメや教養としての役割が極端に薄れてしまったのが今の映画なのだ。

映画は、なぜ“不幸せな貧困ツール”になってしまったのか?

評価による単価設定ができなかった

この本を読んでわかることは、映画は、評価によって単価を上げたり下げたりすることができず、一律のチケット料金やサブスク料金に、適合しやすかったところが、不幸だったというのがわかる。

その辺の、価格の差別化だけで生き残っている分野、例えば現代美術などの料金設定が、映画がもう少しできていれば、このようなZ世代にやられるだけやられてしまうことにならなかっただろう。

現代美術作品は、美術館という“サブスク”空間と権利・実物販売という“自由価格”設定で生き残った。全体的な特徴は、かなり映画に近いが、それでもこの差が大きい。

そのせいで、映画業界は、ますます経済的な自立が難しくなり、儲かる人が儲かるという業界からどんどん離れているのがわかる。

本書の数少ない致命点

Z世代の定義が、単なる“大学生層”の定義の可能性が高い

最後に、本書を読む上での危険性について、私から改めて書いておきたい。

本書で書かれている倍速視聴ブームの生みの親である“Z世代”について、感情的な描写、性格、世代背景の描写だが、これを読んでいて、私は「どこかで聞いたことがある」とずっと感じていた。

  • 時間・金銭的に貧困
  • 共感を最重要視する
  • 自分の殻に閉じこもり、他者の批判を恐れる

上記が本書で語られる“Z世代”の定義だが、よく考えると80年代も90年代も00年代も、大学生層という存在、まだ社会に出ていない、出てもまもないような、つまり自分の評価が定まっていそうで定まっていない存在の全世代的な定義に、かなり被っているのだ。

古い言葉で言うと、1980年代の新人類を私は思い出した(笑)。

つまり、著者:稲田豊史氏の定義するZ世代が

単なる大学生の可能性が高い。

世代としての特徴・個性は、25〜30歳代で初めて出る

だが、それでも、稲田豊史氏の予測がまだ外れているとは言い難い。

それはなぜかというと、Z世代がこのままZ世代であり続ける可能性もあるからだ。

もしくは、この本で描かれている性格や感情面は消えてなくなっても、行動様式(倍速視聴など)がそのまま根強く残って、その後のムーブメントに残ったら、アタリと言えるかもしれない・

その辺は、もう少し経たないとおそらくわからないだろう。

Q:どんな人が読むべき本か?

A:映画業界関係者。特に監督・プロデューサー・映画評論家志望者(笑)。

この本に書かれていることから、ずっとずっとずっっっっっと逃げ続けているのは、どう考えてもこの3ジャンルの人々である。陰で文句ばっかりっているのを私は知っている。

でも、この問題は絶対、正面衝突をしておいた方がいい!

私からは、以上である。

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