東京藝大大学院卒の映画監督が分析。こうして脇役が主役を超越した。マルチストリーライン手法解説。『ロング・グッドバイ(小説版)』レイモンド・チャンドラー・村上春樹(翻訳)

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著者について

レイモンド・チャンドラー(1888〜1959)

1932年、44歳のとき大恐慌の影響で石油会社での職を失い、推理小説を書き始める。最初の短編「脅迫者は撃たない」は1933年「ブラック・マスク」という有名なパルプ・マガジンに掲載された。

長編小説は7作品だけ。『プレイバック』以外の長編はいずれも映画化されている。

本作『ロング・グッドバイ』(邦題:長いお別れ 1953年)周辺情報

レイモンド・チャンドラーがなくなる6年前の作品であり、長編としては6作目で晩年前半の作品となる。本作は、名匠ロバート・アルトマンが主演・エリック・グルードで1973年に映画化しており、アルトマンにとっては、最盛期の映画作品となっている。

ネタバレとなるが、文豪として登場するロジャー・ウェイドの自殺シーンは、小説よりも映画の方が美しく、印象に残りやすいと感じた。彼の自殺のシーンで感動した人も多いのではないだろうか。

では、本作の小説版の分析を進めていく。

ロング・グッドバイでマーロウ役を演じたエリオット・グルード

ブログ主の勝手なまとめ

584ページ。三つの長編(A・B・C)を包み、さらに一つの物語に昇華している

主人公マーロウ以外の登場人物で重要なものを抜粋すると以下のようになる。

  • テリー・レノックス – マーロウの友人(Aのみに登場。だが、大きな物語の重要人物)
  • ハーラン・ポッター – 億万長者でシルヴィアの父(A・B・Cに絡んでくる)
  • リンダ・ローリング – シルヴィアの姉(Cに絡んでくる)
  • エドワード・ローリング – リンダの夫(A・Bに絡む)
  • ロジャー・ウェイド – 作家(Cの重要人物)
  • アイリーン・ウェイド – ロジャーの妻(Cのヒロインで大きな物語でもヒロイン)

物語の構造を図式化

複数の脈絡のない物語を操り、大きな物語を構築する

『ロング・グッドバイ』はチャンドラーが熟年期に書いた、彼の最高傑作であると私は思っている。このような技巧的にも、勢い的にも優れている作品は、体力があるときにしか書くことができない。

図を見ていただくと分かるように『ロング・グッドバイ』は、3つのストーリーで構成されつつ、それを大きな物語で覆っている。その内容を以下に書く。

  • 物語A(テリー・レノックスという酔っ払いの死)
  • 物語B(文豪:ロジャー・ウェイドとその妻)
  • 物語C(汚職を摘発する警官たち(マーローの元同僚))
  • 大きな物語(テリー・レノックスの真実)

マルチストーリラインの効果:主役よりも準主役(脇役)が、大きな存在になる

この『マルチストリーライン』の手法を、世界で初めて世に知らしめた作家は、実は日本人である。映画監督の黒澤明とその脚本家であった橋本忍だ。

黒澤明(1910〜1998)
橋本忍(1918〜2018)

この二人が、1950年の『羅生門』という作品で、映画作品で初めてマルチストリーラインを実験的に採用した。この作品は、ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得している。

この、複数のストーリーを操作することになったきっかけに関しては、起案者の橋本忍が自身の自伝で語っている。簡単にいうと最初は『藪の中』という芥川龍之介の原作で短編を映画化しようとしていた。だが、あまりにも短すぎて映画脚本にすると物足りない。なので、仕方がなくそれに『羅生門』というもう一つの短編をミックスさせた、というのが、誕生のエピソードだ。

村上春樹の「パラレルワールド」という手法は、マルチストリーラインがベース

本書『ロング・グッドバイ』の翻訳者でもある村上春樹も、この手法を好んで使う作家であり、実は日本人にはこの手法を好んで使う作家が他にも多くいる。

近年では新海誠が『君の名は。』で採用している。

マルチストーリーラインの効果:脇役・準主役の存在感が、主役を圧倒する

映画版『ロング・グッドバイ』でテリー・レノックス役を演じたジム・バウトン。テリー・レノックスは、冒頭ですぐに死んでしまうが物語が進めば進むほど、作品全体の支配率をどんどん上げていく不思議な存在感を発揮。

通常、登場人物が多すぎたり、重要人物が複数いることは、小説でも映画でも演劇でもストーリーをわかりにくくして、印象やテーマを薄めて混乱させてしまう。

だが、マルチストリーラインは、そんな猥雑さをある種の武器にしているところがある。

冒頭ですぐ死ぬテリー・レノックスが、物語が進行するにつれ、どんどん支配力を増大

本書『ロング・グッドバイ』に話を戻すが、それらを前提に戻すと、まさに前半の脇役であったテリー・レノックスの役割が、マルチストーリーラインの極め付けとなる。

物語を読み終えた、読者は、ほとんどこのテリー・レノックスの存在に魅了されているはずだ。冒頭で飲んだくれ状態で登場し、あっさり死ぬこの脇役がこのような印象を抱かせるのは、特異だと言える。

ネタバレになるので多くはかけないが、途中で登場するかなり多くの主要人物たちが、全てテリー・レノックスの“肥やし”になるように巧妙にデザインされているこのストーリーは、翻訳者の村上春樹でさえ、まだ到達していないレベルだと感じる。

マルチストリーラインを理解するために必要なこと

ただし、このようなストーリーの楽しさ誰もが得られるものではない

なぜなら、マルチストーリーラインの作品はえてして“長尺”かつ“難解”であることが多いからだ。

つまり、このような文芸作品、映画、演劇などは、わかりやすい作品ばかり見ていると、見逃してしまうだろうし、そもそも興味を持つことができない。視界に入らないのだ。

そのためには、例えば濱口竜介の3時間ごえの映画であったり、村上春樹の分厚い複数の巻にわたる長編小説だったりを、それなりの精度で読み込んで理解できるリテラシーが必要となる。

無論、能力があれば最初からだってわかるかもしれない。

だが、ほとんどの場合、理解するまでには時間がかかる。

その点、この記事をここまで読んでくれる人には、それなりの人が多いと思うが。

Q:どんな人が楽しめる小説か?

A:長い小説を最後まで読む習慣のある人。

あるいは、これは例外だが小説の事前情報を、調べてから読もうとする人。

とんでもない長尺の小説を読むには、これは“名作かもしれない”という暗示も必要

事前に『ロング・グッドバイ』とレイモンド・チャンドラーの詳細を調べてから本書を読む人は、例えば1950年代のアメリカの文化背景や、レイモンド・チャンドラーの中にある白人至上主義(例えばロックフェラー家のような実業界を中心にアメリカ社会を構成する)の思考もわかるはずだ。

それらの知識があれば、中盤のストーリーも苦痛に感じなくなることが多いだろう。

もし若い人が初めてのチャンドラーとして本作を選ぶ場合は、ぜひ試してみてほしい。

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