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目次
- 第1章 報道が作り出す犯罪(安部英医師薬害エイズ事件)
- 第2章 弱者と共に(下館タイ女性殺人事件;小学生交通事故死事件)
- 第3章 名誉毀損・プライバシー侵害と報道の自由(名誉毀損・プライバシー侵害事件;プロダクションとの紛争事件;記号化による人権侵害;「報道の自由」をめぐる訴訟)
- 第4章 誰もが当事者に(警察官による暴行事件;痴漢冤罪事件)
- 第5章 日本の刑事司法の現実(カルロス・ゴーン事件)
著者情報
弘中惇一郎
弁護士。法律事務所ヒロナカ代表。
1945年、山口県生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1970年に弁護士登録。クロマイ・クロロキン事件ほかの薬害訴訟、医療過誤事件、痴漢冤罪事件など弱者に寄り添う弁護活動を続けてきた。三浦和義事件(ロス疑惑)、薬害エイズ事件、村木厚子事件(郵便不正事件)、小沢一郎事件(「陸山会」政治資金規正法違反事件)など、戦後日本の刑事訴訟史に残る数々の著名事件で無罪を勝ち取った。
ブログ主の勝手なまとめ
HIV薬害訴訟の真実:安部英の無罪
私の世代は、川田龍平とほぼ同じなので、この事件の様子を体感としてわかる。……はずだった。だが、川田龍平や菅直人(当時の厚生労働大臣)によって悪人に仕立て上げられた安倍英医師は、本書を読んで初めて無罪(2001年一審無罪)だと分かった。
川田龍平や菅直人、櫻井よしこらが、なぜ無実の安倍氏を極悪人に仕立て上げたのか?
弘中氏によって細かく語られる無罪への肯定は、マスメディアが仕立てる極悪人「安倍」像の構築の工程でもある。では、なぜ安倍氏が極悪人になったかというと、それはマスコミの報道加熱と刑事事件のある種の共通点があるからだという。それは以下の通りだ。
- 刑事裁判では、団体・組織より個人を特定する方がやりやすい
- ニュースは、見て騒ぐ人間が多いほど真実となる
- 刑事事件もニュース報道も、穏やかな報道をすると、真実が定着しにくい
- 個人は、イメージ(画像・音声)も、あり叩きやすい
- 個人は意外性(あの人がまさか)や非意外性(やって当然:安倍氏)どちらでも上手く使える
これによって、世間では以下のような面がクローズアップされて、メディアの流れが構築されていった。
- 安倍氏の人間性(厳格・はっきりしている)が、攻撃しやすい(前提)
- 政治家は、選挙のために安倍を意図的に悪人に仕向けた発言を繰り返した(人気)
- メディア出演者は、作り上げられた安倍氏像以外、言えなくなる
- イメージが出来上がると、詳細には目が向けられなくなる
本書の本質:検察側の悪の根源とは何か?
有罪率99.7%(無罪率0.03%)の刑事事件裁判の真実
弘中氏が暇になったコロナ禍に、自身の仕事を振り返って書いたという本シリーズ(後ほどpart 1につても書く予定)は、総じて“検察の悪”を主要なテーマとしている。
要するに、事件を当初予定していた検察側勝訴プランに合わせて、証拠をコントロールしたり捏造したり、裁判員を買収する(追い込んで自由にさせない)工程が緻密に記述されている。
日本の治安の良さは、検察の傍若無人(なんでも有罪)によって作られた
検察がどうしてこうまでして、傲慢に、かつ被人道的に動き続けるのか?
その理由は、戦後の日本が警察と検察を中心に、過剰に穏やかな治安となったことに原因があるのではないのかと弘中氏は語る。つまり「国家権力に逆らっても無駄」という流れができたことで、戦後の日本の住みやすが維持されている、というコンセンサスが、検察を支えているのではないか……。
この恐ろしい、隠された事実に、弘中氏は彼なりの経験論で切り込んでいるのである。
検察の傍若無人ぶりと、戦後のマスメディアは共に歩んできた
例えば、カルロス・ゴーン氏の逃亡劇によって衝撃の結末を迎えた日産との闘争は、日産がフランスのルノーに融合されてしまう、という危機感を日産社員と官僚が共有して起きたと言われている。
このような一般人と国の要人たちが、連動して誰かを悪者にするという活動は、弘中氏が曰く、日本の歴史の要所要所で、実は無数に発生しており、昔から手法は構築されていた、ということだ。
もちろんHIV訴訟もこれに当たる。一般人(川田龍平・菅直人)と官僚が組んで、ある種意図的に、悪の道を辿って、金銭や組織の意向、法律改正などまでコントロールする、という活動なのだ。
検察の活動は、それでもいつかは“言論の自由”と“国際基準としての法律体制”に戻るべき
私が本書を熟読して思ったことは以下の2点だ。
日本の司法制度は、マスメディアに取り上げられた悪人のイメージを成敗するために、検察がなんでもやっていいという風潮がある。だが、それは必ずしも悪ではない。
なぜなら、日本はこの検察とマスメディの組み合わせによって、国民が過剰に裁判と検察(警察に怯える)治安の良い国になれたからだ。と。検察は考えている。
しかし、弘中氏はそれでもいつかは言論の自由と世界基準の裁判ができるようにならなければいけない。そう考えて強い信念のもと、本書を執筆しているのではないか……。
本書では一般人のリスクにもついて触れている
本書では、上記の安倍氏の裁判以外でも野村沙知代、カルロス・ゴーンなどの事例を扱っているが、中には一般人の訴訟である「中野区スクールゾン裁判」や外国人女性を拉致監禁的に労働させた「下館タイ女性殺人事件」などを扱っている。
この両者も見ると、検察の横行は一般人の裁判、つまりは社会的な影響力が少ない裁判についても、同様の行為が行われていることがわかる。
中でも区の清掃車に子供がはねられ即死した「中野区スクールゾン裁判」は、子供の父親がNHKの報道記者であったことが関係して、さまざまな行政と検察側の悪質な取引が明らかになった珍しい事例だと言える。これに関しては一般人でもかなり役立つ情報が語られている。
Q:どんな人が読むべきか?
大きな刑事事件ほど、悪質なヤメ検弁護士が採用されるリスクを孕む
A:刑事事件の恐れのある職業全般に従事する人
人間の職業では、すべての職業が刑事事件と関わりがあるわけではない。しかしながら、現代は自動化が進み、事務仕事や単純労働が減ったので、刑事事件と関係する業務は増加中だ。
その中で、刑事事件は、訴えたり、訴えられる側に特殊なメンタリティーがないと対応できないものだというのが本書を読むとわかるだろう。
また、共に戦ってくれる弁護士選びにも事前準備が必要だ。
例えば、本書では検察を引退した人が弁護士になったいわゆるヤメ検弁護士は絶対に、雇ってはいけないという。だが、特に有名人裁判ではこの悪質なヤメ検弁護士が、さまざまなルートを駆使して弁護に当たる場合が多い。カルロス・ゴーンも当初はこのヤメ検弁護士が担当して地獄に落ちかけた。
そのほかにも普通に暮らしていては手に入らない情報が満載である。本当にこういう貴重な書籍を書いてくれた弘中弁護士に敬意を評したいと思う。
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