歴代の日本インディーズ映画ブームと異なった、異色の空族ブームについて。『国道20号線』『サウダージ』のムーブメントを間近に見た記憶を元に

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2010年〜2012ごろまで驚異的なロングヒットとなったサウダージ。空族の海外進出の旗艦(旗じるし)となった。
ギャンブル依存症、覚醒剤依存症(ヘロイン)、地方都市の荒廃を夢を演出する感じで描いた『国道20号線』

はじめに

皆さんはインディペンデント映画というものをご存知だろうか? こうあえて聞くまでもなく、最近の人はほとんど反射的に「わかっている」というかもしれない。

それはおそらく『カメラを止めるな!』のブームがあったからだろう。

だが、あれは実は、厳密に言えばインディペンデント(独立系)映画ではない。

『カメラを止めるな!』は、非単館ブーム

近年の自主映画ブームで最も象徴的だったのは『カメラを止めるな!』のブームだったが、これは今までの自主映画ブームとは意味合い的にも客層的にも違った。

『カメラを止めるな!』は、K’sシネマでの一週間限定公開(7日以下だと劇場公開扱いされず、ワールドプレミアにならないため国際映画祭にたくさん応募できる)で、その後、池袋シネマロサなどで上映はしたものの、メインとしてはシネコン映画としてのブームだった。

それを簡単に表現すると、低予算で出どころは貧粗な出だったが、それはドラクエみたいな単なる成功法則の建前で、結果を振り返ると何処にもインディペンデントの要素がなく、堂々としたシネコンの映画で、ある種国民的な騒動だったのだ。

その証拠に、出演者の多くがテレビCMに出演し、監督自体もハイバジェットの作品を世に出している。つまりは、風刺的な要素もなく、社会性も政治性もなかったのだ。

そうなると、2000年代から2010年ごろにかけての空族のブームは、今のところ最後の単館系インディペンデント自主映画ブームと言っていい。そんな映画制作集団の空族について、過去の私の実体験した自主映画のブームも踏まえ、私なりの考えを書いていこうと思う。

空族公式ホームページ

1990年代の北村龍平のブーム

まず初めに、空族のブームに至るまでの流れをざっと見ていきたい。私が映画を志してから一番最初のブームは1990年代の北村龍平のブームだった。

これは、大雑把にいうと、塚本晋也などの低予算特撮系の流れを継いだものだった。

1970年代から始まった自主映画の祭典『ぴあフィルムフェスティバル』は、依然として権威的だったものの、やや条件縛りがキツすぎる傾向があった。20代の若い監督を育成することやボーイミーツガールや青年の主張的なものにこだわりすぎるのである。

その中で、アメリカ帰りの北村龍平は、持ち前のしっかりした特撮スキルを低予算でもビシバシ全面に出して、インディーズムービーフェスティバルという、映画ファン応募式の映画祭の初代キングとして頭角を表す。この流れは、確かに村一揆的な側面が強く、既存のSF製作者は、市場を荒らされ、自分たちのスキルのなさを北村龍平の存在によって、明るみに晒された。

ウィキペディアより引用:北村龍平氏

しかしながら個人的には、単なるアメリカ憧れ色だけの作家に思えた。

ストーリーも陳腐で、空族のような政治性や民族性、インテリ層への受けもなく、映画の全容を知らない一部のSFマニアに受けただけで、その後の彼の作家としての影響力のなさも考えると映画祭側の一過性の仕掛けられたブームだと言える。

2000年代前半 園子温のブーム

2000年代に入って、ヨーロッパ映画の単館でのヒットで東京都心を中心とした非シネコン映画の流行が始まるとともに、日本の自主映画も徐々に掛かるようになってくる。

その中で象徴的なヒットを放ったのが園子温『愛のむき出し』だった。

だが、本作も北村龍平ブーム同様に作品のクオリティは実は低い。そもそも、監督の園子温の作品の中で本作はかなりクオリティが低い方で、パンティの盗撮が趣味の股間の大きな美男子が、女子高生に恋をする変な作品という話題性が、集客に繋がっただけで実は短期間のブームだった。

よって、意味合い的には北村龍平のブーム園子温のブームは、体感としては同じだと言える。ただ、元々自主映画界だけでなく美術界や芸能界でも実力者として知られていた園子温監督は、この後も業界に影響を与え続ける名監督として活動するようになる。

空族のブームはどんなものであったのか?

空族の作品のブームを象徴するキーワードをあえてあげるとそれ

『ネット系評論』『月イチ上映』『超ロングヒット』 ということになると思う。

空族の作品のヒットの仕方は、いわゆる仕掛けがない口コミである

『国道20号線』と『サウダーヂ』の頃の空族は、作品が出来上がり、東京の小さな映画館で2〜3週間の上映をするのだが、当初の集客はいずれも少なく不発に終わる。が、その後、月一回の上映にシフトする形で、徐々に満員を連発するようになっていく。

ここに、ブログやYouTubeなどのネット上での評論が公開され始める。

空族を評価するのは、アカデミック界でもトップのインテリ層で、主には宮台真司(東京大学)西部邁(東京大学)、そこから映画芸術(雑誌)、ライムスター宇多丸など、大衆派の方へと流れていく。おおよそ、作品名が知れ渡るのに1年くらい掛かる感じだ。

生前、空族の映画を評価していた西部邁。彼が影響を与える世代が、やがて自主映画をハイカルチャーとして見るようになる。

空族の主要メンバー構成(『サウダーヂ』パンフから引用)

現在、空族のメンバー構成は国際制作を主体としているため、入れ替えが激しく、固定のメンバーは監督・脚本の富田克也氏と共同脚本の相澤虎之助氏の二人だけだ。だが、このブログでは2010年後を話題にしているので、サウダーヂのパンフレットベースで抜粋してみたい。

富田克也(監督・脚本)

1972年甲府市生まれ、東海大甲府高校卒業後、美術系の専門学校を経てフェリーニの映画をきっかけに映画撮影を始める。3年かけて製作された『雲の上』(2003)が「映画美学校 映画祭 2004」でスカラシップを受賞。その資金を元に『国道20号線』を制作し2007年に発表。同作品は『映画芸術』で2007年日本映画でベスト9位に選出。文化庁主催の日韓映画祭などで上映。

2007〜2008年にかけてサウダーヂのリサーチのためにドキュメンタリー『FURUSATO 2009』を製作。その後2011年に『サウダーヂ』を完成

相澤虎之助(共同脚本・監督・脚本)

1974年生まれ。どうやら出身は山梨ではないらしい。早稲田大学シネマ研究会を経て空族に参加。監督もしており『花物語バビロン』(1997)『かたびら街』(2003)などがある※他にも私は彼の作品を見たことがあるが「バビロン」がつくか作品が多い印象。共同脚本は『国道20号線』『サウダーヂ』とそれ以降の作品。

高野貴子(カメラマン)

1973年生まれ。日本大学芸術学部出身。『雲の上』『国道20号線』『サウダーヂ』の撮影を担当。クレジットを見るとほとんどが、セカンドカメラやアシスタントがいない。『国道20号線』などは、かなり重量のある16ミリカメラであったり、ロケ地が過酷でラップシーンやライブシーンも多いも『サウダーヂ』も彼女一人で撮影したというのは半ば信じられない。『バンコクナイツ』からは参加していない。何かの記事で育児に励んでいるという記載があった記憶がある。

小山内照太郎(ディストリビューター、海外展開プロデューサー)

1978年青森県生まれ。京都大学卒。青山真治や黒沢清、北野武のレトロスペクティブ上映やパリ映画祭で日本映画特集のコーディネート、翻訳、通訳、執筆などを行う。2009年からナント三大陸映画祭(『サウダーヂ』がグランプリ受賞)の日本映画を担当。空族の海外展開を手がける。

かなりレア品の『サウダーヂ』のパンフレット
コンテンツは充実しており、中でも撮影日誌は社会人になっても映画を撮り続けたい人間には役立つ情報が掲載されている。

空族のブーム:単館系映画館の崩壊前夜の戦略

空族のブームの起点となった『国道20号線』と『サウダーヂ』に共通する戦略を、さっきほどの『ネット系評論』『月イチ上映』『超ロングヒット』以外の面で述べていきたいと思う。

非ソフト化・劇場でしか見られない作品:秘境感

空族の映画は、本人たちがソフト化を拒否しており、1作品もリリースされたことがなく、その全てが劇場でしか見られないという仕様になっている。

これが、衰退が激しく、倒産が激増している単館映画館での上映となると、まるで「秘境」にいくかのような徒労感と思いっきりが無ければ難しい。これが逆にいうと、見る人の特権化につながる。

この手法は、メジャーデビュー前の濱口竜介(『寝ても覚めての』『ドライブ・マイカー』)も撮っていた手法だ。だが、濱口竜介はのちに『ハッピーアワー』以降の作品をソフト化するので、空族だけが唯一の劇場縛りの作家ということになる。

これによる効果で、大勢による作品の品定めがされずに時が経つ。これがカリスマ的な側面を膨張させて、広告以上の力を与えるということを、彼らは証明した。

ドラックカルチャーへのリアルでストイックな追求(非映倫的でソフト化が許されない)

『国道20号線』の予告編で1:30ごろに登場するシーンは、オーバードーズのシーンで、見るものはほぼ全員、この5分弱のシーンが一生忘れられないものとなる。海外の映画でもここまでの表現をしたものはほぼないと思う。

これはリアルタイムで空族を追っていないとわからないところだが、空族の映画は、他の映画では到底できないかなりのリスクを背負ったシーンを、クライマックス付近でもうける傾向がある。

彼らの反ソフト化志向は、劇場で映画を見ることを尊いとするメルヘンなものだけではなく、この映画の『限定された見せ物小屋』としての最大の魅力を常に備えている。

『国道20号線』ラスト付近で現れるヘ◯インのオーバードーズのシーンは、監督、キャストなどの関係者の中に、実体験者がいないと100%無理だと言える強烈なリアリズムに溢れており、これは例えば映画が嫌いな人間、無知な人間でも、どう考えても画面に釘付けになるショットだ。

これと同等のシーンが『サウダーヂ』にも当然ある。このタブーな側面が、空族の映画を僻地にまで見に来たものに独特のお祭り感をお持ち帰りさせる。

底辺・税金・バブル崩壊のエンタメ化

最後に触れたいのが、底辺・税金・バブル崩壊のエンタメ化だ。

空族の映画は見ていると、登場人物の収入ランクが厳密に決められているのがわかる。簡単にいうと、この登場人物の財布事情だと、ここにこれだけの大金を使うことが、どれだけ精神的にやばいのか、等ががよくわかる。

日本の一般的な映画のキャラクター造形は、はっきり言って職業や生い立ち止まりで、収入ランクで厳密に分けられていない。貧困層を扱った題材でさえ、それはほとんどない。

この設定のおかげで、登場人物が税金や景気後退の影響を話したり、金を借りるというシーンが出てきた時の重みが違う。しかしそれによって生まれるのは、実はエンタメ感に他ならない。

『サウダーヂ』のクライマックスシーンで流れるBOØWYの『わがままジュリエット』

これらのものが相まって、曲であるとか、小道具などの設定も生きてくる。こういうメジャー作品や他のインディーズ作品で絶対ない効果も空族の特徴だと言える。

『サウダーヂ』では、低予算映画にもかかわらず、クライマックスシーンでBOØWY『わがままジュリエット』がかかる。通常、著作権料金がかかるこのようなメジャーな曲は、それなりの劇場映画でも使用はしない。だが、見た人にはこれが経済性の最大の飛び道具であることがわかる。

以上、ざっと、空族の映画の特徴と戦略について書いてみた。

彼らの映画は、今でも1〜2年に一度くらいは必ず映画館で掛かる。機会が合えば、ぜひみてもらいたい。自主映画を作りたい人には特に、その戦略から学べるものが多いと思う。

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