濱口竜介作品を全て見ている藝大出身映画監督が語る『ドライブ・マイ・カー』:濱口監督らしさを排除した、経済的整合性への道

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『ドライブ・マイ・カー』は濱口竜介らしくない?

前作『寝ても覚めても』から一気に予算が少なくなったのが明確だった

カンヌ国際映画祭での脚本賞を含む二冠からアカデミー賞の作品賞・監督賞などの主要部門へのノミネート、国際長編映画賞の受賞に至るまで、快進撃を続け、今や国民的な映画作家になった濱口竜介監督だが、実はその作家性の分析が案外きちんとされていないのは、案外知られていない。

この記事では同じく藝大映画専攻出身の監督であり、濱口竜介氏の作品を全て見てきた私が彼を分析しようと思う。

おそらく、よくある解説ではなく、かなり異例の解析(そしてわかりやすい)となるだろう。

まず、一番に『ドライブ・マイ・カー』映画制作におけるポイントは、シネコンクラスの劇場公開映画としての低バジェット性である。

本作の予算は、明らかにはされていないものの、私の周辺でもその予算感は伝え聞いている。その規模から察するに1億5千万円以下であるのはどうやら間違いない。

これは濱口竜介の商業デビュー作であるおそらく『寝ても覚めても』より低いバジェットであろう。『寝ても覚めても』は、小説原作作品の相場は2億円であり、キャストやスタッフの体制からして1.5億よりは高いはずだ。だが、『寝ても覚めても』興行的には大失敗だった。

この動画の中で、『ドライブ・マイ・カー』の予算が1億数千万程度ではないかという議論がなされている。論調からするに、このような議論が出るからには、一般ギリギリの1.5億を下回っているからだろう。映画祭の人間のバジェットの読みは精度が高い。なぜなら、映画祭の実行員というのは、上映作品のほぼ全ての予算を知ることができるからだ。

主要スタッフに藝大関係者がかつてないほど多かった

エンドクレジットを見ている時に、スタッフクレジットでよく見る名前が多かった。知り合いも多く、私も普段お世話になっている人も少なくなかった。つまり、藝大OBやその関連人員の数が、尋常じゃなく多かったのだ。しかもスペシャルサンクスではなく、主要スタッフでも多かったのだ。

『寝ても覚めても』のポスプロのグレードから大きく下がっているのではという疑念

最初から最後まで、本作を見ていて、私はこの映画に歪さが感じていた。それは、不安定さというか、精査されていない何かという言い方しかできないが、明らかに存在しているものだ。

人脈の話をする。前提として、濱口竜介監督はこれまでの作品でも藝大同期の身内を起用する傾向はあるものの、特定の彼自身が能力を認めている人間に限っていた。

それが『ドライブ・マイ・カー』では、その人脈へのこだわりが感じられなかった。これはつまり何を意味するかというと、救援として藝大OBに頼らざる終えなかったという推測にぶち当たる。

ポスプロの精度についても見終わって疑問に思うところがあった。

予告編では、濱口竜介監督特有のキラーショットが多く、彼のストイックな演出が多く見られるという期待感があったのだが、思いのほか『ドライブ・マイ・カー』本編ではそれが少なかった。

ドキュメンタリータッチで効果音もBGMも抑えているのかもしれないが、それでも節々に『寝ても覚めても』と比較してポストプロダクション(撮影後の編集や音などの後加工工程)のクオリティの低さが見てとれたのだ。それはまるで、藝大の卒業制作と同等レベルの印象だった。

なんというか、いい意味で懐かしい感じがした。

予算を諦めたのに、濱口竜介が演出で自分らしさを出さなかった理由を考えてみる

映画の予算は単純に製作費だけではなく、そのほとんどが広告費(PA費と呼ばれる)となる

仮に『ドライブ・マイ・カー』の制作費が1億3千万円であった場合の内訳はこうなる。

  • 制作費5000万円(うち文化庁助成金2500万円・後払い)=体感としては3000万円程度
  • 映画祭応募・渡航費1000万円(特にカンヌは費用がかかる
  • 広告宣伝費・劇場ブッキング費6000万円
  • その他雑費1000万円(大概は広告のブーストに使用される)

映画制作において、予算の中で一番高額なのは広告費となるのは常識というか、威圧的な暗黙の了解だと言える。だが、えてして広告宣伝は労働力的な面でコスパが低い(熱心に動く人が少ない)。

そのため『ドライブ・マイ・カー』などの場合は、ビターズエンドなどの制作に絡むプロデューサーサイドが自力で担当する場合も考えられる。ただし、全国のシネコンの劇場ブッキングに関しては、最低でもギャガ(売上100億円クラス)の会社でないと難しいとされる。

私の目から見た現場環境:制作費2500万円クラスの予算だった可能性が高い

私の目から見た『ドライブ・マイ・カー』の制作環境は、人員の配置(藝大OBとインディペンデント人材が多い)とロケ地(広島市現代美術館・濱口氏のゆかりの宮城県)を考えると、2500万円から3000万円程度だったのではないかと思う。ただ、プロデューサーの手腕では1000万程度変わる可能性はある。ちなみに、藝大の卒業制作も200万円の予算と、機材、ポスプロ、人員・ロケ地の学内負担分を含めて、このクラスに該当する。

何より、濱口竜介監督の人脈と助成を協力的に行うロケ地が多用されており、むしろ都心のタワマンのシーンなど、絵的に映えていないロケ地の方が金銭がかかっている印象が強かった。

演出の優れた映画がたどる末路:『ミッドサマー』

演出を際立たせるとサスペンス要素が高まる

ここからは、濱口竜介監督が『ドライブ・マイ・カー』で彼のいつものエッジの効いた作家主義的な演出をなぜしなかったのかについて考えていきたい。

『偶然や想像』『寝ても覚めても』『ハッピーアワー』などと言った近年の作品群では、特に藝大時代の濱口監督らしい演出がさらに発展した映像演出が見られた。

それは一言で言うと「ニヒル」「サイコスリラー」的な要素だと言える。

総じて、フランス映画とアメリカの70〜90年代の低予算映画の流れである。

それに対して、過去に4時間を超える『親密さ』という劇団をテーマにした作品があったが、『ドライブ・マイ・カー』はこちらに近い『感情』が主要テーマとなっている。

『親密さ』は、黒澤明や台湾映画などの流れに組み込まれ、のちにはハリウッド的な性質を持ってくる側面で、視覚的刺激は前者より抑え目という特徴がある。

『ドライブ・マイ・カー』は、濱口竜介監督の過去作『親密さ』のタッチに似ている。

目でものを見るときの“衝撃”は、記憶を再編成する“感情”とは逆のもの:演出の毛色

藝大生のほとんどの監督は、恩師の黒沢清や黒沢氏の勧める作家に非常に影響を受けており、その最たるものが濱口竜介監督であるのは、おそらくほぼ全ての藝大OBに共通していると思う。

逆に、黒沢清氏にほとんど影響を受けていないのが真利子哲也監督だと思う。

この黒沢氏の系統の演出は「目で見える刺激」を探求する

そして、『ドライブ・マイ・カー』はこの方面の演出を手放した作品である。

なぜ、泣ける映画とキレた演出の映画が両立しないのか?

米国映画祭での高評価や興行収入に要求される『感情演出』

映画史に「キレた演出」と「泣ける」を良質した作品は少ない。

それは、黒沢清氏のような「エッジ系」の演出作家に、ホラーやサスペンスに特化した作家が多いのが明らかである。近年では『ミッドサマー』がその最たる作品だったと言える。

アリ・アスター監督の『ミッドサマー』は、演出のエッジさに全振りした作品で、その狂気生(「ニヒル」&「サスペンス」)が評価されたこの10年の最高作品だと言える。

本来このステージで濱口竜介監督は戦うことができる人材だった。

だが、彼はなぜそれを放棄して『ドライブ・マイ・カー』のような抒情的、いわゆる「おなみだちょうだい系」の作品を撮ろうとしたのだろうか?

それは主には経済整合性だろうと私は考えている。

これは、映画監督が貧困に喘いでいる日本特有の事情が関係している。

映像演出の基本は“心理操作(サイコロジー)”であり、情報量が少なくなる

映画は、閲覧している最中に絵が動き続け、見終わると振り返ることが難しい。

これが意味するものは、絵画・写真よりも読み込める情報量が圧倒的に少ないと言うことである。

では、映像演出にできて、絵画・写真にできないことは何かというと、動くものに働く「人間の共感性(シナプス効果)」を投影した情報の伝達である。

この「シナプス効果」を最大に利用したのが、サスペンスであり、最終的には恐怖の疑似体験を経験できる「ホラー」というジャンルとなる。

大衆を動かすには「感情効果」が必要。そして感情は「記憶を引き出す作業」である

日本の映画界は、世界の映画界の制作費よりも桁が1桁少ない。

場合によっては、若手は2桁少ないことも少なくはない。

濱口竜介監督は、自分の作りたいもの以外作らない作家なので、彼を常に資金問題が悩ませていたのは、藝大生(一部)の間でも有名な話だった。

そのため、彼は勝負所で例えば是枝裕和さんや黒沢清のように知名度を上げる必要があり、そしてそれは「いざとなれば興行成績を上げられる作家である」ということ証明する必要があった。

感情面を軽視した黒沢清という反面教師、感情面を重視した是枝裕和

だが、悲しいことに私たち藝大生の恩師である黒沢清は、感情面を重視せず、ひたすら映像演出の限界に挑むタイプの監督だった。

それゆえに、黒沢氏は、映画祭でグランプリが取れない

そして、例えば宮崎駿のように興行で成功して、国民を代表するような大衆作家の側面を持つことができないという欠点を抱えていた。

濱口竜介監督はこの点を十分理解しており、作家として黒沢清を建てつつ、自分はいずれは是枝裕和のように、グランプリも記録的な興行的な収入も達成すべきだと思っているところがあったはずだ。

そのため、普段から濱口監督は演出に全振りするというよりは、「演出中心の作品」「感情面をフォローする作品」を織り交ぜて作ろうという心がけがあったと感じている。

本作の「感情面」パートを担った三浦透子。彼女のキャラクターは、濱口作品にはこれまであまり見られなかった要素が多くある。

感情面の重視のために、作家的な演出を控えた『ドライブ・マイ・カー』

以上のことから、従来の濱口竜介らしさを押し殺した『ドライブ・マイ・カー』が誕生して、彼が国民的な映画監督として受け入れられるきっかけになったと私は考えている。

もちろん、狙って作れるものではないが、これは普段の心がけがポイントとなる。

本作では、頻繁に登場人物の多国籍ぶりから「戦略をした映画」という論調があるが、実はそんなものは当たり前で、海外に打って出る教育をされている人間ならやって当然である。

なので、今回私は、同じ藝大での教育を受けたものとして、濱口竜介監督の世界戦略の最も重要な部分を解説したいと考えて、この記事を書いてみた。

以上、参考にしてくれたと思う。

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