理性を否定する。本能を人間が操るための学問『行動経済学の逆襲(上・下)』リチャード・セイラー

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著者について

英語版ウィキペディアより引用

リチャード・セイラー(1945-)

2017年ノーベル経済学賞受賞者。シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス教授、同校意思決定研究センター理事。行動科学と経済学を専門とし、行動経済学のパイオニアの一人に教えられる。正しい行動を促す概念として提唱した「ナッジ」は一世を風靡し、日本を含む各国政府の政策に取り入れられている。2015年にはアメリカ経済学会会長を務めた。『行動経済学の逆襲』はエコノミスト紙やフィナンシャル・タイムズ紙の年間ベストブックに選出されるなど高い評価を得る。

2017年にはアカデミー賞を受賞した『マネーショート(英題『Big Short』)』で本人役として出演し、知名度を一気に高めることとなった。

ちなみに『マネーショート』(出演:ブラット・ピット、クリスチャン・ベール、スティーヴ・カレル、ライアン・ゴズリング 原作:マイケル・ルイス)は、私の生涯でも最も回数見た作品でおすすめである。

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2017年の『マネーショート』では、セレブのセレーナ・ゴメスと共に出演し、賭けている人に対して、また勝ち負けを賭ける、というリーマンショックの本質を実にわかりやすく解説。行動経済学の伝道師として、お茶の間での認知度を上げた。

目次

『行動経済学の逆襲(上)』

  • 第1部 エコンの経済学に疑問を抱く
    1970~78年(経済学にとって“無関係”なこと;観戦チケットと保有効果 ほか)
  • 第2部 メンタル・アカウンティングで行動を読み解く
    1979~85年(お得感とぼったくり感;サンクコストは無視できない ほか)
  • 第3部 セルフコントロール問題に取り組む
    1975~88年(いま消費するか、後で消費するか;自分の中にいる「計画者」と「実行者」 ほか)
  • 第4部 カーネマンの研究室に入り浸る
    1984~85年(何を「公正」と感じるか;不公正な人は罰したい ほか)
  • 第5部 経済学者と闘う
    1986~94年(論争の幕開け;アノマリーを連載する)

『行動経済学の逆襲(下)』

  • 第5部 経済学者と闘う(承前)
    1986~94年(最強チームの結成;「狭いフレーミング」は損になる)
  • 第6部 効率的市場仮説に抗う
    1983~2003年(市場に勝つことはできない?;株式市場は過剰反応を起こす ほか)
  • 第7部 シカゴ大学に赴任する
    1995年~現在(「法と経済学」に挑む;研究室を「公正」に割り振る ほか)
  • 第8部 意思決定をナッジする
    2004年~現在(貯蓄を促す仕掛け;予測可能なエラーを減らす ほか)

要約・解説・分析

セイラーの半生を描く:専門書らしさを捨てるが、実学的な本

本書は、学生時代のリチャード・セイラーが何を考え、行動経済学の道へ進んでいったのかをストーリー形式で描いたものだ。だが、だからと言って行動経済学のエッセンスが薄まっているかというそうではなく、むしろ、頭に入りやすい作りなっている。

抑える前提は1つ エコン(理性)とヒューマン(非理性)

本書で必要とされる基礎知識は非常に少ない。中でも、これさえ押さえておけばいいというのが、この「エコン」と「ヒューマン」という用語である。

  • エコン:理性的な人間(変なことをしない人)
    従来の経済学はこのエコンを前提に理論構築を行ってきた。それゆえに、予測を外しやすかったとも言える。その最たるものが、リーマンショックだ。
    よく言われる99%の人間は、××しない。するのは1%だけだ。というのは、主にエコン率100という意味であり、それゆえに普通の人間だとその1%が50とか60%になって崩壊する。
  • ヒューマン:ダメなところがある人(普通の人、変なことを我慢できな人)
    そのエコンに対して、行動経済学で主に対象となるのがこのいい加減な人間の集合体であるヒューマンである。ここが他の経済学と大きく違い、それゆえに行動経済学の的中率が高い。

本書を読むにあたって、この「エコン」「ヒューマン」を押さえておけばいい。本書の中でも「エコン」「ヒューマン」という用語の解説がなくはないが、解説されるのは一瞬なのに、「エコン」「ヒューマン」の二進法は、上下巻で最初から最後まで1000か所くらい出てくる。

金儲けのモデルケース多数:雪の少ないスキー場のチケットを、行動経済学で売りまくれ!

本書では、読む人の興味を誘うようなトピックが多く書かれている。その中でも、特に行動経済学を使ったお金の稼ぎ方が多分に書かれているのが、他のこのジャンルの書籍と大きく異なるところだろう。

このように、さまざまな行動経済学を利用したお金の稼ぎ方が紹介されているが、セイラーが若輩時代に友人のスキー場経営者の息子に相談されたエピソードである。

セーラーがアドバイスしたスキー場の前提

  • 降雪量が減少し、倒産しそう
  • 収入源はリフト券と、特別料金の競技用コース
  • 特別料金の競技用コースは、手袋したままチケットが買いにくく不評
  • 雪が降ってもガラガラ

セイラーの最初の施策

  • リフトの前売り券(1年前から発売)を激安で販売
  • 競技用コースはチケット代に入れる(実質無料化)
  • 前売り券購入者の追跡調査を開始

セイラーの顧客の行動を見てからの追加施策(行動経済学を使う)

  • 前売り券の延長に対応(実質2年間利用可)
  • 上記の施策により、電話問い合わせが減り人件費縮小
  • 前売り券を買った客は、実はスキー場にほとんど来ない(サンクコストの発見)
  • さらに前売り券の割引イベントを追加
  • 最終的に、スキー場に雪が降らなくても大儲け

前売りを買う人は、スキー場に来ないで満足する。さらに次の年も来ない

セイラーが、前売り券の発売を思いついたことは重要ではない。

重要なのは、セイラーが「サンクコスト」がどこかにあるだろうと、ずっとチケット購入者の動向を探っていたことにある。これが、行動経済学の基本的なスタンスだ。

結果、分かったのは、前売り券を買うスキー客は、裕福層ではなく、仕事も休みが少なく時間的な余裕がない人が多い。さらには、電話やメールでの苦情は言うが、現地に赴くアクションは起こさない、と言うことであった。

ここが分かったセイラーは、直ちに次の行動として、不確定な未来を低所得者層にどんどん買わせるような施策(競技コース無料、大量にリフトチケットが余った人は2年後も使える)を打ち出す。

隠して、雪の降らないスキー場は、大儲けを続け、倒産危機を免れた。

行動経済学の理論は、企画は無理。追跡して、手法を変えることが必要

セイラーのこの施策が、実は現代社会でも多く導入されていることに、カンのいい人は気がつくであろう。今や、この前売りチケットマーケティングは、映画、演劇、スポーツイベントなど常識化している。

だが、日本の映画業界などを見たらわかるが、成功している業界はむしろ少ない。

それは、サンクコストを許容する顧客の“心の動き”を追いかけていないからだろう。

本書では、このサンクコスト(「沈む費用」の英訳:使われないチケット)の発見以外にも、本書では株取引の法則(ダニエル・カーネマンのプロスペクト理論の応用)などの、現在でも手軽に使って儲けられる行動経済学の秘策が書かれており、その方面に興味がある人にはかなりおすすめである。

ノーベル経済学賞を受賞した、代表的な業績『ナッジ理論』

あまり中身を書きすぎると問題もあるので、最後にセイラーがノーベル賞を受賞したナッジ理論について触れておきたい。

ナッジ理論とは、何か?

それは、快適な状態で永続的な自己改善ができる、いわゆるバイアスに気がついて、補正するためのシステム理論である。このナッジ理論によって、SDGsは誕生したのである。

だが、一方、私は怖さもあると思う。クリーンだが実は気持ち悪い側面もあるのではないか。その点でかなり要注意の理論であると、常日頃感じているのだ。

なぜなら、これには「良心」や「寛容さ」を持てない人を、知らないうちに地獄に落とすリスキーな側面を持っているからである。もっと言うと、これは欧米と違う文化圏、例えば中国やロシア、アセアンエリアを囲い込む思想が、結構あからさまに透けて見えるところがある。

運転免許と臓器提供許諾の例:暗黙認証か、意図的認証か

先進国の多くの国では、運転免許書に付随する形で、もし事故で脳死などになった場合に「臓器提供を行うか?」という意思表示をする欄が設けられている。

これに関しては2つのパターンがある。

  • A:自ら「臓器を提供する」と意思表示するケース
  • B:NOと言わない人以外は「臓器提供するケース」

Aのケースは日本やアメリカなど、多くの先進国で採用されている。しかし、このやり方ではなかなか「臓器提供をする」という人を集めることができない。

それに対して、Bは、読み飛ばしている人などを含め、大量の「臓器提供をする」という賛同者を獲得することができる。Bは、カトリック教のエリアなど宗教的に臓器移植を嫌う国で多く採用されてきた。

Bはいざ運用すると、悪魔的すぎて上手くいかない

ところが、Bの手法で臓器提供を行うと、当然といえば当然だがトラブルが多発する。特に裁判のやりやすい国では、親族が国や医療体制を告発すると言うことが頻繁に起きた。

それゆえ、結局、Aと同じアクションを起こさなければいけないことになる。

この良心的に行動を促す仕組みづくりを、セイラーはナッジ理論として発表した。これらは、現在のSDGsの屋台骨として使われており、「良心」「寛容」の思想の流布に貢献している。

ナッジ理論は、大きな実行力を否定することが多い

本書を読み込めば、ナッジ理論の諸刃の部分も正直に書かれているのでいろいろとわかる。

その大きなものの一つに、ナッジ理論は「大衆的な心地よさ、快適性がなければ作動しない」ということである。これは、表面的にはいい話に聞こえるが、例えば私のような芸術産業の人間からすると、実に気持ちの悪い、リスキーな側面も持つ。

それを簡単に言うと、先進性へのチャレンジの道が、大きな資本や国の視座によって閉ざされやすくなる可能性があると言うことである。

これは同様に、強烈なトップダウンの中国やロシアなどの政治体制をバックにした、いわゆる旧共産系の経済圏に対しても、逆方向に作用することが想定される。

Q:どんな人が読むべきか?

A:行動経済学のさわりを知りたい、と言うには上下2巻の分量は多すぎるし、書かれている内容の凄さには適さないと思う。読みやすいが、初心者向けの本ではない。

どちらかと言うと、大衆(変な人の集合体)を行動させることに注目した、行動経済の本当の怖さを、割としっかり知って、それを活用したいと言うよくがある人が読み込む本だと思う。

セイラーは、非常に正直な学者だと感じる。彼はこの、行動経済学の恐怖の側面を、けっこう開けっぴろげにハツラツと話す。このハツラツさが、マイナーだった行動経済学を、経済理論の主流に押し上げたのだというのも、本書を見るとよくわかる。

これまで、人間の歴史は「欲望を実現したい」とか「正しいことをしたい」という少数の人間たちによって、どうにかこうにか切り開かれてきたが、行動経済学が示すのは、この「理想主義」の逆である。

そう言う意味で、身を守るために、ユーモアを持って読んでおく、という本だと思う。

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