本作はアマゾンオーディブルの読み放題対象作品です
この作品を取り巻く情報
角田光代
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年『幸福な遊戯』で第9回海燕新人文学賞、96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で第13回坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年第46回産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞を受賞。03年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で第132回直木賞、06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞を受賞。
あらすじ
いじめで群馬に転校してきた女子高生のアオちんは、ナナコと親友になった。
専業主婦の小夜子はベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始める。
立場が違ってもわかりあえる、どこかにいける、と思っていたのに……結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、たったそれだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。
女性の友情と亀裂、そしてその先を、切なくリアルに描く傑作長編。
(このあらすじは、非常に悪文でわかりにくい)
要するに、ある子育てに悩む女性が、自由奔放な女社長に出会い、過去を思い出す作品だ。
20代までの芥川賞落選が続いたのちの、37歳10ヶ月での直木賞受賞
講評会では、平岩弓枝、林真理子という二人の女性審査員から高評価
今回、本作のレビューを書くにあたって、作品の面白さよりも、この作品の評価のされ方が非常に気になったので、その辺をまず書いていきたいと思う。
「自由奔放に行きつ戻りつしているようで緻密に計算されている構成のおかげで作品の流れがよどむことはない。こけおどしの作為もないし、豊富な資料を使った重厚さもない代りに、登場人物の一人一人の表情がはっきり見え、その背景の現代に正確なスポットライトが当っている。受賞作にふさわしいと思った。
第132回直木賞選考会:平岩弓枝の発言
「少女の頃からどこかに属していないと、女たちは非常に生きにくいという現実を踏まえながらもこの小説には救いがある。」「女たちの茶飲み話のようなせせこましさを打開するために、いきなり心中を持ってきてスケールを拡げる。こういう技を筆力がない人がやると白けてしまう。若いのに文章修業を積んだ角田さんはらくらくとやり遂げてしまった。」
第132回直木賞選考会:林真理子の発言
地味な“主婦のバイト話”から、女性の社会評価の歴史に切り込む
反壮大・少人数・反エンタメ、直木賞の流れを断ち切る「直木賞」作品
角田光代の作品といえば、映像化しやすいというのが私の当初のイメージで、その次に、「男性社会に対して反旗を翻す」というのが、その次に来る。その両方が本作『対岸の彼女』にもあった。
ただ、この作品は技巧的に相当優れており、技巧が感情を生むという効果も垣間見えるものであり、彼女のいわゆる女性への共感性を狙う作風とは、全く逆の特徴を持つ。
つまり、直木賞という主戦場で、これまで「芥川賞に対抗する形で行われてきたルール」「エンタメ感」を否定することで「おまけとして女性評価がついてくる」という妙な作品だと言える。
運命の「女友達」とは何か? がテーマ
話がややこしくなりそうなので、シンプルに解説する。
本書のテーマは「運命の女友達とは誰か?」だ。
そして、この「運命の女友達」を構成するものが、非常に複雑なもので構成されている。その複雑さがむしろ男性とは違う女性らしいもので、当然、ここには「日本人女性が受けてきた空気的差別」が表現されている。
しかしそれでも、その表現の仕方がかっこいいために、前出のように直木賞で二人の審査員から素直に高評価を得られたことが想像できる。
文学賞の選考では、あからさまな「女性感」は嫌われる
「力量を感じさせる作品だった。」「ただ、ここに描かれた孤独が、いじめから生み出され、そのいじめがどこか類型を越えていない、という思いにもつきまとわれた。」「男の描き方が、私には多少不満であった。」
第132回直木賞選考会:北方謙三の発言
直木賞選考会から見る、女性感・男性感の評価
何気に、日本の文壇はかなり早い時期から今でいうSDGs的な空気があった。それは、芥川賞も直木賞も審査員の数を、なるべく男性・女性の比率を半々にするという仕組みによるものだ。
現在、経済用語で言われるESG投資の基礎である人権が、「売れる部数が左右される」という理由で男女比率にこだわった本の世界が、ここを先取りしたことが面白い。
そんな中で、審査というものは逆で、あからさまなものは避ける風潮があり、角田光代はその「あからさま性」があるが故に、落選を続けていたところがあったように思える。
選評で、北方謙三がめめしい発言をしているところに、今回の角田光代のそのアラのなさが見える。つまりは、内容よりも技巧・技術的に優れた作品が、感情的な評価を受けたというのがある。
女性を励ましつつ、男に女を知ってもらえる本
角田光代の『対岸の彼女』以外の作品は、私は結構キライで、それは感情的な幼稚さやアラさがふんだんに盛り込まれているからである。
だが、本作はなぜかそこを「一瞬だけ克服した」作品だと言える。
その効果として、本作は「女性を励ましつつ、男に女を知ってもらえる本」という特徴がある。ただし、弱点としては文学作品や芸術作品に触れていない人には「ちょっとわかりにくい」というところがある。そこは、残念といえば残念だ。
また、「面白さがわかるまで時間がかかる」典型の本だ。
よって、読む前にはその辺を気をつけてもらう必要がある。
Q:どんな人にオススメか?
A:角田光代や女性的な作家がキライな人。その次に、主婦。
本作は、とても爽やかな感動をもたらしてくれるが、高度でわかりにくい。だが、直木賞を受賞したことで「ついてきてくれる」読者を獲得した。
そのために、かなり賞を有効活用した作品だとも言える。
だが、逆にいうと、「直木賞のイメージ」のせいで、こういう地味な本を好きな人からなかなか読まれない状況を作ってしまったのではないかな、とも思う。
要するに「女性の地味な情報」を読みたい男性に届いていないと思う。その人たちには、読んでもらう価値はあるかと思う。
あとはやはり本書が持つ「女性を励ます力」は、なかなか捨て難い。その点で、子育てや社会復帰に苦労する女性には、抜群の効果があるだろう。