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著者紹介

アゴタ・クリストフ(1935〜2011)
ハンガリー出身のいわゆる難民作家(亡命作家)である。
高校卒業後、大学進学の希望はあったものの、高校の教師と結婚。一児をもうける。その後21歳の時にハンガリー動乱に巻きこまれ、夫と娘と共にスイスに亡命。時計工場で働き始め、後に店員、歯科助手など、専業作家になるまで職業を転々とする(この後、離婚しフランスで再婚)。
やがてパリで刊行されているハンガリー語文芸誌の『文芸新聞』(Irodalmi Újság イロダルミ・ウーイシャーグ)や『ハンガリー工房』(Magyar Műhely マジャル・ミューヘイ)にハンガリー語で詩を発表し始めるが、多くの作品は出版されることはなかった。
生計を立てるためには世界的に影響力のある国の言葉で作品を発表する必要があると一念発起して、フランス語で執筆を開始し、1986年『悪童日記』でフランス語文壇デビューを果たす。この作品は世界で40以上の言語に翻訳され、同時に世界的にも注目される作家となった。
後天的に取得したフランス語を用いて書くため、やや文章にある種のぎこちなさはあるが、それがむしろ物事を端的に表現し、独特のインパクトを持った文体となっていた。
本書『悪童日記』は、双子の少年達が戦時下の田舎町で成長し自立していく様を描いており、一人称複数形式(「ぼくら」)を用いて成功した稀有な小説として知られている。
以後、『ふたりの証拠』『第三の嘘』をあわせて完成させた三部作が彼女の代表作。彼女の小説には亡命の厳しい体験が反映されている。
あらすじ(出版社の文章)
戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。
その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。
人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。
ブログ主の勝手なまとめ
本書に興味を持ったのは、この作品が『独ソ戦』(ナチスドイツ VS ソ連:スターリン政権)の同時代を描いたものだと言う事を知ったからだ。
過激で不快な表現にこだわる理由
本書は、オーディオブックで読んだのでなんとか読めたが、紙の書籍で読んだ場合、その過激な表現とたやすく読まれまいとする文体で、読むのやめてしまった可能性が高い。
主人公の双子の兄弟は礼儀正しい。礼儀正しいが、やっていることの酷さはすごく、これが“平時ではない”という緊迫感をもたらす。
また、彼らの里親的な存在になる祖母の存在も同様に通常では考えられない異常な人格である。マッド感のある“いじわるばあさん”というか、完全な嫌われ者だ。
大事な時期に初等教育を受けられなかった少年たち
内容は、実にわかりやすい。1940〜1946年くらいまでの時期に、双子の少年がシングルマザーの実家に疎開するという設定だが、戦時中の物資が少ない時期のため、もろに祖母に嫌がられる。
実質的に、祖母から強制労働をさせれつつ、そこからどうにか生き抜いていくために、双子の兄弟の性格はどんどん悪化していく。兄弟は、時々祖母を殺そうとさえする。
戦後の日本にも同様のことがあった。
表立って語られないが、戦中育ちの人間は礼儀・礼節を無視するものが多く、今でいうDV夫というか、暴力にうってでる男が多かった。
その理由は明白だ。
彼らが幼少期から青年になるまで、日本には警察もなく、取り締まる法律的なものが無かったし、何よりも叱る大人がいなかった。人格に倫理観が確立していないのだ。
1954年に警察法の施行により警察が誕生し、時間をかけて全国展開するまでに、日本の犯罪状況は安定しなかった。その中で犯罪のメインは、少年少女だったのだ。
これおそらく、戦災が大きかった欧州にも当てはまることだろう。特に、欧州は短期間で二度も大きな戦争を起こしているので、この点は日本よりも酷かったかもしれない。本書を読むと、当時のこの環境が非常に良くわかる。
1986年に『悪童日記』が書かれた背景を考える
しかし、本書はあくまで第二次世界大戦の疎開の物語であり、どうして1986年に出版されたのかという疑問を感じながら読んだ。このような日本の戦後文学は主に1950〜1960年ごろに盛んで、1980年代というと村上春樹や村上龍などの「脱戦後」の文学に完全移行しいていたからだ。これはアメリカも同様だった。
だが、長編小説を書くとすると大体1〜2年くらいかかると考え、この頃のヨーロッパの作家たちの環境を考えてみると、なんとなくだが理由らしきものがわかってくる。
1980年ごろから始まったイラン・イラク戦争は西側(アメリカ・西ヨーロッパ)と東側(中国・ソ連)の代理戦争化しており、それによって経済が弱体化したソ連を立て直すためにゴルバチョフがソ連のトップになった(1985年)。
おそらく、このような流れが欧州エリアでの第二次世界大戦の回顧の必要性を引き出していたのだろう。
本書の面白さとは:教育感=反面教師だけが「真の教育」となりえる=有事の教育
以上のように非常にクセのある書籍であり、一般的な面白さは無いように見える。
ただ、本書を読む意義は大きいので、このような名作の扱いを受けている。
その最大の点は、私は著者のアゴタ・クリストフが『教育とは“反面教師”だ』という主張を持っているところだと思う。酷い環境で育った人間は、人間としても優れていることが多い、という観念が、彼女の中に非常に色濃くある。
おそらく、1986年周辺は、世間的にそういう昔気質な教育観念が、消えかけたところに、やはりそういう古い考えも一理あるのではないか? という展開が起きやすかったのではないかと感じる。
そういう意味で、本書は「忘れかけた本質を取り戻す」という側面を匂わせる。
Q:どんな人が読むべきか?
A:ベケットなど、海外純文学に慣れている人。
かなり人を選ぶ小説で、感動モノやサスペンスではないのも非常にネックというか読みにくい。おそらく、本書は「名著つんどくリスト」なるものがあると最上位に位置する書籍だと思う。
よって、サミュエル・ベケットなどの欧州のくせのある書籍に慣れている人が対象だと思う。
ただし、米国文学が好きな人は対象外。米国文学は、ヨーロッパに比べて読みやすく、メッセージ性もあり、この手の欧州純文学のような抵抗感はない。村上春樹などは全く逆だ。
Q:読んで得られるモノは?
A:欧州のニヒリスト的インテリ層の指向と、戦時中の疑似体験など。
欧州は、第一世界大戦、第二次世界大戦とたったの25年の間に二度も大きな戦争をしてしまっており、現在のウクライナ戦争やコソボ紛争などを見てもわかるが、近代戦争が非常に起きやすい。
その裏側にある生活感というか、そういうものが本書を通してわかると思う。
それをざっくりいうと、礼儀正しさやきちんとした教育、というものは、戦争を防げない、むしろ戦争の起点になってしまうという点だと言える。そこを踏まえると非常に貴重な本だと思う。
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