藝大卒の映画監督はどう読んだか? 資金集めの内幕から内容干渉まで『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』西森マリー

映画制作

著者紹介

西森マリー(1961〜)

ジャーナリスト。エジプトのカイロ大学で比較心理学を専攻。イスラム教徒。1989年から1994年までNHK教育テレビ「英会話」講師、NHK海外向け英語放送のDJ、テレビ朝日系「CNNモーニング」のキャスターなどを歴任。1994年から4年間、ヨーロッパで動物権運動の取材。1998年、拠点をアメリカのテキサスに移し、ジャーナリストとして活躍している。
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

ブログ主による追加情報

西森マリー氏は、ずっと以前から本書の監修者である副島隆彦氏と指定関係であった。以前の著作『副島隆彦の人生道場』に匿名で出てきている学生の中の一人がおそらく彼女のことだろう。

NHK時代の西森マリー氏は、今の姿とかなりギャップがあり、溌剌とした印象があり、優しいお姉さん的な感じで仕事をしているようだった。探してみると著書も多い。

この西森マリー氏が、ディープステートの批判本を作り出したのは、トランプの大統領選挙前半あたりからだ。急に性格が一変したような感じになる。

特に『ディープステイトの真実』は、発刊直後に書店差し止めがあったのか、流通がいきなり止まり、メルカリなどで高額本として扱われた。この本は私も読んでいる。

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目次

  • 第1章 プロパガンダ映画の黎明 ―― 第1次世界大戦
  • 第2章 プロパガンダ映画への全面協力 ―― 第2次世界大戦
  • 第3章 ペンタゴンとCIA
  • 第4章 FBIの影響力
  • 第5章 戦争、紛争、テロ、革命
  • 第6章 ホロコースト、ユダヤ人差別もの
  • 第7章 ウソの上塗り、フェイク・ヒストリー
  • 第8章 リミティド・ハングアウト ~限定的露呈~
  • 第9章 イリュージョンの刷り込み
  • 第10章 予知映画
  • 第11章 ソーシャル・エンジニアリング
  • 第12章 アートも音楽もマインド・コントロールの道具

ブログ主の勝手なまとめ & 感想

本作は、とにかく作品数が多く、その分、内容が散漫である。

しかも、きっちり読もうとするには内容も難しいものが多く、聞き慣れない単語も多いので躊躇するだろう。どちらかというと、資料として扱う本のような気がする。

サイオプ(心理操作)・グラディオ(謀略)で出来上がっているハリウッド映画

本書では、かなりヒステリックに何でもかんでも作品名を出して、サイオプ(心理操作)・グラディオ(謀略)を連呼するので、読んでいてだんだん辟易してきた人も多いはず。

私もそうだった。

だが、まあ、確かにそうなのだ。

ハリウッド映画の資金集めは、日本とは異なるスタイルで行われることが多い。その辺について知っていれば、本書をさらに読みこなすことができる。

映画は、特にハリウッド映画は、ネットフィリックスやHBOなどの配給会社の配信網で、世界流通網として超高速に視聴者に作品を届けられるようになった。

そうなると、おそらく今後はこのアメリカのサイオプ・グラディオを多く含んだ映画は、増大していくことが想像できる。彼女がやたらヒステリックになる理由もわかる。

前提として知っておきたい、ハリウッド映画の資金集め

ハリウッド映画の予算規模の平均は現在、150億円から200億円程度だと言われている。例えば、40億円で製作されたニール・ブロムカンプ『第九地区』などは、ハリウッド流に言えば、超低予算映画だ。それに対して、日本の平均的な映画制作バジェットは2億円程度だ。

100倍の開きがあるので、話がややこしくなる。

日本で大ヒットしたSFコメディの『第九地区』は、40億円ながらもアメリカでは超低予算映画と言われている。

アメリカのプロデューサの資金集めで最も重視される企画段階(プリプロダクション)

なぜ、日本とアメリカでこのような予算の開きがあるかというと、映画の市場規模(日本:2300億円(配信を含むと2800億円)アメリカ:2兆円(配信を含むと6兆円))もあるが、資金集めの手法にも関係している。

日本の場合は、企画段階では世界的な興行は実現性が低く、ほぼ見込めない。それがアメリカの場合は、キャストや監督の人事によってかなり濃厚に決まる。そのために、最初から世界配信を想定して、企画段階で検閲やチェックを経て、資金提供が画策されることが多い。

よって、アメリカのプロデューサーによる資金集めの山場は、撮影前(プリプロダクション)ということになる。そこで、出資者はその作品が世界に与える政治的なメリット・デメリットを見極めなければならない。これが、本書『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』のメイン舞台となる。

ハリウッド映画は、むしろ政府とのつながりを公表することをメリットと捉える

これは私の推測だが、ハリウッド映画は実は『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』で非難の対象となる米国政府とか米国軍との関係性を、メリットとして考えている可能性が高い。

確かに、『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』で言われるような、後ろめたい内容変更・内容干渉は多くあるが、そもそもそれらを開示しているところに注目してほしい。

それによって、多くの他の弱小出資者は安心するだろうし、失敗作になるようなリスク(あるいは失敗作を作ってしまっても外部評価(映画祭)などで覆い隠す手段の確保)を、結果的に組み入れることになるのは、明白だと思う。

以上のことを踏まえて、本書を読み解いていきたいと思う。

本書のいいところ

1910年代からに「思想洗脳を積極的に映画制作に組み込む工程」を丹念に解説

私が本書を評価できると思う点は、1916年の『ソンムの戦い』、1918『ハーツ・オブ・ザ・ワールド』というモノクロ無声映画に冒頭できちんと触れているところだ。

この二作の監督であるグリフィスは、映画史の勉強をした人間なら誰でも知っている人物だが、学生たちはほとんど彼の映画を見ない。市販されているものが少ないのもあるし、最初の数分でいきなり奴隷とかKKK(黒人排除の新興宗教)とかがバンバンでくる、今のアメリカからは想像できないやばい作品が多いからだ。ここからスタートすると、現代のハリウッドの政治映画を確かに理解しやすくなる。だが、この教育を日本の映画系の大学や専門学校は明らかに避けている。

グリフィスの映画は版権が切れているので、多くが無料でみることができる。現代人からすると、異常な白人至上主義ぶりが悪趣味を通り越して、憎悪のレベルまできている。彼の作品を最初に見ておくことで、現代のハリウッド映画への冷静な視点が持てる、のだが、日本の高等教育はここを避けて通る傾向が強い。

また、第二次戦時中に歴代の名監督がいわゆる戦争映画作りに終始した経緯も書かれている。フランク・キャプラやジョン・フォードなどの名監督は、これで戦時を無職にならずに凌いだ。一般的な映画に劇作に比べ、明らかに国粋主義に偏っているものの、多くの作家がこれを受け入れた。

これは、日本でも同様だった。小津安二郎や黒澤明を筆頭に、国粋主義映画は戦時中に多く作られたが、これを日本国内では積極的に扱わない(海外の資本がこういった国粋主義作品のデジタルリマスターを作りたがる傾向はある:ヴェネチア国際映画祭のデジタルリマスター企画など)

小津安二郎の国策映画『父ありき』は、父権性の強化を前提に作られており、戦後の小津のテーマであった『父権性の緩やかな崩壊』とは全く逆のテーマで作られている。小津に対して、黒澤明は戦時中に彼が携わった国策映画で見れるものは少ない。

本書のダメなところ

国策色がソフト化・弱体化している時期の作品でもギャーギャー騒ぐ

逆に残念なところは、後半部分でなんでもかんでもグラディオ(思考洗脳)だとか、サイオプ(政治的目くらませ)だ、騒ぎたて、冷静さを失ってもはや文章というよりは、作品をただヒステリーに並べるだけになってしまう後半部分だ。

これに関しては、おそらく監修の副島隆彦氏も辟易していたのではないだろうか?彼の著作でも「女のヒステリーはひどいがやり過ごすしかない」というスタンスだし、副島隆彦氏の映画本とも全く逆の記述が多い(副島氏はスタンリー・キューブリックを高評価しているが、本書では全部サイオプだ、悪の使いだ、みたいなことが書かれまくっている)

特にスピルバーグなどは、アメリカが国際紛争や代理戦争をしているときには、実はあまり戦争ものやSF作品を撮らずに、静かにしていることが多い。温厚な監督である。

なぜなら、彼は資金集め自体も自身で行い、なるべく米軍や政治家との関わり合いを持たない傾向がある。これを本書では完全に無視している。

また、ブラッド・ピット(『プランB創設者』)の作品も多く槍玉に上がっているが、彼などはむしろ米国人でありながら、反米的な作品が多く、むしろアカデミー協会とは適度な距離をとっている作家(プロデューサー)である。

この辺の、誰が味方か敵かの識別が、意識が朦朧としているのかできないない、バランスの悪さ、アメリカ人でハイバジェット作品に関われば全部敵、見たいな雰囲気が本書にはある。

マドフ事件では、スピルバーグが映画制作資金として運用していた40億円が吹き飛んだ。彼自身は、ユダヤ家ではあるが、なるべく政治的な要素にかかわらず、軍産複合体や大企業の出資に依存しない映画作りをしている印象がある。それでも西森マリー氏からは極悪人扱いをされている。
リーマショックのアメリカの失態やバカぶりを映画いた『ビック・ショート(放題『マネー・ショート』)』や奴隷制度の闇を映画いた『それでも夜は明ける』などを制作する俳優のブラッド・ピットも槍玉に上がる。彼などは比較的温厚で、むしろ反米的だが、これですら西森マリー氏のお許しは出ない。

Q:どんな人が読むべきか?

A:陰謀論と適度に距離を取れる人。

私は、ときには陰謀論が現実社会に強い影響を与えて、確かに裏からさまざまな情報をコントロールする時期があると考えていいタイミングがあると考える人間だ。

だが、本書のように、徹頭徹尾、全てが陰謀論でアメリカ人が極悪人だ、と決めつけて書籍を書くのはどうにも理解できないし、残念だと思う。

西森マリー氏は、本書『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』の後半部では完全にヒステリー状態となり、降霊的(シャーマン的)な文章となっている。

ただし、何度も言うようにこの本には、彼女ならではの情報ソースだとか、ものの見方が良い面で味わえる記述も少なくはない。その辺を冷静に距離を置いて見れる人には良い本かもしれない。

ある程度「映画史」に通じてなければ、本質がわからない本

また、本書は実はフィルムスクールで学ぶような「映画史の基本(アメリカ・フランスのダブルスタンダード)」を習得していないと読み間違う部分も少なくない。

できれば、最小限の映画史を知っている方が望ましい。その点で映画専攻の受験で必須とされている『映画史を学ぶクリティカル・ワーズ』くらいの知識はできたら持っていた方が良い。

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