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作品情報
あらすじ:75歳以上の希望選択的「安楽死制度」のストーリー
これが長編デビュー作となる早川千絵監督が、是枝裕和監督が総合監修を務めたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」の一編として発表した短編「PLAN75」を自ら長編化。
75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本を舞台に、その制度に翻弄される人々の行く末を描く。少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会で可決・施行され、当初は様々な議論を呼んだものの、超高齢化社会の問題解決策として世間に受け入れらた。その後の日本の世界を描く。
評価:カンヌ国際映画祭 カメラドール受賞作(最優秀新人賞・次点)
本作の海外での評価はすこぶる高い。それは、ワールドプレミア(世界初お披露目)を果たしたカンヌ国際映画祭での評価が拡散されている状態である。
本作は、河瀬直美以来のおそらく30年ぶりぐらいの日本人のカメラドール受賞となった。女性のカメラドール受賞となると、さらに希少である。
個人的にはカメラドールには、演出、特にカメラワークでの多彩かつ高精度な厳しい基準があるように思っている。早川千絵監督は、その点で若干つまづき(中盤から後半の演出が弱い)があるが、それでも日本人離れした高精度な演出を実現している。
作品情報
2022年製作/112分/G/日本・フランス・フィリピン・カタール合作
(フランスの出資が入ると、カンヌで上映される確率は20〜30倍上がるといって良い)
スタッフ(気になるところだけ)
監督・脚本:早川千絵(ぴあ受賞後、是枝氏の制作会社『文福』に入社。現在は別会社に移籍)
脚本:ジェイソン・グレイ(プロデューサー兼務←ラッキー要素)
撮影:浦田秀穂(映画の参加は実に13年ぶりだった)
録音:臼井勝(日本のインディペンデント映画では録音ゴットファザー的な人物)
編集:アン・クロッツ(助成金の関係か主要部門以外は外国人クレジット多し)
実は早川監督と私は企画コンペで競ったことがある(もちろん負けた)
早川千絵監督とは直接お会いしたことはないが、2016〜2018年にごろにかけて、国際マーケットの資金獲得コンペで何度か、競っている。いずれも私が負けた。だが、ある意味リスペクトがある。なぜなら、同世代で、かなり遅咲きにもかかわらず学閥や企業の力を借りずにデビューした人だからだ。
そういう意味で、彼女のことをついて、私には語る権利があるのではないかと思う。
女性監督は少ない、遅咲きの女性監督はもっと少ない
早川千絵監督は、38歳のときに『ナイアガラ』という短編がぴあフィルムフェスティバルに入選して、そこでグランプリを獲得して注目された。
このぴあフィルムフェスティバルは、年齢を逆差別することで有名だ。つまり、若年を優先し、年配は可能な限り入選させない。それ故に、中年女性のかなり造りの荒い本作に高評価を与えたのは、驚きだった。このコンペのトレンドとは明らかに逆行していた。
『PLAN 75』の問題点(当初の企画内容を想定)
新人監督が本作から学ぶべきポイントを逆算的に解説していく
まず初めに、先に本作の問題点や失敗点、普通だったら致命傷になりかねない状況をあげておく。その方が、早川千絵監督がどうやってその問題点を、解消したり見えなくしたのか、という新人映画監督に学びとなる要素が見えてくると思う。
- (1)細かい部分にこだわると、破綻しやすい脚本
- (2)低予算では成立が難しいSF要素が強め(未来演出は難しい……)
- (3)老人が主人公(過去に長い人生があり、キャラクターも複雑。資金集客にもキツイ)
- (4)取材の程度が低い(突然動き出す助成金企画モノはそうなるケースが多い)
- (5)生と死と政治ネタは資金も集まりにくい(ロケ地・撮影期間や条件などが限定される)
(1)や(4)が引き起こす、物語・コンセプトの破綻を現場で防ぐ
『PLAN 75』の物語設定上の最大の致命傷は、次のとおり。
- 財務状況が安定している国(日本)は、年金と失業保険で、老人は基本的に暮らせる
- 現実の安楽死の基本は「病気による痛み」で「感情」ではない
- 要するに現在の日本の老人セイフティーネットが破綻した前提でないと成立しない設定
設定・ストーリーが、一度破綻仕掛けるが、ごまかす
主人公が職安と不動産屋に行くシーンでの破綻
物語を構成するにあたり、上記の2点(日本の老人経済状態と安楽死の本質)を避けることが、シナリオ作成の必要最低条件だった。シナリオ作成時にしっかりと気づいていなくても、これらはおそらく現場で、撮影しているときに徐々にわかることだと思う。
だが、その隠し所に対し、どうしても主人公(倍賞美津子)に、年齢・世代をかかわらず、観客に感情移入させるシーンを作る必要があった。
それが、いわゆる貧困問題・労働問題だ。
ここを、じっくり演出しようとすると、企画の破綻リスクが表面化してしまう。だが、ここに手をつけないと、見どころが無くなる。ここを描かなければ、絶対的にストーリーが成立しない。
ショットの短時間化とキャストの演技によるカバー
ここで、本編にをみていく。主人公は、同い年の職場の同僚が亡くなった後に、老人に辛い仕事をさせるのは問題だ、という、労働組合の判断で職場を辞職させられて、職安と不動産屋に行くシーンを迎える。物語中盤(45%くらいの地点)だ。
主人公は、仕事が見つからず、不動産が契約できないという経験をする。
老人優位の日本のセイフティーネットの存在を、こっそり隠す
ここで、見ていて物語は一度破綻しかける。要するに、職安で仕事が見つからなければ、高齢者は職員に必然的に生活保護の話をしなければいけなくなる。
案の定、職安の職員が、一瞬、生活保護を勧める(セリフ一行分)。
だが、これを倍賞美津子は強引に断る。
ここに、倍賞美津子の強い演技力が加わって、嘘っぽいところを、演技パワーで握りつぶす。その勢いで、次の不動産屋のシーンも、過剰な悲壮感を出して彼女は握りつぶす。
超重要なシーンであるにもかかわらず、合計1分程度のショットでこれらは終了する。だが、うまい具合に鑑賞者は、主人公の生命の危機と、感情の崩壊を印象づけられる。
早川監督の現場力と、倍賞美津子のシナリオ読み込み力
老人当事者である倍賞美津子は、おそらく早川監督のシナリオの破綻を検知していた可能性が高い。とはいえ、それを事前に監督に伝えたかどうかはわからない。ただ、読み合わせなどのプリプロを経て。長いシーンが短くなったとかは、あるかもしれない。
だが、大事なのは、俳優のそのクリエイティブな活動を許容し、よけいないことをしない、もしくは、その活動をフォローアップする仕事である。現場での早川監督の判断と、編集でのフォローだ。
これらのことが、みていて私にはかなり感じられた(妄想かもしれないが)。
この二つのシーンは、いずれもヒキのショットで、短時間で終わらせている。
老いも若きも生涯的なビジュアルが知られている、倍賞美津子の存在
主人公は子供がいない、だが、浪費家ではないのに貯金がない→これは現実には起きない
私はこのシーンを見てから、ハッとなった。
倍賞美津子は自身の設定のおかしさも、演技することと、自分の顔芸(シワや動きの老人的なギクシャクさ)によって、握り潰している(印象が強い)、のではないか、という疑惑が浮かんだ。
冷静になって設定・ストーリーを振り返ると以下の破綻に私は気がついた
- 子供がいると、経済的に救済される可能性を残す→子供のいない設定:だが貧乏ではなくなる?
- 結婚して、結構前に夫に先立たれている:遺族年金をもらえるのでは?
- 子供いない、浪費家ではない→経済的なゆとりはできやすいのでは?
- 老人がいっぱい出てくるのに、彼女たちは全く年金の話をしない:そういえば、老人は等しくお金に困っているという、なんだかとても違和感のある設定になっている!
(2)(3)(5)を一気に解決したキャスティング
生の俳優が動くことで、問題を隠したり消し去ることができるのが、実写映画
このように、冷静に考えると、おかしいところがいっぱいの映画なのだ。リストで言えば、(2)(3)(5)に関係した部分で、そこでの当初のプランを押し進めた結果のものだ。
だが、この映画に漂うムードがそれを見えないようにしている。
低予算でありながらも、倍賞美津子という俳優を設定できたことで、監督は多くの問題を解決できているし、シナリオ書いた時点では気が付かなかった問題に、おそらく現場で気がつき、多分だが、多くの演出プランを早川監督は変更している可能性が高い。
破綻を抑え込んだ形跡があっても、お国柄を映画祭は評価する
低予算映画は、撮影時に、物語・コンセプトの破綻が起きやすい
『PLAN 75』という作品からは、このように、最初に建てた崇高なコンセプトが、現場で崩れないようにするために、どのようなことができるか、という学習ができると感じる。
もちろん、私が感じる破綻は、多くの人が気がつくものではないかもしれない。しかも、日本人の老人社会特有のもので、必ずしも外国人が気が付きやすいものではないだろう。
それに、このような設定は、日本が直面している問題であり、それが世界的にも先進国を中心に起きそうな気配が強く、この点の評価を、むしろ国際映画祭はしたがっている側面がある。
ただ、それでも周囲に老人がいたり、鑑賞者の年齢が高ければ、どう考えても「そりゃ気づくよね」「気が付かないほうがおかしい」というレベルのものだとも言える。これは、海外でも先進国なら同様に、あらに気がついてしまうだろう。
このように、最初に建てた崇高なコンセプトが「現場で」崩壊するのは、自主映画では物凄くあり、これによって多くの作品がお蔵入りしたり、トンデモ映画に変身してしまっているケースは非常に多い。
そういう意味で、非常に見応えがある作品で、勉強になる要素が多面にある。

Q:どんな人が見るべき映画か?
A:これから映画を撮りたいと思っている人、現場で作品の破綻リスクを感じた人、そして、プロデューサー、キャスティング関連の人。
老人が見たくないない内容:働き盛り世代には、ホラー映画以上
老人を扱っているが、老人が見たい内容ではないのは明らかであり、それは少子高齢化社会の日本では、興行成績に全くもって期待できない、ということでもある。それ以上に、周囲に親や親戚で、長生きしそうな老人を抱えている人は、ある意味もっと見たくない内容である。
現に、本作の収支はかなり厳しいように見える。
そんな中で、見るべきと言えば、監督や脚本家、企画に携わる人々が当てはまる。財務的な期待感が乏しくても、このような映画が成立する工程が、本編を見るだけでもかなりわかる。
破綻があっても、映画が成立する実例として
そんな見立ての中で、この記事を書いてみたのだ、私の最も言いたいことは次のとおりだ。
- 脚本は、破綻があっても撮影できるし、評価もされる
- 物語の破綻の多くは、キャストや編集者によって回収される
インディペンデントの作家を、壊して、乗っ取りをしてくる背景に、いわゆるプロフェッショナリズムがあると思う。それは、指示に従ってくれないプロ意識の高いスタッフであったり、資金集めをする人々の「これじゃあ、客が入らない」という圧力が関係している。
この『PLAN 75』は、それらの負のプロフェッショナリズムをかい潜ったところに、作品を成立させている。だけではなく、いかにも新人らしい失敗や破綻が、さまざまな幸運によってフォローされた一例としての側面もある。
以上の理由から、映画制作者にみてもらいたい作品だ。ぜひ、映画を楽しむ、というスタンスだけではない楽しみ方をしてもらいたい。