金がらみエロ騒動サスペンスで買わせ、ポエムの力で読ませる。村上春樹によって荒削りに『大いなる眠り』レイモンド・チャンドラー

オーディオブック

こちらの書籍はアマゾンオーディブルで読むことができます。

著者について

レイモンド・チャンドラー(1888〜1959)

1932年、44歳のとき大恐慌の影響で石油会社での職を失い、推理小説を書き始める。最初の短編「脅迫者は撃たない」は1933年「ブラック・マスク」という有名なパルプ・マガジンに掲載された。処女長編は1939年の本書『大いなる眠り』である。

長編小説は7作品だけ。『プレイバック』以外の長編はいずれも映画化されている。

ちなみに余談だが私がチャンドラーの映画版のフィリップ・マーロウ役で最も好きなのはエリオット・グルードである。天然パーマときな臭い喋り方がかなりマッチしている。名匠ロバート・アルトマンの『ロング・グッバイ』で、主演を演じた。

チャンドラーの文体はアメリカ大衆文学に大きな影響を及ぼし、ダシール・ハメットやジェームズ・M・ケインといった他の「ブラック・マスク」誌の作家と共にハードボイルド探偵小説を生み出したとされている。彼が生み出した主人公フィリップ・マーロウはハメットのサム・スペードと共にハードボイルド系「私立探偵」の代名詞とされている。

チャンドラーの長編小説の一部は文学作品として重要とされており、特に『大いなる眠り』(1939)『さらば愛しき女よ』(1940)、『長いお別れ』(1953) の3作品は傑作とされることが多い。

※ハヤカワ・ミステリ版の翻訳は村上春樹が担当

あらすじ

フィリップ・マーロウは、スターンウッド将軍の娘が脅迫されている事件の依頼を受け、脅迫状の差出人の家を訪ねる。銃声を聞いてマーロウが部屋に飛び込むと、そこはヌード写真の撮影現場で、男の死体裸身の将軍の娘を目にする。

初めて読んでみた印象とわかったこと

1900〜50年ごろに隆盛した『パルプ』の商業的なデメリットが生み出した文体

レイモンド・チャンドラーの初期作品が掲載された「ブラック・マスク」

レイモンド・チャンドラーは、プロフィールにある通り三文ボロ紙雑誌の名門「ブラック・マスク」誌でデビューする。とはいえ、画像を見てもらうと非常に粗末な雑誌である。

このいわゆる「パルプ」と称される粗悪紙の冊子たちは、1900〜1950年代のアメリカで大量に発行されて山のように積まれたらしい。その膨大な数の中で、人気になるには“単に面白い”作品ではなく、何かしら人目を引いて、読ませる必要があった。

なんでそんなことを私のような若輩な映画監督が知っているかと言うと、それは『ブコウスキー:オールド・パンク』という、チャールズ・ブコウスキーのドキュメンタリーを見ていたからだ。

このドキュメンタリーの中で、パルプと言うゴミの山から発見してもらうためには、いわゆる「悪文」が必要だと言うフレーズがあった。

それが何かというと「金銭がらみのエロ騒動設定」「非日常的な短文の連続」ということになる。そのスタイルを構築したのが、レイモンド・チャンドラーということになる。

チャンドラーをフォローしていたチャールズ・ブコウスキーは、小説家よりは詩人の側面が強かった。

村上春樹訳で復活したレイモンド・チャンドラーの「荒削りな悪文」

読んでみて実感したのは、レイモンド・チャンドラー処女長編作『大いなる眠り』素人っぽい荒削りな部分である。たぶん、これは翻訳者の村上春樹がこだわったところなんだろう。

『大いなる眠り』は、実際、推理小説としては情報が錯綜して混乱しており、ニヒルなひとり語りの文体も途中で物凄くクドい。つまり、そんなにレベルが高くはないのだ。

小説のレベルの高さで言うと先に述べたチャールズ・ブコウスキー『パルプ』の方が格段に上だ。だが、そもそもこちらの小説『パルプ』は、チャンドラーの作り上げたジャンルへのオマージュだ。

関連記事:スラングやケンカ言葉を多用して底辺労働者を癒した。グランジブームの誘導役でもあったが、ノーベル文学賞にはカスリもしなかった世界的作家『パルプ』などおすすめ3選:チャールズ・ブコウスキー

しかしながら、本作を読んでみて私はいろいろとわかった。

村上春樹の訳は、その意味で非常に良かったと思う。

疲れた低所得労働者が「疲れず」に「楽しん」で「劣等感を感じない」“文学スタイル”

よくレイモンド・チャンドラーは、低俗なふりをしているが、文学的にも優れている、、、みたいな節で語られることがあるが、それは出版社側の都合ででっち上げられた嘘だと言うのが、本書を読むとわかる。晩年の彼はそうだったのかもしれないが、最初は全然違ったのだ。

大恐慌で職を失った人間は、収入が必要であり、部数を売らなければいけないに決まっている。チャンドラーが目指したのは、ブコウスキーと同じく目の覚めるような低俗な文学性だったと思う。

経済整合思考が強いアメリカ人は「権威」ではない形での“永続的な作家活動”を目指した

ブコウスキーの小説ではわからなかったが、チャンドラーの小説を読んでわかったこと。それは、アメリカ人の「経済的な気骨」と言えるようなものだろうと思った

ハードボイルド小説の第一世代は、そもそも小説が“売れない” “望まれない” “買っても読まれない”ところからスタートしていたと『大いなる眠り』を読みながら、私は実感できた。

まずは表紙の「エロ的な何かが起きそうな感じ」で買わせる。これは、まさしく現代の日本のライトノベルと全く同じ手法で、次には「笑える短文の連続」と時々仕込まれる「ポエム(感情に訴える短い詩的な文章)」で読ませるのだ、というベクトルに、特定の作家の集団が一気に向かったのが“ハードボイルド”だと思った。

推理小説としてはめちゃくちゃな『大いなる眠り』=ストーリーがわからなくてもOK

『大いなる眠り』は、たった5日間の間で、ありえない数の殺人事件が起きて、主人公のマーロウの仕事量はあまりにも膨大すぎるマーロウはほとんど寝てないのに、事件が次々起きる。

しかも、それぞれの事件はかなりめちゃくちゃで、フセンを貼ったふうに見えて、全然回収していないし、一貫性も微塵もないが、文章が破綻していないふりをしているので、整然として見えるだけである。ストーリーとして完全におかしい。

また、登場人物たちは現実にありえない妙な口癖を吐くことで、かなり無理なキャラクター設定がなされており、売って読ませるために、いろんなことを犠牲にしまくっているのがわかる。

作品数が膨大化し、ライブラリ化される現代でも、じきに「同じムーブメントが起きる」

数に埋もれ、しかも最初から歴代の名作家たちと戦わないといけないのは、現代のデジタル・クラウド作家(映画監督も漫画家もアニメ作家も全部)の宿命である。そういう意味で、本書の1900年代前半の作家が苦し紛れに生み出したハードボイルド小説のスタイルは、非常に勉強になった。

とりわけ、その荒々しさと素人感に重きを置いた村上春樹の訳はとても良かったと感じる。

こちらの書籍はアマゾンオーディブルで読むことができます。

Q:どのような人が読むべきか?

A:本を最後まで読んだことがない人。本を読んで面白いと思ったことがない人。

翻訳者である村上春樹氏の補助によって、本書はチャンドラーが持っていた「低所得者層に読ませるパワー」が炸裂している。難しくて、複雑なのに、いちいち主人公の頭の中が笑え、人生に苦しむ大衆心理を捉えているために、最後まで読み込むのは難しくないだろう。

外国文学が初めてと言う人にも合っているのかもしれない。

とにかく、本に親しみがない人におすすめだが、果たしてレイモンド・チャンドラーという通の部類の作家に、全くの素人が手を出すかというと、かなり疑問だ。

だが、そういう人におすすめである。

タイトルとURLをコピーしました