はじめに

さる2022年の8月に私が日本の映画監督で最も尊敬していた小林政広監督が亡くなった。
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私は、実は生前に三度お会いしたことがある。
最初にお会いしたのは、北海道の映画祭で、小林政広監督とご一緒したのは2010年だった。その後、試写会に呼んでいただいたことが1回。加えて、たまたま新作をお互いに同じ試写室で上映していた時(『ギリギリの女たち』)にバッタリ、が最後だった。
北海道の映画祭で2010年にお会いした時の思い出
ここでは、最初にお会いした時の話をしたい。
小林監督は映画祭の公式ディナー後のバーで行われた二次会に出席しており、大勢がガヤガヤする中で、なぜか一人で誰とも話をせずに片隅で飲んでいた。当時の小林監督は、実はスタッフと良く揉めると言われており、怖がられていたのもあるかもしれない。
だが、とても静かな印象だった。元来、少人数で飲みたいタイプだったのだろう。
私は恐る恐る撮影予定の長編脚本を持っていき「このシーンをどう撮るのか迷っています」と、聞いてみた。プライベートな時間だが、彼は優しく対応してくれた。
恩師が共通:実質、兄弟弟子同士
ただ、実はこれには理由があった。
小林政広監督の師匠と私の恩師が同一人物であり、事前に話が通っていたのだ。その人物(恩師)から、PIT監督がいくから、よろしく、みたいな。
あまり詳しくは語れないが、私と小林氏は共通の点がこの師匠であった。その師匠は、1980年代から1990年代に活躍した有名脚本家だ。
また彼とはもう一つの共通点があった。それは、私も彼も脚本家出身の映画監督だという点もある。それゆえに、その後二人で密かに盛り上がった。その4日間行われた映画祭では、小林監督が北海道を去るまで、ホテルでの朝食を含め合計で3度ほどご一緒させていただいた。
小林政広キラーショット:背後から正面に回り込むショット

話を飲み会での脚本談話に戻す。
私はその時、いきなり、小林政広氏の専売特許である「背後から入ってきて、俳優の顔のアップで終わる」という演出の真意を教えてもらった(画像参照)。
これは、生前の小林監督が最も好んで使ったカメラワークであり、特に『バッシング』『愛の予感』で使われた演出方法である。
この演出方法の最大の特徴としては感情をドラマティックに表現できるというところに尽きる。
要するに「背中で語る芝居」と「表情」のギャップをダイナミックに表現できる。
往々にして、小林作品ではここに「裏腹の感情」、例えば「自信満々の背中」に対して「実は顔面蒼白」を表現するなどをみることができる。
私はこの手法を自分の脚本内で提案された。
理由は、簡単だった。この撮影方法は、美術(部屋などの作り込み)と照明のセッティングさえすんでいれば、一連の俳優の複雑な動作をワンカットで短時間に収めることができるからだ。
要するに、最も短時間に安上がりにできるのだ(俳優の力量によるが)。
私が『時間がない』ことに悩んでいることに彼はすぐ気がついたのだと言える。
小林政広は、濱口竜介らにつながる『日本低予算映画の評価の土台』を作り上げた
このように、小林政広作品は、低予算映画の取り得る効果的な演出方法を最大限に活用するという手法がとられている。
これは、1990年代以降にハリウッド映画が世界を席巻するようになって徐々に廃れていった手法で、本来はフランス(ヌーベルバーグ)やロシア(エイゼイ・シュタイン)の得意とする演出手法である。
小林作品の予算は、一般的な日本の長編映画の1/3の予算と期間
かつて、バブル期に日本映画は河瀬直美や青山真治、黒沢清、柳町光男、小栗康平などのカンヌ・三代映画祭常連組がいたが、彼らは実はCGや特撮を極力控えるだけで、実は低予算ではなかった。
一見シンプルで低予算に見える。ところが、カンヌ、ベネチア、ベルリンの三代映画祭は、クオリティーの担保(撮影のミスの少なさ、ポスプロの充実)などで厳しい条件が実はあった。つまり、これらの監督たちの制作費用は見た目の質素さに比例しない、“コストの高い”ものだったのだ。
そこに2000年代登場し、新しいトレンドを作ったのが小林政広だと言える。
具体的には、現場費のフィルム撮影(18ミリ)でおそらく1,500〜3,000万円前後、撮影日数15日程度。特にこの撮影期間は正直、あり得ないレベルのものだ。
これを彼の所属するモンキータウンプロダクション(代表は奥様の小林直子さん)が、全て捻出するというスタイルで短期間に作品を多く作ることができた。
これは従来のカンヌ組の3分の1〜5分の1の近辺のプロダクションフィーである。
この国際基準で言う恐ろしいほどの低予算で、カンヌに三作連発で入選、ロカルノ4冠まで達成したという点が、小林政広監督の凄さであり、またその後の真利子哲也や濱口竜介などの若手へのトレンドへとつながっている。(真利子哲也は小林監督の『春との旅』メイキングもやっていた)
『愛の予感』はなぜ、ロカルノ映画祭で4冠を受賞したのか
それで本題に入りたいと思う。
小林政広監督の代表作といえば『愛の予感』である。現在、この作品は配信でもDVDの購入でもみることができず、海外から個人輸入している商品を手に入れるなどの極々限られた経路しかない。
だが、もしかすると最近、小林政広作品を徐々に増やしているアマゾンプライムビデオでそのうち見られるかもしれない。一応、リンクは貼っておくが、いつになるのかは不明。
以下『愛の予感』の基本情報を載せておく。
『愛の予感』基本情報
「バッシング」で注目を集めた小林政広監督が、少女による同級生刺殺事件の被害者の父と加害者の母の絶望と再生を描き、日本人監督としては37年ぶりにロカルノ国際映画祭グランプリに輝いた人間ドラマ。14歳の少女が同級生の少女を刺殺した。生きる希望をなくした被害者の父・順一と、身を隠すように東京を離れた加害者の母・典子は、偶然にも北海道で再会し……。「殯の森」の渡辺真起子が典子を、小林監督自らが順一を演じる。
スタッフ(録音のクレジットがない:オールアフレコかもしれない)
監督・脚本・音楽
小林政広
製作
小林直子
撮影
西久保弘一
キャスト(二人!その他エキストラは現地素人!)
小林政広
渡辺真紀子
カメラワークで史上最大級のリスクを負った『愛の予感』
みなさんは『クレショフ効果』という映像効果のことをご存知だろうか?
実は中学の美術の教科書に載っており、日本人がほぼ全員、学校で教えられるものだ。ただ、それを映像業に携わる人間以外、大体忘れる。映像業に携わっていても忘れている人も多い(特にテレビ局)。

映像の前後にあるもので、人の顔の印象が違う、というのが元々のクレショフ効果だ。この手法を応用し、現代の映画で強烈なドラマチック効果を引き出そうとしたのが『愛の予感』である。
『愛の予感』は、クレショフ効果の世界新記録を達成したので、ロカルノで4冠を取得したのだ。
憎しみと悲しみ合う二人が同居する空間

『愛の予感』は、主演を務めるはずだった香川照之が、クランクイン直前にNHK大河の主要キャストに選ばれてしまったことで事務所がそちらを優先し降板となった。
それによって、まさかの演技未経験の小林政広監督自身が主演をすることになった。

しかしながら、この降板劇が作品の精度を高め、自画像の歴史(西洋画家の肖像画など)があるヨーロッパの評価を高めることになる。以前の記事で欧州では、北野武などの主演・監督の作品がとりわけ賛辞を受ける理由を書いた。
特に演技経験がない小林氏は、超絶困難な演技の離れ業を繰り返している。
関連記事:国際映画祭の応募・上映・評価について(1)権威性と選定基準
もう少し、分析していこう。
そもそもが、この映画のメイン舞台となる北海道の下宿。ここが異質な空間だ。
子供を殺された設定の小林政広(主人公)と、小林政広の子供を殺した子供の母親である渡辺真紀子(ヒロイン)が、ある偶然から同居するという設定だ。
繰り返されるショットの謎
劇中ではこの正面の食事カットが、トータルで10回以上繰り返される。

そして、夜は、必ず卵かけご飯を食べる。口にする量のバリエーションで感情が表現される。
最初は少なく
中盤では完食
後半ではまた少食となる
これが主人公の心の動きとなる。

そのほかにも10回以上繰り返されるショットが複数ある
そのほかにも10回以上繰り返されるショットが複数ある。
- 渡辺真紀子演じるヒロインが、料理をするショット
- ヒロインが、小林政広の食べ終えた食器を片付けるショット
- 小林政広が鉄工所で働くシーン
- 小林政広が車に乗るシーン
- 小林政広が風呂に入るシーン
- 小林政広が自分の部屋でくつろぐシーン

世界最小の空間で、恐ろしいほどの奥深さを構成

この映画の恐ろしさは、人間の錯覚の凄さを見せつけるところである。
本来、このようなサイキックドライビング効果はプロパガンダ映像(戦争掲揚映像)などで使用されてきた。それゆえに、映画製作者の間では戦後になるべく使用しないようにしてきた技術だ。
これを、小林政広は「映画の最前線」に引っ張り出してきた。
具体的には、ドラマにおける感情の表現に爆発的な力を宿せることを証明して見せたのだ。
まとめ
もし、あなたが「一生で一本の映画を見てみたい」と思うのなら、本作『愛の予感』は好き嫌いは激しく分かれるが、それでも確実に「一生で一本の映画」になることは間違いない。
その理由とは、後にも先にも『愛の予感』以外はやれない実験をしているところにある。
本来、驚くべき発明とは、世界を見渡しても同時にも起きないし、その後に似たようなものを作り出すというフォロワーも生み出さない。『愛の予感』は、そんな結果を生み出した作品だと言える。
もし、小林政広監督の追悼上映がある場合は、必ず本作は上映されるだろう。
その時、少しでも映画に興味があるのなら、みてもらいたい作品だと言える。