著者紹介

黒沢 清(1955年〈昭和30年〉7月19日 – )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家、小説家。東京芸術大学大学院教授。1970年代後半から80年代にかけて学生映画の中心人物として頭角を表す。その後、ディレクターズ・カンパニーの設立に参加し、同社制作のピンク映画『神田川淫乱戦争』で1983年に映画デビュー。初のメジャー作品『スウィートホーム』では、プロデューサーの伊丹十三と裁判となるなど版権でも揉め、沈黙した時期もある。一般的にはJホラーの巨匠として知られるが、ホラー映画の比率はさほど多くはない。代表作は『CURE』『岸辺の旅』(カンヌ国際映画祭「ある視点」監督賞)『スパイの妻』(ヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞)
師匠の書籍を読んでみましたw
ブログ開始にあたって、やるべきなどうか悩んだんですがあえてやってみましたw 師匠の書籍拝読安い中古本も出回っていますが、あえて新品を購入させていただきました。
この本を読むのがオススメの人
- 黒沢清が好きな人でまだ黒沢氏の本を読んだことがない人
- 映画制作で一度は監督を経験している人
- 巨匠と呼ばれる人の制作環境や思考法を知りたい人
- 海外の映画祭事情を知りたい人
ぶっちゃけ言わせてもらうと、普通の映画が好きな人が読む本ではないと思います。黒沢清という作家は、映画鑑賞者の多数から支持を得ているわけでもなく、日本やアメリカの映像演出の方針とはまさしく逆行した個性の持ち主だからです。
彼の作品を見たことがある人はわかると思いますが、ネットフィリックスやハリウッド映画の感じと全く違う、ストイックな演出が目立ち、映画を普段見ていない人は気がつかず、スルーするような微細なものも少なくありません。
そのため、はっきり言って人に進めて「面白い」と言われてことはありません。
逆に私は、「何でアイツがあんなに海外で指示されているのか教えてくないか」と、聞かれることの方が断然多いのです。
私の知る業界の人でも、黒沢さんに嫉妬や妬みを持つ人が多い。「なんであんなにつまらない映画を撮ってばかりいる人が、カンヌやベルリン、ヴェネチアで評価が高いのか」という、アマゾンのレビューも山ほど書かれています。
そんな師匠ですが、それでもそんなことを気にせずにひたすら自身の書籍を出し続けています。
本書の一番の見所は宮部みゆきさんとの対談
黒沢さんの書いた書籍の特徴の一つに、普段から馴染みのない人と対談するとぶっちゃけた変なインタビューになることが多い、というものがあります。
昔は、映画美学校の講師などの知り合いやお友達としか対談はしませんでしたが、近年は自分をメジャーにしていくための活動としてか、自分のインタビュースタイルに合わないような、いわゆる場違いな質問をする著名人とさえも対談するようになりました。
このムック本の最大の売りは帯にも書かれていますがそこです。
つまり、宮部みゆきさんとのかなり違和感のあるインタビューで黒沢さんがあまり人前で喋ってこなかった、あるいは人前で喋らないようにしてきたことが結構書かれているのです。その中から、私的に一番面白かったトピックを一つ抜き出しておきたいと思います。
時間・予算・条件で苦しんだ時の、第三の案が黒沢演出の源泉
宮部さんという普段は小説家をされている人は当然、映画制作の現場を知りません。
しかし、宮部さんはかなり一方的な黒沢マニアで、黒沢さんの追っかけがごとく過去のインタビューや書籍を全部読んでいる様子。これに、黒沢さんは面食らっています。
宮部さんは、黒沢さんが映画制作現場であり得ない7時間労働。つまり時間きっちり、むしろ定時前に撮影を終了することについてどんどん聞いてきます。
これは映像業界ではあり得ないことで、ほぼ全てのディレクターや監督は時間内で最大限に粘ったり、自分のこだわりのために時間外まで押します。99パーセントこちらが常識ですし、むしろスタッフやプロデューサーたちの中でさえ、この長時間労働が推奨されている気配すらあります。
ところが黒沢さんはそうでありません。
ギリギリの環境で選択した「プランC」が黒沢映画の海外での評価を高めることにつながり、時短労働にもなる
現場のトラブルで予定の撮影ができなくなることがあります。
晴れの予定が雨になったり、前のスケジュールが押して昼の予定が夜になってしまうとか、みたいな話を宮部さんとの話で丁寧に黒沢さんはしていきます。
そんなときは必然的に制作担当者、助監督などと相談してプランの改良を図るのが常道です。ですが、黒沢さんはそこで自分は「あえて誰も考えなかった第三の案」を考えたり、採用すると話していました。そして、ここに「映画マニアの自分の本領が発揮される」とも言っています。「第三の案を採用すると大概は、驚異的な時短労働を生み出す」とのこと。わずかですが、詳細に答えています。
企画段階でスポンサー側に拒否されがちな手法が、現場のピンチ時に、現場スタッフの間で採用されやすい
宮部さんとの対談で徐々に明らかになってくることはこういうことだと言えます。
日本映画、特に日本の過酷な状況で作られた低予算インディーズ映画には海外で一部のマニアに受けています。それは、古くで言えばクエンティーン・タランティーノであったり、今の国際映画祭でディレクターをしている人であったります。
黒沢さんの中で、その「酷い環境」の中でも彼は何とか潰れずにやってきて、そこで海外にウケる苦肉の策をギリギリの状態で繰り出してきた、というのがあると思います。
そしてそれは日本人には全くウケない。
なぜなら必要以上に「インテリ」に見えたり、逆に「(お金や時間がなくてディテールを突き詰めることができず)単に恥ずかしいこと」に見えるから。
それをわかりやすく、会話で表現すると
スポンサー・プロデューサー「そんなやり方は『映画的』じゃないんじゃないですか?」
黒沢「いやいや大丈夫。君がそう思っても『映画の歴史』は受け入れてくれる」
こういうことなんだと思います。
いかがだったでしょうか。
こんな感じで、師匠の話をしてみました。どうか、このブログが師匠に読まれないことを祈ります笑。また、「芸大派閥のつまらない記事」という扱いも極力、されないように祈っております笑。
もし、お金と時間が余っていて、たまたま映画が好きだったら、
本書を買ってみてもいいのではないでしょうか。
オススメはしませんが、まあ、人によってはオススメです。
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