著者紹介
溝口 敦(1942年7月5日 – )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。東京市浅草区(現・東京都台東区)生まれ。川崎市高津区育ち。
日本における組織犯罪問題の第一人者。雑誌編集者として暴力団の取材に着手した20代なかば頃からというもの数多くの「ヤクザ」(暴力団)関連の著作を上梓してきた。
代表作にベストセラーの『暴力団』(2011年)や『食肉の帝王』(2003年)など。後者『食肉の帝王』では、第25回「講談社ノンフィクション賞」、「日本ジャーナリスト会議賞」、および「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」の3賞を同時受賞している。(2003年)
概要(出版社側の売り文句)
国内のパチンコ人口、1500万人。全国には1万店を優に超すホールがある(2005年当時)。
「鉄火場」では日々巨額のカネが動く。その市場規模は米カジノ産業をはるかに凌ぎ、自動車などの基幹産業にさえ匹敵する。しかし、位置付けはあくまで「ギャンブルではなくレジャー」。
警察による裁量行政と業界支配は揺るがない。
結果、ホールは「巨大な密壷」と化し、無数のアリがたかる。結果的に割りを食うのはファンである。ホール経営者、メーカー幹部、カバン屋、ウラ屋、ゴト師から警察官僚まであらゆる「業界関係者」に直撃取材。パチンコ産業に潜む「闇」を浮き彫りにする。
目次
- 1章 パチンコと警察の「銀球癒着」
- 2章 悪徳ホール「搾取の手口」
- 3章 神出鬼没!ゴト師たちの「裏技」
- 4章 パチンコに寄生する「周辺産業」
- 5章 吸い込まれた「カネ」の行方
- 6章 「30兆円産業」に明日はあるか(←韓国パチンコ産業の記載がある:後述)
概要(ブログ主のまとめ)
初版がやや古い本だが、何故かオーディオブック化されていたので購入して読んだ。警察とパチンコ店と政治家の癒着が緻密に書かれており、亀井静香などの大物政治家の実名も出ていた。
私が期待して読んだのはパチンコ店はなぜ、社会に対してひどいことをしているのに、経営者や従業員たちが、その功徳をさらに悪化させるような方向に向かうのかという、精神描写をみたかった。
パチンコと取り扱っている素材(資源や技術)は全く同じなのに、この40年ずっと成長し続け、社会での立ち位置も悪徳からやや善に変わったのがゲーム業界だ。
ゲームは、今では日本を半ば代表し、社会を豊かにしていく業界だとみられている。時代の変化もある。不良の集まりだったゲームセンターは、今では完全にウェブに移行し、課金システムとなって、外資を稼ぐ産業に変化した。
また、学習を取り込むゲームが増えたし、運動やボケ防止、語学学習などの機能を持つものも増えた。海外では、バイリンガルゲームシステム『デュオリンゴ』のようなものもできた。

このような中で、かつては親の敵だった任天堂やソニー、スクエアエニックス、バンダイナムコを悪くいう人は、この20年の間にだいぶ減ったのではないだろうか。
パチンコはなぜ、ゲーム産業と違う道を歩んでしまったのか
パチンコは、どうして社会と折り合いがつかないのだろう?
そういう私の疑問に、この本は驚くべき内容できちんと答えを出してくれた。
しかもそれは、本書の主要テーマではなく、巻末というか付録として最後の最後に、年表として書かれた部分である。そこに、地味に法律業界との闘争の経過がちょこと書かれていた。
つまり、圧倒的な資金力がありすぎて、1940〜1980年代に法律をコントロールする側に回ってしまった地獄の側面が、パチンコにあり、ゲームにはなかったというのが答えだったのではないか。
警察や政治家の癒着はあくまでその副産物だったのではないか。
そういう意味で、著者のキャリアの中で、かなりの手間をかけている本だが、華々しい結果に至らなかった、つまり勧善懲悪的な結果にならなかったのもうなづける。
Q:どういう人が読むべきか?
A:新しい産業にいて、これから法律や政治と折り合いが必要な分野にいる人だろう。
ひとまずなんでもいい。新しいサービスをリリースして、それに火がつきそうで、でも何がなんだかわからない状態で慌ただしく毎日が過ぎていき、それでも儲かっている産業というべきものだろうか。
Q:もう少しわかりやすく
A:意外な具体例をあげよう。私はこのパチンコ産業とSDGsは、かなり似ている部分があると思う。どちらも、企業サイド過去の悪行を背負って現代で富を生み出しているからだ。
そういう意味で、SDGsは今後、法律と悪巧みをすれば、いくらでもパチンコ業界と同じ、ワルと利権の業態になる可能性はある。というか、可能性はかなり高い。
パチンコは、過去に数回、法律によって業界ごと潰されそうになった時期があった。1940-50年代、電動打ち出しが禁止され、手打ちに戻った時代があった。そのほかにも、チューリップ型の連チャン演出(連続チャンス演出)も実は1980年代に一度禁止されている。
その頃、特に1940-50年代頃なんかは産業としても巨大ではなかったはずだ。そこを、法律に交渉して、元に戻してもらうか、さらに悪法にしてもらうというロビー活動を、パチンコ業界はした。
これが前例となり、その後も禁止された項目を、後々復活させるというイタチごっこを、パチンコ業界は繰り返した。もうこうなると、ある種の終わりである。
Q:警察や政治家は悪者に見えなかったということ?
A:そうです。
本書で著者はおそらく気が付いているのに、法律面の弁護士や検察、裁判官へのリサーチをしていない。というか、その辺を意図的に避けている。
法律面が覆されたら、警察も政治家も、はっきりって何をしていいかわからないし、価値観を維持したり共有したりできない。そうなると、自然と金中心の馴れ合いになるに決まっている。やるべきことがわからないんだから。当たり前だ。
この辺は、日本と韓国のパチンコ業界の後半の比較記事でもわかる。
Q:著者はどうすれば良かったのか?
A:このパチンコに関しては、悪いのは警察でもなく、ヤクザでも政治家でもない。法務省だ。それがよくわかる本だと思う。
だからと言って、この手のノンフィクションでそこ(法律)をついた本を出しても、面白くない。第一難しすぎると思う。売れない。著者と読者の生活を豊かにしない。
そんなの、やるはずがない。だから、こういう本で出すしかなかったと思う。
私でもこういう本にして終わるとおもう。実際。
しかし、これはこれで、そういう真相が読み込めるし、しっかりしていていい本だと思います。
もうこの手のテーマを扱うのは、もう今の書籍産業だと無理で、そういう過去のノスタルジーを思わせる、なんとかいうかバブル崩壊直後の報道のロマンを楽しめる書籍だと思った。