ダメな即興・いい即興。低予算映画がおちいる即興のリスクについて『無限ファンデーション』大崎章

映画制作

本作はアマゾンプライムビデオやU-NEXTで見ることができます。

作品情報

  • キャスト
    未来:南沙良
    ナノカ:原菜乃華
    小野花梨
    小雨:西山小雨
    近藤笑菜
    日高七海
    池田朱那
    佐藤蓮
    先生:嶺豪一
    未来の母:片岡礼子
  • スタッフ
    監督:大崎章
    企画:直井卓俊
    プロデューサー:越川道夫
    音楽・主題歌:西山小雨
    撮影・編集:猪本雅三
    照明:松隈信一
    録音:伊藤裕規
    コンセプトデザイン:宮本茉莉
    配給:SPOTTED PRODUCTIONS
    共同配給:ムービー・アクト・プロジェクト
    協力:高崎フィルムコミッション、玉村町

本作の監督について

大崎章(1961〜)

龍村仁に師事して、ドキュメンタリー番組、CMなど制作。その後フリーになり、助監督として北野武監督)、諏訪敦彦監督(即興の第一人者)、篠原哲雄監督、黒木和雄監督、テレビ『私立探偵濱マイク』などに携わる。『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督)では監督補を務めた。

業界に知られた名助監督で知られ、彼の関わる作品は、スケジュール、予算共、演出面でも安定すると言われており大物監督の担当が多い。

2006年『キャッチボール屋』で45歳で長編映画監督デビュー。本作で第16回日本映画批評家大賞新人監督賞を受賞した。2015年、渋川清彦と光石研を主演に迎えた『お盆の弟』が公開される。第37回ヨコハマ映画祭において、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞の4冠を受賞した。

本作『無限ファンデーション』は、音楽と映画の祭典『MOOSIC LAB 2018』の長編部門に出品され、西山小雨がベストミュージシャン賞、南沙良が女優賞を受賞※ただし、MOOSIC LABは、来場者の投票制のため、いつも組織票が問題になる傾向がある

本作を見て

本作は、脚本無しで、全てを即興で構成されたということで一部で話題になった作品だ。

ちなみに、私も大崎監督とは面識がある。

というか、映画業界である程度キャリアを重ねた人間で、彼を知らない、見たことがないという人は少ないかもしれない。そんな中で、私は申し訳ないが、即興の映画としてはかなりひどいできの部類に入ると感じた。その理由をいかに書いてみようと思う。

俳優の経験・知識が出てしまう

MOOSIC LABの製作するタイル

MOOSIC LABの仕組みとして、かなり低予算でしかも短期間で企画、脚本制作、DCP(上映素材)までいくのを聞いている。私の藝大の時代の知り合いも何人か参加しているからだ。

そんな中で、本作は明らかに脚本を省き、制作フローを少なくする目的で「全てを即興で構成する」という手法がとられたのは明白だ。なぜなら、高校の物語なのにモブシーンがないからだ。

また、主人公たちは演劇の準備をするところで終わってしまう。本作の展開だと劇中劇を上演をする予算がないのは紛れもない形で、視聴者にはっきりとわかってしまう。

即興の必要性、自分が選ばれた理由が希薄だとかえって画面に出てしまう

そんな中で「即興芝居」を続けるとどうなるか?

それは、俳優の経験のなさや、カメラの前での感情の見せ方の違和感、思わぬ演技をしてくる相手に対する共演者のびっくり表情などがやたらと目立ってしまう。

また、キャスティングの重要性もなければ、それも一気に演技や表情に出る。

女子高生キャストは性格の差異がなく、たまたま監督の周りの人脈だった女優や俳優、または群馬の作品でよく出るキャストという背景が見てとれる。

その結果、演技に違和感が強く感じられるシーンが少なくなかった。

即興は本来、隠し球(ノンフィクションを演じる)

即興映画を見る時、多くの人が「即興はなぜ必要だったのか?」という疑問を持つ。

逆に「やる必要がないのにあえて贅沢で即興を使った」的な、あまのじゃくな好奇心も芽生える。予算の高い映画(三谷幸喜など)で見ると、とても新鮮に感じる人が多い。

本作は、そのいずれでもない。

そのせいで「空振り感」ばかりが目立つ。さらに日本のテレビや映像メディアは実はノンフィクション形式(バラエティやアダルトビデオ)が多いため、日本人は即興を見ることに慣れている。

だが、俳優たちの演技の質は悪くない:状況の問題

だからと言って、例えば即興映画の第一人者である諏訪敦彦氏の作品と、本作の俳優の芝居が大きな差があるかというと、実はそんなに差がない。演技は、それなりに安定しているのだ。

関連記事:諏訪敦彦『風の電話』の映画祭評価シミュレーション。「即興芝居」と「誤読」「作品クオリティ」の関係について考える:芸大出身の映画監督が語る「評価の横軸」

そうなると、これは監督と制作サイドの問題となる。

用意した設定・状況があっていないのだ

どうするべきだったのか?

第一人者である諏訪敦彦監督は社会派ドラマで即興を行おうとする。彼の映画は悲劇が多い。

そのおかげで、俳優は「役柄のアイディンティティの証明」をし続ける環境下にあって、「その場その場の演じる」以外に「作品全体のコンセプト」を背負うことになる。

大崎監督の作品プランだと「その場その場の演じる」しかない。

俳優たちが、ただ懸命に「焦ったり」「感情を出す」という側面しか見えず、ある種の思考停止の状態にも見えてしまう。監督と共同作業をしているように見えないのだ。

なら、例えば、私なら、どうするか?

これは後付け論かもしれないが、主人公に知られたくない秘密を作り、それをバレないように隠し続けたり、逆にバラそうとする周辺の人々の裏テーマを設けると思う。

本作のストーリーだと、本当は服が嫌いだ(主人公は演劇部の衣装担当)最初は嫌いだったとかを加える。俳優には、無理に表面化をしなくてもいいとも伝えておくだろう。

これによって、思考停止の状態は減らせるのでは無いか

何を『無限ファンデーション』から学ぶか?

優秀な助監督はエキストラや脇役を扱えるため、本来即興が得意

私の意見としての、本作から学ぶべきことを最後に語ってみようと思う。

  • 助監督技術としての即興演技誘導(良い)
  • カメラマンの動線の撮り方(悪い)
  • 物語がつながらなくても、映像で繋げるとつながる(良い)
  • 美術やロケーション設計の良さ(良い)

即興の間伸び感を減らす大崎監督の手腕:人物の登場のさせ方の工夫

本作の即興の良さをあえて挙げるとすれば、芝居をしている時に新たな人物をどういうふうに、どういうタイミングで投入するかという、その手法である。

これはさすがは名助監督の大崎氏だと思った。

通常、全員その場に置いてからスタートをかけていいシーンでも、なるべくタイングをバラけさせて投入したり、話している間に退出したりせるなどして、芝居の効果を落とさなかった。

猪本雅三氏のカメラワークは酷かった

次にカメラワークだが、こちらも業界の重鎮の猪本雅三氏が担当している。

しかし、助手サポートがいなかったのか、機動性の低いカメラを使ったのか、動きが鈍い。フレームの中に俳優を収めるだけのカメラワークになってしまっているのが残念だった。

フレームの外で面白そうな芝居をしているのに、それをフォローしきれていないところもいくつかあった。普段の映画と役割に求められるの能力が違うのがよくわかった。

シーンのつながりがなくても、映像がつながる好例

次に編集の話である。

ショット単位の区切りは、おそらく大崎監督猪本カメラマンが、つながる、つながらない(編集点)を現場で気にしていた可能性が高い。そして、かなり上手くいっている。

だが、それでも編集で不安があったと思う。

それでも何の違和感もなく、映像がつながっていた。

本作の功労者は、何と言っても美術部(ジャケットのおしゃれなゴミ処理場)

即興において初めて、美術がこれだけの効果があるのに驚いた。

主人公は、ゴミ処理場でウクレレの妖精役の西山小雨にしょっちゅう相談をしにいくのだが、このゴミ処理場の「妙に清潔でおしゃれな空間」が、本作の構成にだいぶ助けになっている。

具体的には、学校シーンの貧乏くささやバジェットの低さを感じさせないのに、このゴミ処理場が貢献している。それによって、即興の違和感がだいぶ減ったと感じる

Q:南沙良の起用はどうだったのか?

A:主演の人選は、即興の適正や配役の設定とは関係なくていいと思う。

役柄的に、南沙良である必要もないし、南沙良の即興演技は下手だった。だが、それは映画の出来とは実はそんなに関係ない。『無限ファンデーション』のような映画の主演に求められるのは、(1)作品のグレード感、(2)広告宣伝のしやすさ、(3)将来的な要素だといえる。

多くの人が勘違いしているが、主演に演技力が必要とされる状況は限られている。

むしろ、主演は、その他の配役が持ち前の演技力を出せるような人選であることが望ましい場合の方が多い。ただ、専門性の高い設定などは状況が変わる可能性も高い。

そういう意味で、本作の主演の選択は問題なかったと私は思う。

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