本書はオーディオブックで耳読みが可能です。
著者紹介
佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 – )
日本の作家、外交官。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。
外務省勤務時代は、ロシア問題関連で鈴木宗男のもとで働いていたイメージが強いが、実際はイギリス、ロシア、チェコなどでの活動歴もあり、さまざまな国でのインテリジェンス活動に携わってきたことが本書を通して解る。
目次
1 インテリジェンスという名のゲーム
2 ニッポン・インテリジェンスの潜在能力
3 陸軍中野学校という最強インテリジェンス機関
4 ワールド・インテリジェンス―世界情勢を読む
5 今日から使えるインテリジェンスのテクニック
概要(ブログ主の勝手なまとめ)
佐藤優氏の著作はとても多く、全部読み切ることは難しい。
だが、あえて本書を私は彼のベストだとして紹介してみようと思う。本書で私が驚いた内容を以下に箇条書きをしておく。これ以外にも、日常生活で使えそうな知識・ノウハウが多く書かれている。
- アメリカの軍事力が強すぎるので、諜報部隊は不要
- 軍事力が中途半端な国が、諜報活動が盛ん
- 島国はスパイ能力が高い=日本も戦前はスパイ能力で世界第3位
- 陸軍中野学校は、世界的にもレベルが高い
- 諜報機関のない日本は、著名人・民間人がスパイ活動を代理するケースが多い
- CIAは、アメリカ国民を騙すための宣伝部隊となることが多い
- スパイ能力が最も高い日本人は、アントニオ猪木(北朝鮮・ロシアとの外交力)
- 終身雇用体制は、外部の組織から崩されにくい
本書は、SAPIOで佐藤氏が連載していたものを再編集して、重要度の高いものをまとめた。彼が刑務所から出所した直後の2007年ごろの内容なので、全体的に緊張感がある。
2008年ごろから佐藤氏は人気作家となり、低クオリティの書籍を濫造するようになり、著しくダメな書籍が増える。その前の作家としても、元諜報部員としてもいい時期の書籍だ。
日本人で、諜報活動で優れた能力があったのは “アントニオ猪木”
本書で、日本で一番、諜報活動が優れている人は誰か?という問いがあった。佐藤優氏の解答は『アントニオ猪木』だということだった。
佐藤氏が現役時代、ロシアの要人でもアントニオ猪木氏の口利きがなければ会えなかった人脈(プーチンを含む)が多くあったという。しかも、アントニオ猪木は、ただでさえ人脈を構築することが難しい北朝鮮の要人との太いパイプもあった。
公的な諜報機関のない日本は、民間人や著名人がスパイの役割を兼ねる
これらは、当時、プライド(格闘イベント)のプロデューサーで、世界中の格闘家(多くは軍が関係している人脈)をリクルートすることで培われた人脈だという。
これと同じことが、例えば日本の商社やトヨタ、日産などの大企業にも当てはまるという。これはうすうす多くの人が思っていたことだろうが、佐藤氏の口を通して語られると納得度が高い。
諜報活動に向いている人間について(例:能力のない役員とか)
また、本書では、最後の章『5 今日から使えるインテリジェンスのテクニック』で、日常的に使える諜報活動のコツを書いている。ここで語られるのは、例えば、年功序列の日本企業での経団連的な組織活動や、財閥系の企業株の持ち合い、三菱系の木曜会などをイメージさせる技術だ。
つまり、日本人の一部の層(企業役員など)は、ごく自然にインテリジェンス活動を身に着ける傾向にあるのかもしれない。逆に、アメリカなどの圧倒的な経済規模がある場合は、そういうインテリジェンス活動はむしろ企業の業績を落としかねず不要だとも感じた。
ここから逆算して考えるに、日本の大企業の衰退は、個人(経団連や働かないおじさん的な)の諜報活動のレベルの高さを表現しているとも考えられる。
こういう傾向は、島国に多いという。そういう意味で、グローバリゼーションに遅れている日本企業の非効率さは、ある意味当然で、外敵からの諜報的な防御力の強さを暗に示しているとも言える。
諜報活動には、神や宗教が必須
最後に、佐藤氏が語った意外な点について触れておきたい。
スパイのイメージとして、国を愛し、現実主義で、どんな苦難にも耐えられる強靭な人間像を私は持っていた。だが、佐藤氏は諜報活動やその人員には、宗教心が欠かせないと書いている。
“自分が見えない力によって生かされている” というこの感覚、任務が厳しければ厳しいほどスパイ活動には欠かせないという。日常的に拷問や謀略などのリスクがある。ストレスを緩和するものがどうしても必要だという。あのプーチンですら、スパイ活動に宗教心の重要性を説いているらしい。
Q:どんな人が読むべきか?
A:周囲に、肩書きだけの偉い人、がいる人は必読だと思う。
本書を読み込むと、そういう人物の存在意義が腹落ちすると思う。
日本人の場合、そういう人が上司や仕事先で予算を握っている人員として君臨しているひとが多いのではないだろうか? 偉くて無能な人間を目の前にした時、相手の実力の無さや人間性の低さをすぐに天秤にかけるのではなく、その人の“諜報能力の高さ”を、想定するべきなのだ。
そしてその具体的な手法が、本書には数多く書かれている。
この本をうまく使えば、結構そういう不条理な局面を救われるのではないだろうか。
Q:一般人の諜報力は必要か?
A:必要かどうか以前に、日本では特に誇るべき能力だと思う。能力主義ではないし、なり得ないから。日本は、正直者が必要以上に苦しむ社会なのだと思う。
アメリカのような高イノベーション社会で、軍事力・経済力が他を圧倒しているごく一部の国以外は、“実力主義”であり“正直が正しい”と言っていい。だが、日本は違う。
もちろん、米国はCIAもあるし、ウォーターゲート事件などの、スキャンダルが決して少ない社会ではない。社内人事で謀略も当然あるだろう。だが、アメリカは社会全体に“時間をかけて、必ず実力社会にしていく”という共通意識が、強くあるように思える。
そこを世界標準だとか、学ぶべき考えだとか、思わないほうがいいのかもしれない。
アメリカは、どんな機密情報でも必ず、のちに必ず公開して、世に問う。国の重要機密情報でも30年後に必ず公開するという制度がある。逆にいうと、日本でそんなことをしたらダメだと思った。
例えば、企業利益が毀損しても、出世をするために「諜報力」を高める傾向が日本人にあるのは、日本の歴史を考えれば考えるほど、必然的だというのが本書を通してよく解る。