俳優を味方につける。俳優のリスクを考慮し、支援者に変える『監督と俳優のコミュニケーション術』ジョン・バダム (著)要約・概要

投資と映画

著者紹介

ジョン・バダム(1939〜)

イギリス生まれのアメリカ合衆国の映画監督、テレビドラマ監督。
イングランドのベッドフォードシャー州ルートン生まれ。母親は女優だった。幼い時にアメリカに移住しアメリカに帰化している。アラバマ州で育ち、イエール大学で学ぶ。1960年代後半からテレビの製作を手がけ、1977年の監督作『サタデー・ナイト・フィーバー』が世界的にヒットする。2000年代以降は再びテレビドラマを中心に活動している。

主な作品履歴

  • サタデー・ナイト・フィーバー Saturday Night Fever (1977)[1]
  • ドラキュラ Dracula (1979)
  • この生命誰のもの Whose Life Is It Anyway? (1981)
  • ウォー・ゲーム WarGames (1983) 日本でヒットしています
  • ブルーサンダー Blue Thunder (1983)
  • アメリカン・フライヤーズ American Flyers (1985)
  • ショート・サーキット Short Circuit (1986)
  • 張り込み Stakeout (1987)
  • バード・オン・ワイヤー Bird on a Wire (1990)
  • ハード・ウェイ The Hard Way (1991)
  • アサシン Point of No Return (1993)
  • 張り込みプラス Another Stakeout (1993)
  • ドロップ・ゾーン Drop Zone (1994)
  • ニック・オブ・タイム Nick of Time (1995) 主演:ジョニー・デップ
  • 迷宮のレンブラント Incognito (1997)

著者インタビュー動画

本ブログを読むべき人

  • 俳優とうまくやれない映画監督
  • 映画監督がどういうことで悩んでいるのかを知りたい人
  • 映画を撮影したことがある人
  • これから映画を撮影したいと思っている人・学生さん
  • これから映画に出演したいと思っている俳優さん
  • エキストラやスタッフなどで映像作品に関わりたい方

失敗作の経験から購入・急逝した友人俳優のお勧め本

私は、実はデビュー作であまり映画としてやりたいことができなかったという経験をしています。

もちろん、ロケが過酷だったり、予算が無かったり、技術もなかったわけですが、本当の肝心なところはそこではなかった。でもそれに長い間気がつきませんでした。

それは、俳優との関係が映画の出来を左右するという事実です。

人生で初めて俳優と友人となる

その後、短編作品などの依頼があって、徐々に映画監督としてのキャリアを回復というか、復調していきます。それでも低予算だったので、俳優にはギャラが出せない日々が続きます。そんな作品作りの中で、毎回私の作品出てくれる一人の俳優と親交を深めることになっていきました。

その友人は私より3歳年上で、業界経験も多く、不動産投資を普段しているためギャラも必要ありませんでした。むしろ奢ってくれることが多かった(笑)。

そんな彼から、私はいろいろ学び、その中でこの本を紹介してくれました。ですが、その後、彼はある日突然、亡くなってしまいます。私は彼から多くを学びました。

わたしが分かったことは、監督というのは俳優を警戒し、対立する傾向があるということ。これはどんな監督でもあると思います。しかしこれは、メジャーな監督になるためにはどうしても克服しなければいけない問題だったのです。

俳優は、映画監督にとって最後の援助者

映画は脚本となって、俳優の体に入ることで変容します。

そこで、もう一度クリエイティブなタイミング訪れ、調整が必要となります。
しかし、その時には、もはや俳優しか、一緒に協力し合える人員はいないのです。

つまり、俳優が監督の助けに回れるかもしれないタイミングとは、もう映画撮影の直前のプリプロダクション(編集前の事前準備)の最後の最後ということになります。

そして、多くの監督たちはここで俳優と仲良くなる、のではなく、対立する……。

『監督と俳優のコミュニケーション術』で、語られていること=脚本を肉体に消化する俳優は、監督よりも遥かに深い理解がある

本著の著者で監督のジョン・バダムは、1980〜1990年代のクライムサスペンスの巨匠です。

ウィキペディアではさらっと書かれていますが、実は日本でも多くの作品が上映され、大ヒット作も非常に多い。今では忘れ去られた感がありますが、特殊な物語構造、俳優の緊張感のある演技を特徴するハイバジェットの監督で、今も活躍していたら必ず『ミッションインポッシブル』のような大作を手掛けているはずです。

そんな彼が、晩年、映画の本を出して欲しいと言う出版社の依頼に対して、真っ先に書いたのがこの俳優論的な本です。内容を一言で言うと、監督は優れた俳優を選び、あとはできるだけ俳優に好きにやらせるべきだ、そしてその環境整備にだけ監督は機能すればいい、という世間的にある(特に日本映画界)「監督君主論」と真っ向から対立する意見です。

この本を読んで以後の私はどうなったか

私はその後、また長編を撮影することに恵まれました。

そこで私は、本書に書かれているように、現場での演技のチェックをするということを辞め、事前の話し合い重視しました。そして、注意深くプロデューサーとキャスティングを行い、その後は多くを俳優に任せました。

作品名は伏せますが、その工程で山田真歩さんという女優に助けられて、これがきっかけとなって今まで苦手だったことの多くが好転していくのを経験しました。私が山田真歩さんから信頼を得られたことで、他の俳優の信頼だけではなく、スタッフたちの信頼も急速に回復して高まりました。そこで、私はこの書籍が正しいこと改めて実感しました。

俳優とのコミュニケーションで、ダメなセリフは消え、冴えない設定は武器に変わり、スタッフの能力は格段に上がる

私はこの本に感化されてうまくいきました。そして自分の実力以上の力を出すことができて、大きい国際映画祭を皮切りに、無名な私でもそれなり、と言うくらいの成功を収めました。

例えば作品が酷評を伴ったとき、一番被害を受けるのは誰か? それは俳優です。
酷評の映画のポスター、予告編がシェアされれば、それらは俳優のニュースとなります。たとえ監督の問題で記事が書かれても、ほとんど監督のイメージが使われることはありません。
そして撮影前にそのことに一番恐怖を感じているのはもちろん俳優です。

ところが、撮影時に監督やスタッフは他のことで忙しい。
俳優は自分のカットの前後との表情の繋がりを気にしますし、着ている服の日替わりのおかしさも当然気が付きます。第一に、相手のセリフも覚えなければ自分が動けない。
メインキャスト撮影当日にはスタッフの誰よりも脚本のことを把握している存在となるのです。

日本の監督・演出家は俳優に辛く当たることで、俳優の能力を出そうとする、という歴史を繰り返してきた

バダム氏の著作では、俳優たちが「天才性」を持っていることがベースでした。そうでなくても、ハリウッドは優れた教育メソッドが確立されており、底辺の俳優でも技能は授けられている場合が多い。それゆえに、困っている時は俳優に託すべきと言う考えが生まれたわけです。

しかしながら、日本の俳優はコネや集客性で任命されているケースが多い。

もっと簡単にいうと、グラビアアイドル崩れや単なる著名人が多い。

これは創価学会の記事でも書いたのですが、日本の芸能界が広告費で支えられており、チケット販売や集客性が極端に弱いということから来ています。しょうがないことなのです。
そうなると、監督からしたら俳優は「いい加減な経歴」で「変な人材が充てがわれている」という部署になりがちで、そうでなくとも俳優でミスをするかもという恐怖感が生まれます。

しかし、これは間違いです。
私が先に述べたように、少なくともメイン出演の俳優はリスクを監督よりも大きく追うので、自分自身で実力面をなんとかしようと常に考えています。
このようなギャップがあるがゆえに、日本では監督が権威を振り翳し、負のクリエイティブで『自粛ベースの統率』をするという伝統が出来上がってしまいました。
俳優が責任を負う部分が大きいため、アメリカと同じにしても良かったわけです。

本書は、学生監督が一番初めに読むべき本

そう言うわけでまとめに入りますが、卒業制作で作品を作る監督は読むべきです。
学生監督でカメラマンや音声さんに労力を使い過ぎる人が多いのですが、それは間違いです。

スタッフィングは最悪、再撮影やアフレコでどうでにもできます。しかし、一度選んだ俳優を変えるのは難しい。当然、監督を高圧的な態度で攻める俳優やマネージャーは多くいます。しかし、それについても本書を読めばある程度解消できます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました