映画監督研究(1:後編)泥沼な人間関係?スタッフや俳優とどう関わるかがわかる『映画にまつわるXについて〈2〉』西川美和

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著者紹介

西川美和:1974年、広島県出身。早稲田大学第一文学部卒。『蛇イチゴ』で長編監督デビュー。『ゆれる』で、カンヌ国際映画祭監督週間に選出。その後も『ディアドクター』『永い言い訳』『すばらしき世界』などで、寡作だがコンスタントに作品を撮り続ける。小説作品でも、直木賞候補に上がるなど活動の幅は広い。

目次

  • 映画にまつわるXについて(X=エール;X=撮る ほか)
  • 『永い言い訳』によせて
  • 小説(ガラスごしの空;ラブレター、あるいは湖の底に沈んだ手紙)
  • 書評・映画評(『ハズバンズ』によせて;『男の中の男』によせて ほか)
  • エッセイ(言葉とつきあう;タジン鍋 ほか)

撮影監督・柳島克巳さんとの別れに関して

本書ではスタッフ関連のエッセイが多い。その中でも私が注目したのは、カメラマンのジミーさん(柳島 克己)さんとの別れのエピソードである。

柳島氏のプロフィール

柳島克己:1950年生まれ。岐阜県出身。東京写真専門学校卒業。三船プロダクション撮影部に入社し、1981年に退社。その後、仙元誠三らの下で撮影助手としてキャリアを重ね、1987年にドラマ『あぶない刑事』で撮影監督に昇進、1989年には『cfガール』で劇場作品デビュー。その後『その男、凶暴につき』、『HANA-BI』を除いた北野武監督作品の撮影を担当。

長らく、西川作品といえば柳島さんという時代があった。私も実は、東京藝術大学大学院で何度か柳島さんにお会いしてお話もしている。業界では、知らない人がいない重要人物で、プロフィールの通り、北野武監督作品のほぼ全てのカメラを担当している。ローバジェットからハイバジェットまで優れた結果を出している重鎮である。だが、人柄も優しく、カメラマンとしては珍しい周囲への気配りが有名で、人気のカメラマンである(最近では横浜聡子監督と組まれている)。
なぜ、これほどまで西川監督は苦しんで柳島さんを切ったのか?

ではなぜ、これほどまでに西川監督がカメラマン変更、要するに柳島さんへから山崎裕さん(こちらも有名)にする時に神経を使ったのか?これは映画業界の仕組みにポイントがある。
映画業界で現場を仕切るのはカメラマン
これはもちろん、ケースにもよるが、映画業界は照明スタッフをほとんどの場合、カメラマンが決める。また、日本の場合、カメラマンはグレーディング(色補正)まで担当するケースがほとんどなので映画の仕上げの最後まで監督・プロデューサーにつきっきりである。場合によっては、照明スタッフだけではなく、自分のカメラワークにとってやり易い録音技師、美術スタッフ、助監督まで手配することがある。
この慣習から、映画のスタッフィングではカメラマンに最も神経を使う。

カメラマンが「撮らない」「できない」で現場が崩壊することも多々ある
また、映画の世界でカメラマンは画面の責任を負うという面もある。
過半数の権威的な映画祭で必ずあるのは、撮影賞である。
監督賞、編集賞、脚本賞といった本当は誰がどのくらい担当したのか不明瞭になりがちな賞よりも、撮影賞ははっきりしている。また、日本の場合、協会・組合がきちんと整備されていて、バックアップ体制の整備具合が大きいのが、カメラマン業種である。
つまり、西川さんが文学的に表現している彼女の重圧は、細かく分類すると、上記で述べたものによる重圧である。カメラマンは、偉くてズルい職種だと言ってしまっていいかもしれない。

『永い言い訳』主演の本木雅弘さんのクドいメール全公開

また、本書ですごい!と思ったのは、主演依頼から、プリプロ(準備)、キャスティング、撮影、ポスプロ(アフレコ)、試写、映画祭、劇場公開といった流れでの本木雅弘さんのメールを全て大公開しているところである。本人はあんなメールを本で出して、恥ずかしくなかったのか、というくらいな赤裸々なメールを公開している。

本書から見る西川監督のキャスティング像

通常映画業界にいない人のキャスティングのイメージとはオーディションではないだろうか?しかしながら、実際の映画業界ではプロデューサーがついて、それなりの規模の映画を撮影する場合は、ほとんどオーディションは開かれない。キャストは、多くの場合、演技ができて当然で選ばれるし、オーディションするとしても、今の顔、体重、髪型などがどんな感じか見るぐらいである。
では、キャスティングの何が大変かというと、主演や主要人物の配役はスポンサー周りの資金と関係しているので、非常に政治力が必要であるということである。また、次に難しいのは、脇役である。特に存在感はないがストーリー上どうしても必要な役というのがあり、それに関しては俳優にメリットがないので、誰もやりたがらず決まらない、というのもよくある。
例えば、冒頭で主人公の母親をレイプするだけの男の役、とかは、イメージの面でも演技力の面でも、リスクと高度な技術と裸の問題などがあって、なかなか決まらない。
スターのイメージの悪さは、こういうキャストワークで部外者にじわじわと伝わったりするので、こちらもカメラマン人事同様、映画監督がとても気を遣う。
そんな前提で本木雅弘さんの章を読むと、軽い衝撃が起きる。つまり、映画監督はスタッフとはある程度距離を取る必要があるが、主演俳優とは逆にほぼ結婚という状態になり易いという面もある。
気の使うところの大きさは、カメラマンと同レベルだが、結局、お互いに程よいメリットに包まれて、その関係性が映画のクオリティ、また広告活動などとバラエティ豊かに関与するため、このような感じになるのである。そんなキャスティングの妙が本木雅弘さんの章では理解できる。

監督・スタッフにとって地獄の試写会について

最後に面白く、私も激しく同感したのは、試写会の恐怖である。
よく、試写会の公募・プレゼントがあったり、報道で試写会様子が報道されたりするので、どうしても一般人の間では、試写会は軽いパーティーのような華々しいイメージがあるかもしれない。
しかしながら、試写会はスタッフや俳優、監督にとって公開処刑の場である。
これは、どんな作品でもどんなケースでも、ある程度共通認識としてあるはずだ。
私としては、この試写会に関するところをぜひ、これから映画を作ったり、映画に出る人には、教科書がわりに読んでもらいたいと思う。
以上、参考にしていただけたら幸いである。

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