草稿から描きかけ中断、死後有名になる著作まで収録。創作プロセスがわかる編集方針『カフカ寓話集』

オーディオブック

著者紹介

フランツ・カフカ(1883年7月3日 – 1924年6月3日)

チェコ出身のドイツ語作家。
プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆した。どこかユーモラスな孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した。その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、純粋な創作はその少なからぬ点数が未完であることで知られている。

生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだった。死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

目次

皇帝の使者(1917)/ジャッカルとアラビア人(1917)/ある学会報告(1917)/ロビンソン・クルーソー(年代不明)/サンチョ・パンサをめぐる真実(年代不明)/アレクサンドロス大王(年代不明)/新しい弁護士(1917)/ポセイドン(1920)/アブラハム(年代不明)/メシアの到来(年代不明)/こうのとり(1917)/貂(年代不明)/使者(年代不明)/小さな寓話(1920)/獣/だだっ子(1917)/柩(年代不明)/掟の問題(1920)/一枚の古文書(年代不明)/走り過ぎる者たち(1907)/よくある事故(年代不明)/十一人の息子(1917)/兄弟殺し(1917)/中庭の門(1917)/隣人(1917)/巣穴(1923)/最初の悩み(1920)/ちいさな女(年代不明)/断食芸人(1924)/歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族(1924)

読むのも苦痛な作品があるが、作家理解には重要

著名な作家をめぐって、出版業界は何でもかんでも本にしてしまう傾向がある。本作もおそらくそうだ。例えばドラッカーなんかも、彼が発表した論文を何でもかんでもまとめて、それらしいタイトルをつけて、金を稼ぐ、という類のものが多い。

短編、というには物足りないものや、文章として意味不明なものが多い。しかしながら、本書から得られるものは全くないかというそうでもない。勝手な妄想かもしれないが、100年前の彼の思考のプロセスのようなものはわかる。

また、生前の彼の作品で一番売れた『変身』を意識して、もう一度当てに行こうとして、恥ずかしくてやめたような作品『ある学会報告』などもある。『ある学会報告』は、捕まえられた猿が猿回しとして人間のために働いて、ある日突然、人間の言葉を真似て喋ったことで、学者に注目されるという話だ。人間以外の主人公で作品を書いて、名声までは行かないが、生前にちょっとした評価を得た著者の、人の期待に応えようとするスタンスが垣間見える。

偶然生み出された『変身』を生涯意識

私が目次の作品ごとに年表を書いたのには訳がある。

それは、彼の代表作『変身』をベースに、本作を読みたかったからだ。
例えば、なくなる直前の1924年に『断食芸人』『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』が書かれている。

歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』は、チューチューというネズミの鳴き声を、美しい歌にまで高めた、あるメスのネズミの物語だ。それまでの不条理なカフカの作風とは違った、メランコリックな本作は、つまらないものの、一般人受けを狙って書かれた印象を持つ。今でいう、ディズニーアニメ的な要素がある。変な妥協感が満載だ。

『断食芸人』は、カフカの作品の中でも、有名で、カフカらしいやや不条理な作品だ。しかし『変身』のようなキレもなく、精度も低い。とはいえ、設定は面白い。出版に至ったが、本が大量に売れ残ったいう記述がある。

本書から導き出されるカフカのイメージ

本書から導き出される作家カフカのイメージは、『歴史に残りたい、売れたい、認められたい』と思いながらも、自身のこれといった方向性を模索したまま、たまたま上手くいった『変身』を超える作品を残せなかった、という印象である。

歴史的に偉人だからといって、配慮する必要はない。カフカでさえ、こんなに小さな人間だったという証を、本書の編纂からうかがえる。しかし、人間が主人公ではない神話とか寓話ではない現代劇を確立したのは間違いなく、その流れから考えると『寓話集』と付けられるのは、やや屈辱的とも思える、が、作品の程度は確かにそのレベルである。

おすすめはしない しかし、作家を目指す人には役立つ

私の感想はこういう感じだ。

はっきりというが、歴史に残る偉人というは、案外こういう自分自身は一発屋で終わってしまった認識の人が多いのではないかと思う。思わぬところを評価されて、それに答える能力がなかった。それくらい、発見されたことが大きかったのだ。そういうカフカの像が、本書ではっきりわかる。

おそらく本人は1917年くらいにダメだと実感していたが、生涯、作家としての葛藤をしていこうと決めていたことがわかる本

本書を読んで私が一番強く受け取ったのは、迷い続け、苦しんで過ごした彼の日々は、案外楽しかったのではないかということだ。作家とはこういうものだと思うし、この他人から見たら不幸な感じを、何かしら追い求めているところがないと、長期にわたって創作活動は続けにくいと思う。

こういう本を通読することは、村上春樹が世界の村上春樹になるために、カズオ・イシグロが世界のカズオ・イシグロになるために、絶対条件として必要になる作業だと思う。だが、一般人にはどう考えても必要のないことなので、そういう野望がない人は読まない方がもちろん良い。

あと、本書を読む前に、先に『変身』を読んでおくべきだと思う。以上

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